黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひとまづ御使者を以て彼らが心底聞こしめしそうらえ(国重公立腹して久留川責め軍評定の事・その 3)

2024-12-03 18:33:03 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは堀之内を北に出て、高縄の磨崖仏裏から回り込みました。

高縄の磨崖仏は、上野国山上の浄土信仰の大切な記憶だと思いますけど、参道に障害物が置かれています。

久しぶりに、やっと寄りました。

靴を履いていないひめちゃんの足を気をつけながら。

新里の人は忘れてしまったのかな

更に哀しきかな、桐生市指定重要文化財・高縄の摩崖仏

上野国山上は、すごいパワースポットだったと言うことを

 

2021年12月の黒柴家族です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんで、よく岩神沼に行っていたようです。

岩神様は高縄の磨崖仏のことですね

楽しかったね

 

 

 

国重公立腹して久留川責め軍評定の事・その 3 

 

国重公聞こしめして、「武田の威勢に恐れて、彼らにわがままいたされしこと心外なり。その上この方里見兄弟をも加担等々致すこと、これ以て不届き至極なり。軍勢を催し、追い散らし申すべし。」と仰せられけるに、

大沢下総承りて曰く。「彼らが心底も聞き届けず、理不尽に押し寄せ申さること、世上の聞こえあざけりもはづかしく事どもなり。これ当家の武威の不足のところなり。ひとまづ御使者を以て、彼らが心底聞こしめしそうらえ。」ともうしければ、

一座の人々同心して、松嶋淡路守は隣郷といい、勇知才覚者なれば御使者と定められけり。

 


あらすじです。

(黒川衆が武田に接近している事を聞いて)国重公は
「武田の威勢を恐れて、彼ら黒川衆に我が侭をされたことは腹立たしく残念である。
その上里見兄弟にも加担したことは、不届き至極である。
軍勢を派遣して追い散らしてしまおう。」とおっしゃった。
それを聞いて、大沢下総守は言いました。
「彼らの本心も聞かないで、理不尽に押し寄せると、世間でとやかくいわれます。
これでは当家(由良家)の武家としての威光に傷がつきます。
ひとまず使者を派遣して、彼ら(黒川衆)の本心を聞いて見るべきです。」と言った。
一座の人々は、そうだそうだとなりました。
そして松嶋淡路守は、隣の郷の領主で勇気も才覚もあるので、御使者に決まりました。

 



松嶋淡路守は、隣の郷の領主と言ってます。
でも、実はりっぱな黒川衆です
桐生氏を早くに見限り、由良氏に接近していたともいいます。
小中(こなか)城主だったとも言われているようです
そして、小中城はわたらせ渓谷鉄道・小中駅の西方の高台にあったそうです

え、そのあたりは行ったことあります
鳥海神社・大蒼院を含む一帯が小中城です


鳥海神社です。



鳥海神社から見下ろした大蒼院です。

大蒼院は、山上の常広寺の実質的開山・常広院殿(明巌鑑察大和尚)が天文年間に開いたお寺です。

常広院殿(明巌鑑察大和尚)は、黒川衆とどんなつながりがあったのでしょう

そして、どうして山上にやってきたのでしょう?

松嶋淡路守は小中城主だったんですか

 

初稿  2020.01.12

改稿  2024.12.03


( 国重公立腹して久留川責め軍評定の事  終 )

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