黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

平泉紀行(初めての柳之御所)

2019-07-25 22:18:41 | 陸奥国
ののこねーちゃんは、獅子丸が好きなようです。
最近、お散歩の前後に獅子丸のサークル前に寄りシッポを振ってます
弟という意識はないようです
ひめちゃんと七海ママは、獅子丸の養家に時たま寄ってましたから、きょうだいの意識・息子という意識が持続していると思います。
いくつかの病気を抱えたののこねーちゃんは、恋の季節も来ないことが多かったです。
ところが、この春久しぶりに、そして今また来ているようです。
獅子丸はどう答えていいかわからないようです。




平泉町内循環バス「るんるん」を、無量光院跡で下ります。





あれ、作業中でしょうか?
ちょっと立ち入りは無理みたいです。

説明板があります。



極楽西方浄土を再現した12世紀(平安時代)の仏教寺院の貴重な例」とあります。
残念ながら、見学は無理みたいです

さて、次の「るんるん」が来るまであと30分、どうしよう
そうだ、歩こう
柳之御所まで歩こう

地図を取り出して、確認します。





南に少し下り、1ヶ所左折すれば柳之御所に行けるはずです。
まもなく、古いながらも表示があります



左折してから上り坂をしばらく行きました
人家が途絶え、しばらく行くとやっと「柳之御所史跡公園」の表示がありました





平安時代(12世紀)の居館跡で歴史書「吾妻鏡」に4記載されている「平泉館(ひらいずみのたち)」に比定されている。藤原氏の政務の場所と考えられている。



そうだったんですか
知りませんでした

高館は行っても、無量光院跡や柳之御所は知りませんでした

かつて「るんるん」で通ってもさほど気になりませんでしたけど、今回は是非訪れたい場所だったのです

少し高台になってます。
広いです。







とにかく広いです。

全体のイメージがつかめそうな説明板があります







池も復元されています。






無量光院へも直接行けたようです。



柳之御所は堀で囲まれていたのですね。



元来た道に戻り、平泉駅を目指します
途中道の脇に伽羅御所入口の表示があります。



本当に指標だけでした
写真の奥に見える踏切の左が平泉駅です



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平泉紀行(お久しぶりの高館義経堂)

2019-07-24 21:57:39 | 陸奥国
昨夜は激しい雷雨に見舞われました。
雷雨が始まる前から小次郎パパと獅子丸は、「怖いよー、怖いよー」と大騒ぎです。
ひめちゃんとおねーちゃんたちは、静かに小屋に潜ってます。
雷に対する反応はパパと息子に共通のようです。
明け方まで続いた雨も、お散歩の時間にはほぼ上がりました。
ひめちゃんと獅子丸は堀之内を、北の方に歩いてきました。
行き会ったのは、颯爽と自転車をこいで職場に向かう、外国人のお姉さんだけでした。





仙台2日目は、駅前から高速バスで平泉に向かいました。

終点中尊寺で下ります。
中尊寺に寄ってしまうと、時間が足りなくなるので、今回はパスです。
まず、マイナーな所を廻ります。


平泉町内循環バス「るんるん」を待つ間、フト見ると「弁慶の墓」があります





中尊寺はなんども訪れていますけど、初めて気がつきました

弁慶の遺骸をここまで運んで葬ったのですか


これから義経の館跡・高館(たかだち)に向かいます



赤いルートが「るんるん」のルートです。
バス停で乗って、で下ります。



あじさいがまだきれいに咲いています



汗だくになって前に見える階段を登ると、右手に受付があります。

昔はこんな階段あったっけ?
こんなに汗だくになったっけ?
るんるんなんてなくて、たぶん平泉駅から歩いてきたんだと思うけど


拝観料を払い、御朱印もいただきます



さらに少し登って、見晴らしの良い所に出ます



「におい優しき北上の・・・・・・」というイメージの北上川がながれる絵のような風景です


左手に高館義経堂です。
ここが義経の館跡ということです。
義経を守るために弁慶が無数の矢を射かけられたのもこのあたりでしょう。
まあ、さっきの弁慶の墓まで直線距離ならさほど遠くはないのですけど。



高館義経堂のご本尊は、義経の木造ということです。
では、アップで



あじさいがきれいです





階段の反対側に、芭蕉句碑があります。



夏草や兵どもが夢の跡

あったっけ?
記憶にありません


何十年か前の若き日に、平泉駅から自分の足で歩いてきました。
何もなくて、人家もなくて、ただ小さなお堂がぽつんとあっただけだった様な気がします
隔世の感と言うのでしょうか

義経大明神の木造も記憶にありません
せも、北上川がみえる風景には記憶があります

なにはともあれ、再び訪問できたことはよかったです

バス停に戻り、「るんるん」を待ちます。



バスで無量光院跡に向かいます




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸奥国分寺跡(白山神社と天平回廊)

2019-07-23 21:33:28 | 陸奥国
夕方、ひめちゃんは獅子丸と、山上城の東の方をお散歩しました。
獅子丸の元養家の近くで、草むしりをしているおばあちゃんがいました。
「あ、おばちゃんだ
獅子丸が突進していきます。
気がついたおばちゃんは、鎌を片付け、彼の頭をなで、抱きしめてハグハグして頬ずり迄してくれます
ひめちゃんは、おばちゃんは悪い人ではないと理解しましたけど、用心しています。
シッポをふりながら、軽く吠えています。
獅子丸はいっぱいハグハグしてもらって、大満足です。
ありがとうございます
雲行きが怪しくなったので、家路を急ぎます。





準胝観音堂から薬師堂に戻り、東にある白山神社に寄ります。





説明板(昭和30年)には、「陸奥国分寺創建期に地元の守護神として祀られた」とあります。

仙台市のHPでは、
国分寺薬師堂の北東にある神社。陸奥国分寺とともに建立されましたが、戦火で焼失し、のちに国分重盛が再興、さらに江戸時代に入ってから正宗が仙台総産土神(うぶすながみ)と定め・・・・・・・・・」とあります。


拝殿で参拝した後、左側から回り込みます。
たくさんの境内社があります





本殿です。



端正なクラシックな神殿です
本殿前に狛犬があります。





なんとなく薬師堂の狛犬と似ています



薬師堂の境内を散策しながら、仁王門を出ます。




やっと天平回廊です







一昨年来た時は、建設中でした
昨年来た時は、できたてのホヤホヤでした
今年は、朱色が落ち着いています

伝統工法で建設したけれど、現代の耐震基準にも考慮したとあります。

奥のガイダンス施設でパンフレットいただき、じっくり展示も見ます。

「陸奥国分寺は多賀城国府から10㎞離れている。普通は4㎞位なのに。何か特別な理由があったのでしょう。」とあります。
いったいどんな理由があったのか、ぜい知りたいところです





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸奥国分寺跡(婦人の守り本尊・準胝観音)

2019-07-22 16:31:36 | 陸奥国
雨模様の日が続きます
ひめちゃんたちのお散歩も、雨を避けて、けっこう大変です。
今年はひめちゃんちに、ハスの花が咲いていません。
去年はきれいにさいたのですけど。

ちょうど12年前の今頃、七海ママと小次郎パパは、天幕城趾(てんばくじょうし)の赤堀ハス園に行きました。
伊勢崎市になりましたけど、ひめちゃんちから10分くらいです。





ママよりずーと小さかったパパは、いつのまのかママよりずーと大きくなりました。
タバサねーちゃんもののこねーちゃんも、まだ生まれていません。
もちろん、ひめちゃんも生まれていません。





薬師堂で、薬師堂の御朱印と一緒に、準胝観音(じゅんていかんのん)の御朱印も戴きました。



仙台市のHPによると、準胝観音は

享保4年(1719)に、5代藩主吉宗の夫人長松院が建造し、準胝観音を寄贈しました。準胝観音は婦人の守り本尊で、6代藩主宗村が母の志を継いで、延享2年(1745)に、再建しています。



ぜひお参りしていかなくてはなりません

薬師堂に隣接の準胝観音に向かいます。



鮮やかな朱が映えてます

道の右手にある心字池の畔に、目立つ石造物があります。



観音堂の左にも、目立つ石造物があります。



特に左の如意輪観音は、端正な顔立ちの美人です

向こうに天平回廊が見えます。


観音堂で、靴を脱いで参拝しました。
残念ながらどんなに目をこらしても準胝観音のお姿は見えません。
でも、心を込めて合掌


裏にも石造物がいっぱいです。







「山神」は、かなり個性的です。
「三猿」もはっきり分かります。


池の方に戻る途中、黄色いレインコートを着た黒柴の姿が遠くに見えました。
慌ててシャッターを切ったけれど、ボケボケになってしまいました


気を取り直して、芭蕉句碑です。





あやめ草足に結ばんわらじの緒


世の中が太平になって、文芸も盛んになっていたんですね


石造物が、みんな端正で優しく感じられました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸奥国分寺跡(薬師堂と天平回廊)

2019-07-21 21:43:52 | 陸奥国
ひめちゃんは獅子丸と、元気にお散歩しています。
七海ママとお散歩しているときは、いくつになってもお転婆な娘でした。
獅子丸とお散歩するようになって、少しおねーちゃんになったようです。
お散歩コースも主張しています。
獅子丸も従っています。





上下があるわけではなさそうだし、不思議な関係です。






先週、杜の都仙台に行ってきました。
遠い遠い昔、青春時代を仙台で過ごしました。
時としてたまらなく懐かしくなります。
16日の午後、ホテルにチェックインあと、陸奥国分寺跡に出かけました。

地下鉄東西線で、3つ目が陸奥国分寺跡の「薬師堂」駅です。

駅をでてまもなく、見たことがある風景に出会いました。






今は「現在地」にいます。




陸奥国分寺の薬師堂は、慶長12年(1607)に伊達政宗が造営したとあります。




実は去年も訪れています。
去年は、天平回廊の奥にあるガイダンス施設に、先に寄りました。
親切なボランティアガイドさんがいて、いろいろ説明してもらいました。

天平回廊の朱色が、去年より何となく落ち浮いた感じがします

でも、薬師堂の御朱印がほしいので、お寺の事務所が開いているウチに、先に寄ります。

南大門跡の仁王門に向かいます。
超クラシックな門です



去年、ぶら下がっている草鞋(わらじ)の意味がわかりませんでした
その後、足腰が丈夫になるようにという祈願だと知りました

仁王様には彩色がないように見えました
でももしかしたら、長い年月に色あせてしまったのかも知れません




仁王門をくぐり進むと、中門跡があります。



確かに礎石があります
去年は気にもなりませんでした。

さらに進むと、狛犬がいます









ちょっとというかかなりというか、個性的な狛犬です・
魔を退散させる力がありそうです
陸奥国分寺薬師堂には、狛犬がいるのです


左手にある事務所で御朱印をお願いします。



よく考えたら当たり前だけど、薬師如来がご本尊ですね。
薬師如来はもともとは、病気を治してくれる仏様でしたけど、やがて、いろいろな願いも叶えてくれるありがたい仏様になっていくのでしたね







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする