今夜は夜空全体が淡く発光しています。特に方位では西が強く光っています。
今日の通勤途中にウォークマンで聴いていた曲
一気にアクセサリーも揃えてしまう
研究所のカメラ機材にニコンD810を追加してみた。DfやD600でもまったく不満なかったのだけれど発売当時「ニコン史上最高画質」を謳われた画作りに少し興味を持った。時代は既にミラーレスへと移行してしまい、今後レフレックスミラー機の新型はPENTAX以外に望むこともできなくなった。程度の良いD810やD850が入手できるのも今のうちと思い今回の精進となった。入手したカメラのシャッター数は4000ほどだった。因みにシャッター耐久は20万回らしい。クラシックレンズを多用する撮影スタイルなので最近のミラーレス機にある連射性などには全く興味がない。何よりEVFファインダーの撮影がビデオカメラ撮影のようでしっくりこない。D810の実機を使ってみての印象はシャッター音が小さく上品になりミラー振動も抑えられたこと。画素数が増えたのでブレには普段より少し気を遣うようにもなった。子供の頃、父から教わった「シャッターを切る際は息を止めて静かに切れ」を思い出す。クラシックレンズの性能ではD810の高画素数は役不足との記事も見かけるがそれほどのこともなく。D600の延長で普通に使っていけそう。
AF NIKKOR 70-210mm 1:4-5.6 クラシックレンズでもこれだけの描写をしてくれる
等倍切り出しでの解像度
精進ついでに縦位置グリップも入手した。自分の撮影スタイルでは縦位置撮影が横位置よりも多いのだ。カメラ側の「Fn」ボタンを”絞り込み”に設定しておくことで縦位置グリップレリーズ横の「AF-ON」ボタンも”絞り込み”機能がアサインされる。これは大変便利といえる。フィルムカメラのF4の時代から、縦位置グリップ使用時に絞り優先モードでの絞り込み確認には往生していたのだ。グリップ購入ついでにリチウムイオンバッテリー用のホルダーを追加したくなり調べたところヨドバシカメラでは今でも新品を注文することができた。まだ市中在庫が残っていることに驚く。バッテリー(EN-EL15)も新品を2個買い増して都合4個を備えた。D810のメモリーカードはSDとCFのダブルスロット。手持ちのカードストックを漁ると16GBのCFが出てきた。予備としてこれを差しておく。記録順位を設定できるのでプライオリティーは下げておく。これで一通りの散財は終了。ヘンテコレンズを着けてぼちぼち撮影に持ち出そうと思う。
電子ブロック ST-155
年末に豊国(とよのくに)の左門先生から大きな箱で贈り物をいただく。開けてびっくり、最高級「ST-155」(155回路)の電子ブロックセットだった。自分は小学校3年生のとき、お年玉でSR3Aという100回路のものを買って遊んでいた。内容は似ているが今回いただいたものはそのデラックスバージョンとなる。ノーマルの電子ブロックは9V(006P)電池1本で駆動する。今回のセットでは回路部本体は9V駆動ながら、それとは別にスピーカー一体式のアンプユニットがあり別電源の単二電池4本、6Vで音声信号を増幅する。それゆえ本編のブロック回路は増幅部分の割り当てを省ける分だけ豪華に石が使えるという寸法。cdsやメーター、ランプにVRはフロントのパネルに内蔵されていて一々リード線の端子を回路に接続しなくてもよい。電池をセットする前にトランジスタとケミコンをテスターでチェックせねばなるまい。なにせ発売より50年の歳月が流れている。1973年発売、定価13,500円也。左門先生、ありがとうございました!
70年代のコンピューターはこういう雰囲気のパネルだった。センター部分がHAL(2001年宇宙の旅)に似ている。
こちらは小学生時代に遊んでいた「SR3A」100回路 左下の電鍵が泣かせる
AF NIKKOR 70-210mm 1:4-5.6 / Nikon D810
ピーカンで雲もなく青空とのコントラストが美しい
よみうりランドでは60周年記念として2024年10月から新観覧車の営業を開始。暫くは新旧2基の観覧車を同時運転していた。そして本日が44年間稼働していた旧式の営業終了日となった。二基の大観覧車が並ぶ絵面はなかなか拝めないので自転車(クロスバイク)で撮影に出かけた。観覧車に近づくことは出来ないと踏んで望遠レンズを選ぶ。環状4号線を北上し青葉台を過ぎ鶴見川を辿る。途中で麻生川にスイッチし柿生駅から県道3号(津久井道)にのる。新百合ヶ丘辺りは道路の拡幅工事中で道幅がかなり広くなる模様。この道で拡幅工事が本当に必要なのは百合ヶ丘、読売ランド前、生田の区間なのだけれど。ここがボトルネックとなり自転車で走ることは敬遠してきた。交通量は多いが道幅は対向2車線。歩道は人一人通るのがやっとの狭さ。ガードレールなどもなく昭和40-50年代のまま改善が見られない。今回は百合ヶ丘を過ぎて読売ランド前に差しかかる手前、高石歩道橋下交差点を左折して逃げる。ここから約1kmほど結構な登攀が続く。フロントのディレーラーを2速に落としてなんとか登りきる。坂の頂上にあるセブンイレブン駐車場から大観覧車が正面に見えた。撮影ポイントを探すと隣に高台の駐車場を見つける。出入り自由で高い柵もなく太陽を背にして撮影には最高のロケーションだった。観覧車があまりに近いので望遠レンズを持て余す。広角はスマホでの撮影となった。納得するまで様々な角度から観覧車を切り取る。園内では旧観覧車のゴンドラに寄せ書きのイベントが行われていた。余談になるが、よみうりランドといえば「ゲバゲバ90分」のオープニングやドラマのロケ地として関西人には憧れの場所でもあった。向ヶ丘遊園、横浜ドリルムランド(忍者ハットリくん第8話(1966年))も閉園となった今、なんとかよみうりランドさんには頑張ってほしいと願う。本日の走行距離 32.49km クロスバイク積算 12,532km
ここからはiPhone16で広角撮影
隊長記念撮影
おまけ London Eye を撮影したときも同じようなアングルでした 成長がない。
おまけ その2 こちらは小樽
Nikon E 36-72mm 1:3.5 / Nikon D810
寒さを理由にここひと月ほど自転車走行していなかった。新年を迎え走り初めということでクロスバイク走行の目的地は寒川神社とした。いつもなら環状4号線から海軍道路で瀬谷を抜け厚木基地南端をかすめ県道45号(中原街道)を南西に下るところを道路に併走する目久尻川を辿れないかの検証をしてみた。県道45号は交通量も比較的多く狭い道なので路肩走行していても自分が交通の妨げにならないか気を遣うのだ。目久尻川の土手道を走ってみて結論から言うと工程の北半分は快適。新幹線を潜り高座のごみ処理施設を過ぎた辺りから川の土手道は砂利道となり最後はあぜ道となる。行政区が綾瀬市側は積極的に整備されたサイクリングロードの活用を謳う看板まで設置されている。翻って藤沢に入った途端管理されず御座なりの放置状態。砂利さえ敷かれず枯草の重なるあぜ道での自転車走行は踏力を2倍必要とするので疲れる。車両走行に注意しながら中原街道を走るか、あぜ道の目久尻川土手を走るか微妙な選択といえる。本格走行のロード野郎は目久尻川を決して選ばないと思う。
寄り道しながらの走行軌跡 左側が目久尻川、右側が中原街道
寒川神社のお参りは駐輪場もありスムーズだった。参拝客は多く、区切られた境内では広く横一列に並ぶ参拝の順番待ち。20分ほど並んで無事にお参りを済ませ、妻と自分の干支お守りを授かる。スマホにつけていた去年のお守りは返納所へ。土産に「八福餅」を買おうとするも売り切れ。代わりに復路で目久尻川から中原街道に出てゑびすや本店で「はまぐり最中」「どらやき」を買う。このお店も今回で三度目となる。
迎春ねぶた 夜はライトアップされる
参拝客も多いが、この外ではご祈祷待ちの長い行列が続く
今回の走行でショックだったのは海軍道路。旧上瀬谷通信施設はテーマパークの開発とやらで広範囲にわたる整地工事が進んでいた。従来からの海軍道路は閉鎖されバイパス道路が敷設された。立派だった桜並木は伐採が進み殺伐とした風景となった。少子高齢化社会に的外れな開発とは愚かなこと。事業期間50年らしいが20年後には廃墟群になりそうな悪寒しかない。本日の走行距離 46.8km クロスバイク積算 12,500km ロード、クロス積算 34,203km
S-TRAINでGO!
12月28日に仕事納めをして翌日からプチ旅行。横浜駅から西武鉄道のS-TRAINを予約。みなとみらい線、東横線、東京メトロ副都心線、西武有楽町線、池袋線、秩父線と渡って西武秩父駅まで特別急行で走る。乗車券の他に1060円の指定券が必要。途中8か所の駅に停車するがあとはノンストップ。停車駅では1車両あたり片側4枚扉だが1か所しか扉の開閉はなくあとは3枚は締め切りとなる。ホームドアもそれに連動して1車両1か所だけの開閉が行われる。走行区間最後の飯能駅から西武秩父間はスイッチバックのように車両の進行方向が逆転する。クロスシート座席は乗客が手動で回転させることができる。横浜から秩父までの所要時間は2時間ほど。リクライニングはできないが2人掛けシートは快適。何より通勤路線をノンストップで通過していく様は痛快。西武池袋線には丸々デザインの特急ラビューも運行しているが西武40000系0番台もなかなかに快適。座席指定はネットから好きな空席を選べるが、扉に面した前後座席は仕切りがあり足元が狭い。配列中央の座席がお勧め。快適な移動は良かったが秩父はめぼしい観光地が少な目。初日は秩父神社を参拝し厄除けのご祈祷をしてもらう。人生最後の本厄だった年末になってのお祓いとなった。後厄でのお祓いもあるのでそれも兼ねていた。ご祈祷は自分ひとりだったので妻も同行を許されご神殿に上がらせてもらえた。帰りにお札やお守り、手ぬぐいを授かる。
西武秩父駅
西武秩父駅から番場通り商店街を歩く
秩父神社
厄払いを済ませ秩父の町を散策。町の風景は完全に昭和のままでとまっていた。道の駅で買い物をして古い商人宿だった秩父館などを見学。あまり詳しくないが秩父は最近のアニメの舞台にもなっているようで聖地が点在するようだ。年末ということもあり主な観光施設や川下り、くだもの農園の多くはお休みだった。早めにホテルへチェックインしてまったり過ごす。
秩父館で甘酒をいただく
つげ義春の漫画に出てきそうな商人宿
ホテルから秩父の町が一望できた
秩父鉄道 秩父駅前 昭和30年代の景色
デキ300形電気機関車 (1967年製)
珍しい車が次々くるので休憩していられない
長瀞駅
昭和の風景があちこちに
二日目は秩父鉄道で秩父駅から長瀞駅まで移動。宝登山ロープウェイで山頂の宝登山小動物公園を見物。手作り感のある園内はアップダウンがあり大きなサル山がメインの設え。買い求めたサツマイモの欠片を猿山に突き出した橋の上から投げ入れるのだけれどサルが奪い合って喧嘩となり心が痛んだ。子ザルを連れた親子などにイモをあげるのだけれど其れを先読みしている大きなサルが目ざとく横取りしていく。なんとも殺伐とした光景だった。
昭和36年製「もんきー」「ばんび」
東急大井町線とか
元は都営三田線6000形とか
宝登山を下り西部秩父駅まで戻り帰りのS-TRAINまで食事などをして過ごす。本来、秩父といえば三峰神社が有名なのだが路線バスで片道70分の移動など一日がかりになることから今回は見合わせた次第。帰りの列車は酔っ払いが全席指定を知らず乗り込んできたり、検札から隠れて乗車する客が多く車掌さんは大忙し。普段の年末なら妻は年越し蕎麦やおせちの仕込みで大忙しのところ、一泊旅行ですべてを見送りにした。たまには骨休めしてもらう。
秩父名物は味噌豚丼とポテくまくんまるけだった。
駅前には武甲山が聳え立つ。
主幹産業セメント原料の石灰石採掘武甲鉱山からは削り取られた砂塵が舞うのが見える
長瀞駅には2007年に訪れ蒸気機関車と川下りを満喫していた
今回は鉄分の多い画像ばかりでしっつれいいたしました。
「安部公房展」フライヤー
先日、クロスバイクで訪れた神奈川近代文学館「安部公房展」。配布されていたチラシを貰ってきた。ワードプロセッサーで原稿を執筆する写真にアスキーアートが重ねられていた。それはなんとなく眼鏡の輪郭にようにも見えたが釈然としない。そこでフォトショップを駆使してアスキー文字だけを抽出してみた。
なんだかモヤモヤしている
アスキー文字を抽出すると作家の横顔が浮かび上がった。これで満足すればよいところだがここまでくると元画像も見たくなり検索を重ねる。そしてようやくそれらしきものを突き止める。それは1976年頃に撮影された写真であった。「笑う月」「密会」執筆の頃。
ようやく輪郭が浮き出てきた
これが元画像
せめて一度は観てほしい名作
造りがいい
友人のリョウさんとニッコール千夜一夜物語の話題をしていたところ、翌日には記事のレンズがリョウさんより贈られ手元に。有難いような申し訳ないような。写真撮影の嗜好としてはこういった天才技術者の創意工夫がつまった昭和レンズを一眼レフでのんびり撮影するスタイルが一番しっくりきますのだ。この数日前には豊国の左門先生から昭和の遺産、我々世代が熱狂した研究テーマをお贈りいただいたばかり。詳細はいまは秘密。こちらも腰を据えて取り組まねばなりません。有難いことです。
ところでリョウさんが奮発いただいた記念切手はまったく消印が押されていなかった。オヨヨ
形式は適合しないが加工用に購入
石油ストーブのメンテナンスついでに燃焼芯の交換を考える。使っているストーブはイワタニのYH-24という機種になる。既に替え芯はディスコンとなり純正品は入手できない状況。互換品でニッセンのP-A65Wというものがあったようだがこちらも市中在庫は品切れ。既に製造されていないのかもしれない。ストーブの替え芯をあたるとコロナの替え芯でSX-2413Yがヒットする。φ65mmで適合するのだけれど大問題は芯の上下機構。イワタニのストーブはシャープと同じく摘みを上下すると連動して燃焼芯も上下するシンプルな機構。コロナのストーブは回転ダイヤルを廻してスピンドルが回転し燃焼芯を上下するタイプとなる。ダイヤル式は芯押さえ金具の内部に燃焼芯を差し込んで三か所の金具で固定する。上下レバー式では燃焼芯の内部に薄い金属筒が一体式にセットされていてストーブ本体のガイド筒に差し込むだけ。あとは上下リンクのピンを燃焼芯のピン受け金具に差し込むだけで済む。替え芯にセットされている金具などの構造の違いから互換性はない。悩んでいても解決しないので互換性のないコロナの替え芯を購入。これを上下レバーの機構式に適合するよう改造する。先ずはダイヤル式では押さえ金具に固定する燃焼芯にある三か所の金属爪を取り外してしまう。
ラジオペンチを使って不要な固定金具を取り外す
次に今まで使っていた燃焼芯をストーブ本体から取り外して燃焼芯内部にセットされていた金属筒を抜き出す。本来はこの金属筒は燃焼芯と一体ものなので交換時は使い捨てとなる部分なのだ。この金属筒には上下ピンの受け金具もスポット溶接されているのでこの金具がくる位置を寸法計測し新しい燃焼芯に縦横20mmの窓をカッターで切り出して開ける。
上下ピンの受け金具を出す窓を開ける。
本来なら古い燃焼芯と一緒に廃棄する金属筒を再利用する
金属筒を燃焼芯の内部にセットした状態 上下ピンの受け金具がのぞく
あとはストーブにセットして完了 替え芯交換作業では”から焼き”してタンクの灯油を使い切ってから行う
金属筒を軽く折り曲げながら新しい燃焼芯の内部をくぐらせ差し込んでいく。この作業が一番手古摺る。燃焼芯内側に金属筒がきっちりセットできれば金属筒の歪みを整え綺麗な円形に戻す。この作業を怠ると消化時に燃焼芯がスムーズに下降しないことになる。あとは本来の芯交換と同じ手順で新しい芯をストーブにセットして上下の操作を確認。
無事に燃焼試験も合格 暖かい冬を迎えることができそう
燃焼芯の上下リンク機構と地震自動消火メカ
今季、冷え込みが強くなり今年も使い始めた2代目石油ストーブ。このストーブ、ちょっと不満は燃焼芯の可動範囲が極端に狭められたこと。先代は燃焼芯を絞って火力を落とし使うことができた。しかし完全燃焼していないと一酸化炭素中毒の危険もありメーカーは敢えて火力を絞れなくした模様。そこで自己責任で燃焼芯の可動範囲を広げることができないかを検討。燃焼芯を上下させるリンクプレートを確認すると上下可動域を限定する長穴の空いたプレートを見つける。この長穴を拡大すれば良いのだがプレート幅が狭くて穴を拡大すると強度に問題が出てしまう。そこで燃焼芯を上下させるシャフトと上下リンクプレートの取り付け角を変更する加工を施す。シャフトにプレートを固定するビス穴を長穴に加工してシャフトの固定角を燃焼芯の下降方向にずらしてビスで固定した。
燃焼芯のリンクプレートを分解して一旦降ろす 右の長穴が燃焼芯の上下可動域で狭い
シャフト結合部のビス穴を長穴に加工して角度を変えて組み戻す
灯油も値上がりで18立で価格は2000円を超えている。燃費運転をしてもらわないと家計が火の車でもこの火では暖はとれない。
軽分解して隅々まで清掃
そろそろ冷え込みも厳しくなってきたので石油ストーブのメンテナンス。夏場はエアコンを2-3か月連続運転して使っているが冬場はエアコンを殆ど使わない。昔ながらの石油ストーブの独壇場となる。薬缶をかけておけばいつでも沸騰したお湯が使え乾燥知らず。このストーブは2代目。初代は28年間がんばってくれた。様々メンテナンスを続けていたが最後は燃焼芯を上下するプレートが断裂して寿命を迎えた。うちで働く家電は冷蔵庫も洗濯機も寿命を迎えてなお酷使される。お疲れ様です!
寒到来 殺陣「石火」
セリアで110円(税込)端っこだけ切り出して使う
先日、入手してメモリー増設とSSD化を済ましたレッツノート。普段のネットブラウズに使っているがサクサク動作でストレスなし。空冷ファンも無音に近く静か。ちょっと気になっていたパネルの劣化したクッション材を取り換えることにした。純正部品は入手困難故に代替品で加工。ネット情報で100均セリアで売られているお菓子のシリコン型がピッタリと知る。グレーの成型色と厚みがもってこいだった。切り出す寸法を測り金尺を当てながらカッターで切り出す。両面テープをパネル側に貼って切り出したシリコン片を窪み枠に押し込みながら接着固定。自宅使用なので誰に見せるわけでもないがこれで自己満足完了。
クッションの下にはビスが隠れている
寸法を測って切り出す
窪みにはめ込んで貼り付けていく
見栄えは悪くない
ところで切り出しに使ったシリコン型は”フィナンシェ”という菓子作り用らしい。フィナンシェとは何ぞやと調べてみるとマドレーヌのちょっと固めのようなものらしい。ラスクにマフィン、スコーンにマカロン。おっさんには覚えきれません。子供の頃はカステラとバームクーヘンくらい覚えておけばそれで十分だったというのに。