黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生の裏切りに及ぶ事計り難し(国重公立腹して久留川責め軍評定の事・その 2)

2024-12-01 20:44:06 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは堀之内を西に出て、山上城の北側を歩いてきました。

雪をかぶった浅間山がきれいに見えました

 

2020年1月、雪の朝のお散歩です

 

このころは、まだ七海ママの元気で、末っ子たちとのちい散歩(そこらまでの散歩)をしていました

似ていないようで、よく見ると似ているところのある親子・きょうだいです

 

 

 

国重公立腹して久留川責め軍評定の事・その2

「仰せの如く桐生は信玄公の代より今勝頼の御代まで、代々桐生の武役は武田家に勤め候。これにより久留川の者ども、桐生の支配を請けては又者なる事残念に存じ、武田より直ちに支配を願うと存じ候。

今更久留川の武役延引に及び候わば、勝頼ほどの猛将、忽ちに出陣致し当家をあらそわんこと必定なり。

併るに彼らは武田の代官真田としたしき由承り候。

かよう様の大家に近づく心底計り難し。何様大家の威勢をかって、桐生の裏切りに及ぶ事計り難しと申されけり。


あらすじというか大意です。

(藤生紀伊守が答えて言うには)「おっしゃるとおり、桐生は信玄公の代から今勝頼の御代まで、武田家に武役を務めてきました。
こういうことなので、黒川衆は桐生(由良家)の支配を受けると家来の家来になってしまう事を残念に思って、武田の直臣になることを願っています。
黒川衆の武田に対する武役が遅くなると、勝頼ほどの猛将が、きっとたちまち出陣して当家(由良家)と戦うことになるでしょう。
おまけに、彼ら黒川衆は武田の代官真田と親しいという話です。
このような大家に近づく心底は分かりません。
真田の威勢を借りて、桐生(由良家)を裏切る可能性大です。


ちょっとわかりにくい話です
今桐生を支配しているのは由良家です。
けれども、この話だと由良家の上には武田がいるのです

武役とは、武士としてのおつとめです。
人を派遣したのか、税金を払ったのか?

武田が桐生を支配したことがあるのかは分かりません


けれども、上杉謙信死後の御館の乱後、武田勝頼が東毛にまで進出したことがありました。
有名な膳城の素肌攻めもこの頃の事だそうです

山上城にも、武田が多く使用した「丸馬出し」があったそうです

(発掘されたけど、埋め戻されてしまったようです。)


でも、武田氏の東上州支配は長く続きませんでした。
天正10年、織田信長の甲斐侵攻によって滅亡してしまうのです

 

 

初稿   2020.01.09  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿   2024.12.01

 

 

 

(つづく)

コメント
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