初日に向けてのごあいさつです。(当日パンフットに掲載予定)
「やがてダムに沈む場所」を舞台に劇を書くというのは、ある意味高校生でも思いつきそうなことではあるのだが、いつかそうするだろうという予感があった。たぶん二十歳そこそこの頃からだ。
自分がまさにそこにいる風景を、「いつかなくなってしまう場所」と考えるという想像力に惹かれたのだろう。そこに立てば、未来と現在を同時に感じる。「場所」じたいがこの世のものではないかもしれないという、拠り所のなさ。考えてみれば能の多くも、「場所」についての、その土地に縛られた霊魂についての、劇である。複式夢幻能の構造と吉本隆明『共同幻想論』の示唆する「異界」を必要とする世界の、交錯する場所。人々が、未来が定まらないままに「戦後」のその先の世界のあり方を模索した一九五〇年代の日本から、現在にもつながる精神の彷徨を描く舞台として、「ダムに沈む村」を選んだ。
もちろんダムができても、周りには人の住む場所が残る。かつて自分がいた場所を、水面の底に幻視しながらその後の生活を営む者もいるだろう。人はただどこかで生きていくというだけで、複雑でややこしく、面倒なのだ。
舞台のモデルとなっている熊本のその地で、川筋を辿って巡りながら、人間と川の関わりにこだわって生きてきた人たちと出会いつつ、演劇だからできることとは何か、あらためて考えていたように思う。本当にさまざまな人たちにお世話になった旅だった。
ダムの話をやるのに、一部の俳優にダムを見たことがない人もいるというので、猪熊恒和発案で、メンバー有志でダム見学に行った。私としては関東地方なら八ッ場ダムの「建設予定地」を見てほしかったが、ちょっと遠いという事情もあり、多摩川源流から奥多摩湖を擁する小河内ダムに行ったりした。いうならば関東地方の水瓶だ。ダムは一つ一つ目的も条件も違う。それぞれの場所に歴史がある。そのことも改めて認識する。
今回は藤井びん・木之内頼仁の二人の、おそらく二十八年ぶりの共演となる。彼らに出会った時、私は十九歳だった。びんさんには何度か燐光群に出てもらったし、地人会や、蜷川幸雄演出に私が脚色版を書き下ろした『エレンディラ』でも、ご一緒した。ただ、木之内頼仁と一緒にいると、藤井びんもいつもとちょっと違うギアが動き出すのだ。二十歳頃に出会った人たちと一緒に、ある種の「初心」を共有しながら芝居ができるのは、なかなか幸せなことだ。しかもザ・スズナリという、あの頃と同じ劇場である。
二年前、民藝さんで、大滝秀治さん主演ということで、書き下ろしをさせていただくことになり、この題材を選ばせていただいた。今回の燐光群版上演も、快く承諾してくださった。初演関係者の皆さまに、心から御礼申し上げます。
写真は三田晴代さんによる『帰還』のためのイチョウの樹のスケッチ第三弾。はい。この絵もしっかり劇中にも登場します。上演時間は二時間十分少々になりそうです。
http://rinkogun.com/
「やがてダムに沈む場所」を舞台に劇を書くというのは、ある意味高校生でも思いつきそうなことではあるのだが、いつかそうするだろうという予感があった。たぶん二十歳そこそこの頃からだ。
自分がまさにそこにいる風景を、「いつかなくなってしまう場所」と考えるという想像力に惹かれたのだろう。そこに立てば、未来と現在を同時に感じる。「場所」じたいがこの世のものではないかもしれないという、拠り所のなさ。考えてみれば能の多くも、「場所」についての、その土地に縛られた霊魂についての、劇である。複式夢幻能の構造と吉本隆明『共同幻想論』の示唆する「異界」を必要とする世界の、交錯する場所。人々が、未来が定まらないままに「戦後」のその先の世界のあり方を模索した一九五〇年代の日本から、現在にもつながる精神の彷徨を描く舞台として、「ダムに沈む村」を選んだ。
もちろんダムができても、周りには人の住む場所が残る。かつて自分がいた場所を、水面の底に幻視しながらその後の生活を営む者もいるだろう。人はただどこかで生きていくというだけで、複雑でややこしく、面倒なのだ。
舞台のモデルとなっている熊本のその地で、川筋を辿って巡りながら、人間と川の関わりにこだわって生きてきた人たちと出会いつつ、演劇だからできることとは何か、あらためて考えていたように思う。本当にさまざまな人たちにお世話になった旅だった。
ダムの話をやるのに、一部の俳優にダムを見たことがない人もいるというので、猪熊恒和発案で、メンバー有志でダム見学に行った。私としては関東地方なら八ッ場ダムの「建設予定地」を見てほしかったが、ちょっと遠いという事情もあり、多摩川源流から奥多摩湖を擁する小河内ダムに行ったりした。いうならば関東地方の水瓶だ。ダムは一つ一つ目的も条件も違う。それぞれの場所に歴史がある。そのことも改めて認識する。
今回は藤井びん・木之内頼仁の二人の、おそらく二十八年ぶりの共演となる。彼らに出会った時、私は十九歳だった。びんさんには何度か燐光群に出てもらったし、地人会や、蜷川幸雄演出に私が脚色版を書き下ろした『エレンディラ』でも、ご一緒した。ただ、木之内頼仁と一緒にいると、藤井びんもいつもとちょっと違うギアが動き出すのだ。二十歳頃に出会った人たちと一緒に、ある種の「初心」を共有しながら芝居ができるのは、なかなか幸せなことだ。しかもザ・スズナリという、あの頃と同じ劇場である。
二年前、民藝さんで、大滝秀治さん主演ということで、書き下ろしをさせていただくことになり、この題材を選ばせていただいた。今回の燐光群版上演も、快く承諾してくださった。初演関係者の皆さまに、心から御礼申し上げます。
写真は三田晴代さんによる『帰還』のためのイチョウの樹のスケッチ第三弾。はい。この絵もしっかり劇中にも登場します。上演時間は二時間十分少々になりそうです。
http://rinkogun.com/