Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

著・流山児祥、編・西堂行人「敗れざる者たちの演劇志」(論創社) 出版記念会

2023-05-14 | Weblog
Space早稲田で、著・流山児祥、編・西堂行人「敗れざる者たちの演劇志」(論創社)の出版記念会に参加する。
最近、流山児氏ご自身にもそう言われたが、もう「四十年以上のつきあい」の、先輩である。
確かに、この四十年余のあれこれが蘇り、思いは尽きない。
 
この「敗れざる者たちの演劇志」という本じたいは、ぶ厚いハードカバーだが、〈Ⅱ〉以降は、週刊誌みたいなもので、すいすい読める。同時代の者として臨場感があるからだろうけど。だから若い人たちにも敬遠せずぜひ読んでほしいし、感想が聞きたい。
〈Ⅰ〉は、私が演劇を始める前の話だし、固有名詞の多くはついてゆけないが、いろいろ知った人、聞いたことのある話も出てきて、やはり「知る」価値があり、歴史を確認するための貴重な資料でもあると思う。流山児さんが暗中模索していた青春期の記録は、演劇というジャンルを越えて、その時代の空気を想像させてくれる。私もまた、その時代の人々の背中を見て、そういうものだと思って、この世界に誘われていった、ということになるのであろう。
この本はまた、「場」を持たなければ演劇は始まらないと直観した者による「劇団の歴史」の書でもあって、流山児さんや私などが考えてきた「劇団」という概念が、どうやら成立し難くなっている現在、複雑な思いもあるが、すっきりと潔く振り返る気持ちにも、なれる。
流山児さんが出版にあたり「こんな『人生』を振り返るような本』を出したら、俺は死んでしまうのではないか」と思ったという話は笑ってしまったが、ご本人は「俺はいつでも再スタートできるんだ」という気概が漲っているようにしか思えなかったし、この兄ちゃんは、実際、まだまだ走り続けてゆくのだろう。
 
人が入りきれないから二回に分けて行うという異例の出版記念会で、関係者の皆さま、たいへんお疲れ様でした。考えてみれば、コロナの終結があってこそ、こういう会ができるのだな。やれやれ。
終わってから、この本の発起人の龍昇さん、藤井びんさん、この本のひそかな後見人のような存在かもしれない伊藤裕作氏、関西から駆けつけた大阪の兄ちゃん・小堀純氏、「今こそ『非戦』をやるべきではないか」と静かに鋭く語る藤田赤目氏と、居酒屋へ。
 
この四十年余りの「時代の毒気」に当てられた気がしてかどうか、頭を冷やそうとしたということでもないが、早稲田から二時間かけて、歩いて帰る。
 
 
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ニューオリンズらしさ

2023-05-13 | Weblog

文学座『地獄のオルフェウス』関連で、テネシー・ウィリアムズのことに触れ、今年に行ったニューオリンズの写真を挙げたけど、前の写真がフレンチクォーターの端っこだったので、もっと「ニューオリンズらしさ」のある写真を、挙げてみよう。

フレンチクォーターという地区は、昔ながらのニューオリンズの中心的な繁華街だが、有名なバーボンストリートなどの特徴は、二階のベランダに人々が賑わう光景だ。この写真は昼間で無人だけど、夜は上から人々がストリートを見下ろしている。

アメリカは、一般に、外で飲酒することは禁じられている感じで、それが映画などにボトルを紙袋に入れて隠して呑んでいる人物などが出てくる由来なのだが、フレンチクォーター界隈は、歩きながら飲酒しても咎められない、ということになっているらしい。それも「ニューオリンズらしさ」である。

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「ご飯がなくなったので閉店しました」

2023-05-12 | Weblog

先月、某所で遭遇。

閉店理由を掲示。

「ご飯がなくなったので閉店しました」

潔いというか、見事なお店。

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ミシシッピーとルイジアナ

2023-05-11 | Weblog

文学座『地獄のオルフェウス』を観たので、ミシシッピーとルイジアナの繋がりも劇中に出てくるということで、今年に行ったニューオリンズの写真を挙げる。

三度目のニューオリンズ訪問だった。テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』の由来通り、「欲望(Desire)」行きの路面電車がある。
 
『地獄のオルフェウス』はほんとうに救いのない話だが、アメリカ南部は、かの国の中でも、特殊な世界であるように思われる。
 
セントラル・パークを臨むテネシー・ウィリアムズがいたというアパートの、その5階の隣室に入ったことがある。 たまたま訪問したマリオ・フラッティさんの部屋である。
 
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「らく打バー」を使ってみている

2023-05-09 | Weblog

大学の先輩からいただいた「らく打バー」を使ってみている。

「らく打バー」という商品名は、たった今パソコンで調べて、知ったのであるが。

「よく使うキーを他のキーより高くすると使いやすい」という話だった。

私も「Back spaceキー」に貼っている。

どうやら、「Back spaceキー」を大胆な気持ちで押せるようになる、ということが肝要のようである。

そして、ノートパソコンの蓋が閉まらない問題も出てくるが、少しずつ「らく打バー」の高さも低くなって閉まるようになる、ということなのである。

 

 

解説は以下の通り。

パソコンのキーボードのミスタッチを防ぐために、外側にあるキー(例Back spaceキー)等は、一度その場所を確認してから操作する人も多いのではないでしょうか。この煩わしい作業を解消するにはどうしたら良いかと当社は考えました。その結果、押したいキーを他のキーより高くすれば良いという結論にたどり着きました。そのキーだけが高ければ、場所を確認せずに大体の当たりで場所を押下すると、そのキーしか触れないため、『見て、確認する』という煩わしい作業が不要となります。そして、キーの高さを高くする補助グッズとして作成したのが、今回、ご紹介する「らく打バー」です。「らく打バー」は柔らかく、弾力性に優れており、押下すると心地良く、癒される感触を味わえます。また、全高5mmなので、ノートパソコンに取り付け、そのまま蓋を閉めることができます。勿論、デスクトップパソコン用のキーボードでの使用も可能です。
※但し、ノートパソコンの機種によっては蓋が閉まらない可能性もありますので、使用前にご確認ください。
「らく打バー」の取り付け方は、とても簡単です。対象のキーの上に「らく打バー」の底面のシールを剥がし、貼り付けるだけです。
あとは普通通りにキー操作をするだけです。
「らく打バー」の仕様と価格
●サイズ/上部面直径約20mm×厚み約2mm、
底部直径約8mm×高さ約3mm、
全高約5mm。
●色/黒(1色のみ)、●素材/発砲EVA(made in china)
●1個 価格180円(税込) 

https://morebetter.official.ec/items/71693724

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敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

2023-05-04 | Weblog
今日は日中に抜け出せず、野中友博さんの葬儀にうかがえなかった。

参加された方から、いいお別れだった、と聞く。

教会での葬儀から移って、火葬となり、それが済んだというときに、その報せを私に届けてくださる方がいた。野中さんはキリスト者だったが、私はその瞬間からしばらく、手を合わせた。

 

彼はウイスキーが好きで、最後に呑んだときバーボンを飲んでいたけど、それはワイルドターキーだった。私がたまたま呑んでいるこのグラスは、ハーパーのロゴが入っているが。そして中身は、ジェイムソンなのだが。
献杯である。
彼が好きだったというか、常に呑んでいたウイスキーの銘柄は、また別である。
 
私が彼の柩の傍に置いてきたウイスキーも、祭壇に飾ってあった、という。
そのボトルを無造作に置いたとき、「12年物!」と言った奥さんの美穂子さん、素敵である。さすが野中君の相方である。
 
ご参列の皆さんはおおいに(!?)献杯されたことと思う。
 
 
写メで送っていただいた「教会の式次第」に、
 
 
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
 
 
と、あった。
 
 
「牧師さまの話も終始その話でした」という。
 
 
 
彼は、「非戦を選ぶ演劇人の会」で野中君も中心メンバーとなって円城寺あやさんらと作った、あの憲法の冊子を、左胸の上に抱いて行った、という。
 
憲法記念日に葬儀という、そういう仕掛けだったのか。
泣かせるなよ。
 
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ブロードウェイ最新版『人形の家』の要の一つ

2023-05-03 | Weblog

ブロードウェイ最新版『人形の家』の要の一つは、この照明である。

前回の記事に以下のように記したことと関わる。

「昨今あらためて商業主義が指摘されるブロードウェイ作品とは思えない、素舞台。舞台上はからっぽだ。裸の劇場内部が丸見えだが、俳優の身長高よりちょっと上のラインから下は、舞台床も含めて、真っ白に塗られている。それは照明がかなり美術と演出の領域に侵蝕して「攻めている」からで、ハイテクも共存させることで、おそろしくシンプルでありながら、効果的である。」

 

「攻めている」根拠の一つが、写真のこれである。考え方としては、「気づかせない」「意識させない」「見せない」ことを創出するために、やっていることでもある。

意識してしまうギョーカイ人の私たちは、それはそれで仕方ないのだが、ともかく、「やってるやってる」と感じる楽しさ、でもある。

まあ、上演を観ないとわからないかな。

 

実のところ、私の『屋根裏』の時の照明と美術の噛み合わせは、ある部分類似していて、この考え方に拠っている。私は照明じたいを動かしはしなかったが。

 

 

 

前の記事 ↓

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/535f517b2a0423461be1ff2a55289b18

 

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