黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤城村紀行総集編7(蜂蜜に惹かれて赤城村のパワースポット)

2024-04-24 23:27:31 | 赤城村紀行総集編

冷たい雨の一日でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、一日中おうち犬で過ごしました

そろそろ、お外のお部屋で夜も過ごし他方がいいと思うのですけど。

 

元記事の頃(2022年3月)

2人は朝散歩の帰り、よくケンくんちに寄ってました

ひめちゃんは、ケンくんが大好きでした

タバサねーちゃんもつられて、ケンくんが好きになりました

 

 

 

(2022年)2月19日、旧赤城村(渋川市赤城町)の蜂蜜屋さんに出かけました。

雪の翌朝だけど、スタッドレスタイヤを履いてるし、まああ大丈夫でしょう。

親戚から、ビン入りのそば蜂蜜をもらいました。

体に合うような気がして、追加を求めます

ネットでいくら検索してもでてこない業者さんの製造なので、ビンに記載の住所をナビに入れて出発です

 

国道353号線、さほどの雪はありません。

溝呂木の信号で353号線に別れを告げ、赤城インターの下をくぐり道なりに紆余曲折、県道157号線に入ります。

沼尾川沿いに、ナビに従って進みます。

そのうちに、日陰の凍っている道を指示されます

戻る訳にも行かずになんとか通過、集落が開けます

 

坂道の途中で、ナビは「目的地に到着しました。」ですと

らしきお店はありません

ご近所に聞きに行きます。

 

ちょうど出かける車があります

「あのう、ここらへんに蜂蜜屋さん、ありませんか?」

「さあ、分かりません。」

後ろの座席のおじいちゃんが、「○○のウチだよ。」

運転手の人も知っているウチだったようです。

「あそこですよ。坂の左のウチですよ

「ありがとうございます

 

 

なんとか到着です。

すると、すぐに軽トラが帰ってきました

ご主人が帰ってきたのです。

 

偶然が重なって、念願のそば蜂蜜を手に入れることが出来ました

ありがとうございます

また農繁期前に来ることを約束して帰ります。

 

 

帰り道、ちょっと気持ちにゆとりが出来て、風景を見ながら帰ります

 

あれ、地味なお宮です。

何様かな?

八坂神社かな?

 

 

道の反対側の風景です。

畑にはまだしっかり雪があります。

黄色いのは高速道路です。

高速を右にしばらく行くと、長井坂城趾があるということです。

右端中央に、赤い屋根の気になる建物が見えます。

 

 

ちょっと寄って行きます

ご本尊様は、まだおいでかな?

天井絵があります

まだ色彩が残ります

壁にも絵があったかな?

なんとなく、小平の成満院を思います。

もしかしたら、修験道の寺院だったかな?

 

お外の石造物の皆さんです。

墓石はなく、祈りの記憶だけあります。

江戸時代、修験道の寺院は葬式を行うことが許されず、祈祷のみ許されたとか。

修験者がいたかも

合掌

 

 

道なりに県道に戻ります。

沼尾川沿いに下ります。

 

 

(つづく)

 

 

この冬は、雪を避けるため、少し蜂蜜の買いだめをしました。

そろそろ、蜂蜜屋さんに行こうかな

 

 

初出 2022.03.08 カテゴリー群馬県・旧勢多郡

改稿 2024.04.24

 

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赤城村紀行総集編6(赤城山・旧一の鳥居)

2024-04-12 23:20:32 | 赤城村紀行総集編

晴れて暖かい朝でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。

 

写真は元記事(2021.06.21)の写真です。

この少し東を歩いてきました。

この頃、ひめちゃんは、基本的に獅子丸とお散歩してました。

ひめちゃんが大好きなケンくんと行き会ったときは、用心が必要でした

 

 

 

(2021)

5月31日、以前から気になっていた「赤城の大鳥居」の旧鳥居を訪ねました。

まず、大鳥居下のコンビニに寄って、アイスコーヒーで一休みです

 

元気になったところで、大鳥居目指して歩きます。

右折する予定なので、道の東側に渡ります。

特徴のある「赤城山」の額が見えます

 

信号を渡って、「旧一の鳥居入り口」の→で右折します。

 

少し行くと、小高い所に赤い鳥居が見えます。

旧一の鳥居です。

あの特徴のある「赤城山」の文字があります

説明板です。

 

この鳥居は江戸時代後期の宝暦11年(1761)に小暮村(玄前橋市富士見村小暮)の人たちにより赤城山信仰のシンボルとして小暮村内に建てられたが、天明4年(1784)に小暮の十字路に移され、大洞赤城神社の「一の鳥居」として親しまれてきた。昭和40年(1965)に有料道路建設に伴って解体され、赤城山頂大洞の旧赤城神社に移築された。しかし山頂の風雪による傷みが激しくなったことから、平成6年に現在の小暮神社に再度移転された。~(中略)~鳥居上の扁額は、江戸後期の僧侶で書道家の「角田無幻」の書である。

 

旧一の鳥居の由来もあります。

 

角田夢幻書の「赤城山」、いいですね

そのうちに、角田夢幻の記憶も訪ねてみたいなあ

 

鳥居をくぐって、シンプルなすっきりした拝殿です。

2礼2拍1礼で参拝です

 

シンプルな拝殿の割には、しっかりした本殿です

 

社殿の西には、石造物です。

大きな念仏供養塔があります

 

「法印」とあります。

和尚さんの墓標のようです。

 

境内にかつてはお寺があったかな?

 

隣は富士見児童館ということです。

小暮幼稚園跡地だったのですね。

 

鳥居を出て帰ります。

鳥居をためつすがめつ、見ながら帰ります

目立たないけれどしっかり「願主 小暮邑中」としっかりあります。

宝暦十一辛巳歳十一月吉日とあります。

小暮村の人々の思いが詰まった鳥居です

 

帰りは大鳥居の西側を辿ります。

富士見カルタがあります。

鳥居の先は有料道路だったのです。

 

信号の南には、赤城山登山口の道標です。

ここからは有料道路を上らなければ、赤城山には登れなかったのです。

それで、有料道路を避けて、三夜沢から上ったという話もあります。

そんな時代もありました

 

 

 

赤城山周辺には、角田無幻書による石造物もいくつも残されているようです。

赤城歴史資料館の企画展「修験者無幻道人~後世に伝える金石文~」(渋川市教育委員会 平成4)を眺めながら、何処を訪ねようかなどと考えています

上野国府かもといわれているあの宮鍋神社(もしそうならば、平将門はここで新皇宣言をしたことになります)、そこにある道祖神も彼の書によるとあります。

何度か行きましたけど、気がつきませんでした

今度は、道祖神の書を確認に行きましょう

 

 

初出 2021.06.21  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 赤城山・旧一の鳥居

改稿 2024.04.12

 

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赤城村紀行総集編5(棚下の十二さま)

2024-04-10 22:53:17 | 赤城村紀行総集編

晴れて暖かい一日でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、2日ぶりに、昼間はお外の自分のお部屋(サークル)で過ごしました。

週末は、夏のように気温が上がるとか

さて、完全お外犬になれるかな

 

元記事の頃(2021年5月)、ひめちゃんと獅子丸は、よく東の牧場のヤギさん家族に逢いに行っていたようです。

 

獅子丸は実家に帰って、ひめちゃんと一緒に東の牧場に行って、初めてヤギさんに会いました。

それ以来、お気に入りのお散歩コースでした

 

 

 

  

(2021年5月7日)棚下不動尊から、県道255号線を北に上ります。

ほどなく、「棚下十二さま」ですって

矢印に誘われて、ちょっと寄り道です

 

駐車場が見当たりません

隣が空き地のようなので、ちょっと失礼します

「赤城村立棚下小学校 百周年祈念碑」があります

廃校になってしまったのかな?

でも、だれかいるみたい

「神社に参拝です。校庭の隅に駐車させてくださいね

 

 

鳥居から参拝です。

額は「十二宮」です。

村社大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)とあります。

拝殿の額は、大山祇神社神社です。

鈴をならしたつもりで、2礼2拍1礼です

 

拝殿の左に、由来があります。

余りよく文字が見えません

「寛永年間棚下村の総鎮守、舞台を棚下小学校校舎」等の文字が見えます。

元々の大山祇神社に、明治時代にたくさんの地域の神々を合祀し、さらに小学校も境内に建ったのでしょう

 

社殿の西側には、合祀された神々がいっぱいです。

角度を変えると、上越線の線路が見えます

 

裏にも石宮です。

本殿は、脇殿もあるりっぱな造りです。

 

後ろの石殿の中においでの方々です。

石殿の中に石造物、大きな願いがこもっているのです。 

右の枝のようなのは何だろう?

 

社殿の周りを一周してきました。

小学校の敷地を含めると、かなり大きな神社です

村社大山祇神社、納得です

小学校がなくなって、ちょっと寂しい村の鎮守様です

 

 

県道に戻って、上越線の下をくぐります。

 

うわー、クラシック

まだ現役で人々の往来を支えているのです

 

 

沼田街道・森下宿に出ました。

画面奥からやって来ました。

 

思いがけず棚下不動尊に参拝し、棚下不動の滝にもたどりつききました

さらに棚下の十二さまにも参拝できました

本日の目的地・沼田歴史資料館は、又の機会にしましょう

17号方面で帰るのが無難ですけど、このまま道なりに、道の駅・あぐりーむ昭和に出ます。

この間来た道を逆に、家路を辿ります

 

 

沼田街道・森下宿に出たことがあったのでした

沼田街道は、最近たどり始めたところです。

そのうちに森下宿も再訪する予定です

 

初出 2021.05.31   カテゴリー北毛紀行 棚下の十二さま

改稿 2024.04.10

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赤城村紀行総集編4(赤い鳥居の棚下不動尊・その3)

2024-04-03 22:55:02 | 赤城村紀行総集編

元記事の頃(2021年5月)、笑顔のひめちゃんです

 

最近は、笑顔が少なめです

この頃は、もう梅雨間近だったのでしょう。

獅子丸とひめちゃん、貧乏カッパでお散歩の日もありました。

ビニール風呂敷を、首の下とおなかで結ぶだけの、簡易レインコートです。

いつの頃からか始まって、今日まで続いています。

今日も、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です

 

 

 

棚下不動(たなしたふどう)の滝を目指して、上ります。

だんだん、滝が近づいてきます

滝の向こうに、お堂も見えます

 

 

瀑布(ばくふ)という感じです

 

滝の裏には、賽の河原(さいのかわら)?

たくさんの石が積まれていました

 

ここも不動堂でしょう

お不動様、いるかな?

しつこく覗きましたけど、見えません

とりあえず、合掌

 

お堂の後ろの岩の中に、石造物です。

摩崖仏ではなく、石造物をよそから運んでいます。

 

おや、奥には閻魔大王様です。

合掌

 

赤い鳥居です

本来の参道の到着地点は、ここだったのです。

落石で崩れたり塞がったりしてしまったんですね

 

滝の裏からの風景をみながら帰ります

恐怖の滝壺ではないけれど、滝壺です。

修験者が滝に打たれている風景があっても、おかしくありません。

パワースポットです

 

坂道を降りてきました。

「SLが見えます。日時はHPで確認して下さい」との貼り紙があります。

後で日時を確認してみましょう

紫陽花もいっぱいあったし、紅葉もあったし、また違う季節に来ましょう

 

もうじき駐車場です

おば(あ)さん達の大きな話し声が聞こえます

「じゃあ、聞いてみようか。」

「大変ですか?」

「楽じゃないけど行ってみる価値ありですよ、頑張りましょう ガンバですよ

おば(あ)さんたちも上って行きました。

 

もう一度、大岩の中から出現した不動明王さんにご挨拶です

さようなら、また来ます

 

 

 

まだ再訪できていません

でも、是非もう一度行ってみたいところです

歩けるウチに

 

初出 2021.05.28

改稿 2024.04.03

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赤城村紀行総集編3(赤い鳥居の棚下不動尊・その2)

2024-03-25 20:47:15 | 赤城村紀行総集編

菜種梅雨(なたねづゆ)です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は一日中おうち犬です。

明日も雨予報、また、おうち犬かな

 

元記事の頃(2021年5月)、ひめちゃんも若かった。

 

 

朝は、獅子丸とお散歩していました。

楽しかったね

獅子くん、ありがとう

 

 

(2021年5月7日)

不動堂に到着です

鳥居があります

手水社の向こうは、双体道祖神かな

どうも同性の二人に見えなくもないけど

 

石造物がいろいろあります。

 

湯殿山・羽黒山・月山、修験道の山ですね。

そうすると、修験系のお堂なのでしょうか?

比較的新しい寄付者名の木札が並んでいます

 

灯籠も新しく寄進されています

ナウい「不動堂」の表示です

 

さて、大岩山不動堂に参拝です。

合掌

 

 

お堂の右後ろに滝が見えます

あれが棚下不動の滝ですね

 

お堂の裏の石造物も確認です。

 

この方が、一番目立つかな

慶応三年(1867)の文字があります。

どなたかな?

 

脇に二十三夜塔とあるので、勢至菩薩ですね

あれ、お地蔵様の首が変

 

こちらは片膝あげてます。

ずいぶんとふくよかな如意輪観音です

 

西国板東奉納供養塔って?

 

不動堂の由緒もあります。

ウーン、ちょっと読みにくい

 

漢字を眺めての大意です。

奈良時代、東国開拓の勅命を受けた大仁鳥臣命は、この地で、人々を苦しめていた暴蛟をやっつけた。後に住民が不動明王を祀った。

 

蛟とは、ウィキペディアによれば、

みずちは、日本の神話・伝説で水と関係があるとみあされる竜類か伝説上の蛇類または水神。

暴蛟(あばれみずち)は、人々を苦しめる悪いやつだったのです。

 

由緒の隣に階段がありますけど、通行禁止です

この階段の参道が、入り口の案内板にあった参道です。

 

鳥居を出て、不動堂右の新しい道で滝を目指します

みんなでいっぺんに上ると、崩れる危険がありそうです

1人ずつ、間隔を空けて上ります。

 

どうも、ここの管理者は、棚下自治会と渋川市らしいです。

お不動様は、自治会によって守られている

 

振り返って不動堂です。

ゼイハアゼイハア、結構きついけど頑張ります

 

(つづく)

 

 

読み返してみると、かなり大変な所です

十分調べたら、躊躇してしまったかも知れません。

偶然通りかかって、駐車スペースも一台分だけ空いていたので、導かれたのでしょう

 

宮田不動尊と同じに1月28日には、棚下不動尊もご開帳があるらしいですけど

また行けるかな?

 

 

初出  2021.05.27  カテゴリー 北毛紀行

改稿  2024.03.25

 

 

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