Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

世界じゅう「遺産」ばかりだったらどうするのだ

2013-05-02 | Weblog
アニミズムを最上と考える私だが、富士山が「山岳信仰の宗教的価値」とか言われると……。「芸術的な価値」もなあ。風呂屋のタイル絵だからいいんじゃないか。「文化遺産」というのは、こじつけだなあ。落ちた鎌倉ががっかりしているとか、まあ、知己の鎌倉文人鎌倉マダム連は怒るだろうが、本当のところ、観光地として鎌倉は熱海と同類だと思われているところもあるしなあ。認められなくて残念な気持ちもお察しするが、世界中が「遺産」だらけになるよりはいいだろう。そいつは粋じゃないよ。遺産ばかり押しつけられた未来の人たちも困るよ。……ふだん私はツイッターをやらないし一種の仁義としてツイッターからの引用もしないことにしているのだが、これは例外でいいだろう。長島昭久衆議院議員が「空の上から初ツイート。只今シベリア上空です。出発前の控え室では、前原、塩崎、小泉代議士と今後の我が国の社会保障制度の在り方で盛り上がりました。今後の課題は、子育て支援と在宅での看取り、そして在日外国人2世3世に対する「日本人化」教育の仕組みづくりが鍵を握っているという点で合意。」だそうだ。「日本人化」。本気で言っているのか。オーストラリアも、かつて掲げていた「混血を繰り返し八代経てば元の血の影響はなくなる」とする「白人同化政策」を、反省して撤回した。二十世紀のことだ。南アフリカを見よ。我が国だけが逆行している。世界の恥だ。……少なくとも今の方向なら日本という国は大幅に移民を受け入れていかないかぎり、やっていけない。そこもわかって言っているのか。……もう一つツイッターは、失言反省の猪瀬都知事。「今回の件で誰が味方か敵か、よくわかったのは収穫でした」。開き直りか。そもそも勘違いしている。あなたは「公人」なのだ。あなた「個人」に対して「味方」も「敵」もない。そんな意識で接していると思っていることじたいが、おかしい。以前から、誘致キャンペーン広告を気持ち悪いと思い、この国はオリンピック誘致よりも先にやるべきことがあると思い、そんなことよりこの首都を豊かにするためのことを自分なりに考えているかもしれない、多くの人たちを、「敵か味方か」で判断することは、あなたは明瞭に自分から「敵」の位置になったわけだ……、ということでもないんだな。そこまでにも値しない。あまりにもピンぼけ。
本日、朝からどう過ごしたかといえば、明け方まで起きてあれこれ、少し眠り、いろいろと連絡。来年以降のことやら各種の公私雑務がこの時期に山積している。ともあれ問題を解決してゆくしかない。時に長いつきあいの方の人情にも触れて感謝する。……印鑑証明書取りに区役所分室にも久しぶりに行く。昔ながらのようで、どんな辺鄙な分室でもハイテク化は進んでいる。……午後、稽古。「これはこういう芝居だよ」とは言わない稽古を心がける。初心。……夜は小雨を気にせず自転車移動、シアタートラムで韓国サダリ・ムーブメント・ラボラトリー+エイジアナウ・プロダクション『ヴォイツェック』を観る。数年前、アルコ劇場〈坂手洋二フェスティバル〉で韓国版『屋根裏』演出のためのソウル滞在時に、話題になっていて勧められたが、その時はタイミング悪く観られなかった。出演者たちは、よく鍛えられているというべきか、ある特化されたことに向かっている印象が勝るか、見る人によって違うだろう。いろいろとアイデアも面白いが、もう一歩、もう一つの、劇としての「文脈」が形成されているようにもってゆけないかな、と思った。ポストドラマ派には興味深いだろう。ルコックシステムの影響というよりは、動きじたいマスゲーム的印象(動きそのものが目的化されている)だし、コミュニケーションの強さを感じにくくなっているとすれば、回数を重ねすぎて「型」が強く残ってしまったからだろう。「続演」というものの持つ課題だろう。私も、続演十年を越える次回『屋根裏』再々再々再々上演に、心してかからないと。……帰宅すると、テレビニュースを見てしまう。息子が野球部で年明けからピッチャーに転向して以降、野球ニュースを見る目が変わったような、そうでもないような。ダルビッシュも黒田も「努力なくして結果なし」を見せつけてくれるし(ダルは本日は強運だったかもだが)、四勝目の田中将大ヒーローインタビュー「初回に慎重になりすぎて、その後はテンポを上げたので余分なことを考えなかったのがいいんじゃないかと思います」、然り。そういうことはよくある。うむ。最近、余分なことばかり考えているな、確かに。
人間は、不安と、思い上がりの、両方を行ったり来たりする生きものだ。その両方が必要なのだ。その両方が人を育てる。バランスが大切だ。バランスを取ることを支えるのが、仲間だ。相互に意識する、しないに関わらずだ。演劇にそれがなければなぜ演劇をやっているかわからない。初心に還って、あらためて見つけていきたい。周りを見回し、あなた方が私には必要なのだ、と思う。もっとうまくつきあえた方がいいに決まっているけれど。……写真は、最近届いた常福寺ライブ講演の私。境内の竹の存在感の前には、霞むしかない。
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