黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

その頃桐生又兵衞という者あり(松嶋御使者の事、同水死、付けたり、桐生待ち伏せの事・その 2)

2024-12-06 21:09:01 | 桐生老談記の世界

夕方、ひめちゃんは南の方にお散歩です。

よほどの事が無い限り、中学校の信号付近まで行ってきます

20年位前から、売れる土地はここら辺までと言われていたそうです

確かにここより上は、不便になります。

お店もなくなりました

桐生市に合併してから、バス路線も廃止されました

どうなっちゃうんだろう

でも、自転車で上の方に帰る中学雨声は結構います

 

2019年11月のある日の、ひめちゃんと獅子丸です。

この頃は、この道を直進して堀之内を出てました。

岩神沼、時にはさらに上の童沢貯水池&新沼まで行っていました。

この日は、岩神沼までだったようです。

もう初冬の雰囲気です

 

 

 

松嶋御使者の事、同水死、付けたり、桐生待ち伏せの事・その 2

水はげしく、岩石しのぎをけずって流れ上がりかねたる岸なれば、松嶋無双名人しかも名馬に乗りたれども大勢にすがられ、水に溺れ、やたけの心の力も尽きて、上下十六人ともに、これぞ三途の川、瀬ぶみして同じ波間に沈み行く。最後の程ぞ無念なり。

然るに松嶋が本道を行かず、小道に懸かりかように水死いたすこと、その故を尋ねけると、その頃桐生又兵衞という者あり。かの淡路守へ申し談ずべきことありて、七八騎にて控えしが、松嶋水死と聞くよりも、早速場を退きけり。松嶋此の待ち伏せを恐れたるにあらず。ただ使者の妨げになる事を思い、さて小道に懸かりけり。

その後、松嶋が一門、淡路守水死の敵なりとて、桐生又兵衞を折々ねらいける断りなり。去れば松嶋水死の事、その日の辰の刻に早打ち立て、新田へ訴えんとしたれども、澄む水心に任せねば、桐生の城代へかくと注進申されけり。



あらすじです。


渡良瀬川は激しい流れで、松嶋が水練の名人でそのうえ名馬に乗っているといっても、大勢にすがられて水に溺れて、武士の意地も尽きて、主従16人もろともに波間に溺れ死んでしまいました。
松嶋が、本道を行かずに、小道を行って水死したのには訳があります。
そのころ桐生又兵衛という者がいました。
松嶋淡路守に言うことがあって、7、8 騎で待ってました。
松嶋の水死を聞くと、早速離れました。
松嶋は、この待ち伏せを恐れたのではありません。
使者の役目の妨げになると思って小道に避けたのです。
その後松嶋の一門は、又兵衛を松嶋淡路守の敵だとしてねらったのももっともです。
松嶋水死の事は、その日に午前8時前後、早馬で新田にしらせようとしたけれども、水が引きません。
しかたなく、桐生の城代に知らせたのです。

 



陰暦10月に、渡良瀬川が大増水したのです
梅雨時や雪解け水でもなさそうです。
台風の季節も去ってます。
黒川を責める前に、黒川衆の言い分を聞こうとして派遣された松嶋淡路守は、水死します
彼は、本来の道を避けたのです。
桐生又兵衛の待ち伏せを避けたのです



桐生又兵衛については、一件だけ資料があります。
ただ、同一人物かどうかわかりません

桐生にも青蓮寺というお寺があります。


由良成重が、新田からもっていったという時宗の寺です

ここに頸継地蔵(くびつぎじぞう)というお地蔵様があります。

継地蔵の御朱印です




桐生又兵衛という人が、落人狩りの網を逃れて無事に首がつながったという故事にちなんで、頸継地蔵というようになったということです

 

 

初稿  2020.01.08  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.12.06

 

 



(  松嶋御使者の事、同水死、付けたり、桐生待ち伏せの事    終  )

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする