今日は激寒の予報です
おかあさんは、冬タイヤに交換のため、車屋さんに出かけます。
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、おうち犬でお留守番です。
2020年1月の黒柴家族です。
七海ママは15歳と7ヶ月、まだまだ元気に末っ子たちと昼散歩していました
一見似ていないような3名ですけど、よく見るとあちこち似ています
桐生新田勢揃い出陣の事、付けたり、桐生使者討ち死にの事・その2
ここにまた新田勢は後陣にて、金谷因幡守を大将にて、薗田、岡田、萩原、関口、中里、大津、野田、岩下、津久井、伏嶋、布目、梶、彦部、小泉、寺田、板橋、矢野、嶋田、峯岸、松下を始め、宗徒の人々十九人、上下百六十騎、先陣に進み、
このほか、浜田匠之介を物頭にて、薮塚、長岡、成塚、菅塩、神戸、鳥山、金井の地侍を匠之介が旗下に付けて、阿左美の原にて勢を揃え、都合四百八十人、桐生勢と同時に打立てけり。
かくて新田勢は奈良坂を超えて、梨木峠の上の原に着き、着陣して桐生勢を待ち合わせける。
さて桐生勢は、塩原神明の森に各陣をとられけり、
あらすじです。
新田勢は金谷因幡守を大将に、薗田、岡田、萩原、関口、中里、大津、野田、岩下、津久井、伏嶋、布目、梶、彦部、小泉、寺田、板橋、矢野、嶋田、峯岸、松下を始めとして、宗徒の人々十九人、上下百六十騎で先陣に進みます。
このほか、浜田匠之介を物頭にして、薮塚、長岡、成塚、菅塩、神戸、鳥山、金井の地侍を、匠之介の旗下に付けて、阿左美の原で軍勢を揃え、都合四百八十人、桐生勢と同時にしっかり準備をしました。
かくて、新田勢は奈良坂を超えて、梨木峠の上の原に着き着陣して、桐生勢と待ち合わせました。
その桐生勢は、塩原神明の森に陣をとりました。
由良勢は桐生と新田(太田)から、黒川衆を攻撃します。
新田勢の総大将は金谷因幡守です。
総勢160騎です。
宗徒とは、宗教関係者、僧侶でしょうか?
浜田匠之介は物頭(ものがしら)、つまりナンバー2です。
薮塚、長岡、成塚、菅塩、神戸、鳥山、金井の地侍を配下に召集します。
やぶづか、ながおか、なりづか、すがしお、とりやま、かない、太田市に現在もあるの地名です。
金井は旧新田町の金井、ジョイフル本田・新田店の辺りです。
神戸は強戸(ごうど)でしょう。
作者は、大田の地名をよく知ってます
金山城の西や北の地侍を動員したのです
阿左美の原で軍勢を揃え、全部で480人、桐生勢と同時にしっかり準備をしました。
東部鉄道桐生線に「阿左美駅」があります。
付近は再開発が行われて、まるで六道の辻のように道路が集まってます
余計なことですけど、阿左美駅の次は新桐生駅です
ここは黒川谷方面の少し南です。
さて、桐生勢は塩原神明の森に陣取ったようですけど、塩原神明とはどこか?
塩原明神の写し間違いなら、塩原神社(みどり市大間々町塩原)ということになりそうですけど
『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々町の寺社』によれば、塩原神社は明治40年に近隣の7社を合祀して成立した神社であるということです。
そうすると、塩原神明の森は、塩原にある神明社の森であるようです
『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々町の寺社』(平成9年)に塩原神明社の写真と地図があります。
46が神明社です。
渡良瀬川にも近く、こちらの方が陣を構えるに向いていそうです
黒川衆の番所のある手振山とも、渡良瀬川をはさんで向かい合ってます。
ちなみに、塩原神社は42、里見兄弟の墓は39です。
初稿 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.12.09
(つづく)