黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

榧の木の物語総集編5(いつも妙なる法のしら花・同聚院の大カヤ)

2024-02-08 14:20:35 | 榧の木の物語・総集編

3日前は、大雪でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、まるまる2日、室内犬をしていました。

昨日の朝散歩では、真っ白な雪の上を歩いてきました。

雪は凍ってます

前日溶け出した水も凍ってます

でも晴れて、ひなたぼっこをしながら自分のお部屋(テラスのサークル)で過ごしました

ひめちゃんは、室内犬にそろそろ飽きていたようです。

今朝もまだ、日陰は雪が残ってます

気を付けてお散歩です

 

 

 

 

先日(2020年1月)、高崎からの帰りに、伊勢崎の同聚院(どうじゅいん)に寄りました。

ここにも、大榧(かや)があります

新しい山門、仁王様がいる仁王門です

「白華山」が山号なのですね。

奥に見えるのが大榧でしょう

 

右手にもう一つ門があります。

こちらが、同聚院の武家門、伊勢崎藩主稲垣長茂の屋敷門と伝えられている門です。

 

門のそばの石造物も気になります。

この後ろの木は、もしかして榧の木?

 

さて、仁王様にご挨拶です。

 

 

 

木の感じがとっても懐かしい

周囲の風景と、何の違和感もなく混じり合います

合掌

 

 

さてさて、榧の木までどうやってたどり着きましょうか?

庫裏の向こうに、目指す木があります。

堂宇を迂回してたどり着くきゃない

 

 

本堂は鉄筋コンクリートです

大中黒(おおなかぐろ、新田氏の紋所)です

堂宇を通過します。

 

 

 

 あれ、きれいな観音様です

                                             

合掌

 

 

墓地を向けて、やっと到着です

樹齢約600年とあります。

側の建物で、お茶会が開かれることもあるようです。

 

失礼します

今まで見た榧の中で、一番健康そうな榧(かや)です

実が落ちていたので、この木も雌木です

 

 

庫裏に寄って御朱印をいただきます

書き置きの御朱印でした。

はて、何と読む?

雪観音?正観音?聖観音?

 

みやま文庫『上州の観音札所』(平成3、内山信次)に上毛佐波郡観音霊場(伊勢崎佐波観音札所)があります。

  十七番 伊勢崎 同聚院 正観音

本堂は鉄筋コンクリート造り、広い境内には成田山不動尊や、秋葉山三尺坊の社殿がある。

  誰もみな願ひをかくる同聚院いつも妙なる法のしら花

 

白華山同聚院聖観音(正観音)の御詠歌です

 

 

初出   2020.1.20  カテゴリー群馬県・中毛  いつも妙なる法のしら花(同聚院の大カヤ)

改稿   2024.2.8

 

 

  

 

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榧の木の物語総集編4(円空も通った?・浅原薬師堂の大カヤ)

2024-02-03 14:15:31 | 榧の木の物語・総集編

寒い朝ですけど、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出る道に入ります。

直進すると、ひめちゃんが足に2度ケガをした道になります

あのカーブミラーの所を左折します。

ここはミニカーのサーキット場への道でもあり、最近まで、休日には他県ナンバーの車もたくさん押し寄せていました。

この頃は見かけません

今は、新しくできた山上多重塔の隣に押し寄せているようです。

 

 

 

群馬県の巨木で榧(かや)を検索したら、隣のみどり市大間々町浅原(あさばら)にもありました

(2020年1月)大間々町を国道122号線を北上し、突き当たった福岡大橋で渡良瀬川を渡ります。

すぐに右折して、信号2つ過ごし、すぐの細道を右折します。

 

あれ、大きな榧だ

本当に右折してすぐです

 

推定樹齢は約700年とあります

700年前というと、鎌倉時代末期から南北朝時代です。

ずーと人々を見つめ続けてきたんですね

 

 

とりあえず、薬師様にお参りです

薬師様はしっかりしまわれていますけど、隣に昔は鮮やかだった彫刻があります。

何の物語でしょう?

人間ではないようにも見えます

反対側にもう1枚同じような彫刻があります。

 

 

さて、榧の木とじっくり向かい合います。

さすが樹齢700年の貫禄です

 

 実が落ちています

この木は雌木です

まだまだ壮年という感じです

 

 

榧のパワーをもらったところで、周辺の石造物を確認です。

庚申塔はいくつもありました。

道祖神もあります

細い道ですけど、道祖神があると言うことは、昔は幹線道路だったかもしれません

この付近は、その昔、円空が日光に行く途中通って、2体の円空仏を残していったそうです

円空はここを通って日光にいったかのかもしれません

 

薬師堂の敷地内には、五輪塔もあります

 

二十三夜供養塔&三ヶ月不動明王です。

同行者が、ちょっと簡単に拓本をとろうとしたら、肉眼ではよく見えなかった文字が浮かび上がりました

二十三夜の月待ち講では、一般には勢至菩薩を守護神とするそうですけど、ここは不動明王です

 

不思議な形、何だろう?

庚申の文字がありました

 

現代の道路は、まっすぐにまっすぐにと作られます。

昔の道は、けっこう曲がりくねってます。

円空が日光に行くとき、この榧の木をみあげたかも知れません

 

それで、日光方面というか、道なりに東の方に出て、県道に出ようとしました。

ところが少し先は行き止まりになっていて、車は通行不能でした

円空体験は、ほんの少しの時間でした

 

なんとかUターンして、元来た道を戻ります。

途中で見下ろした榧の木です。

おかげさまで、全景が撮れました

 

 

初出  2020.01.18   カテゴリー 群馬県・東毛 (円空も通った?)浅原薬師堂の大カヤ

改稿  2024.02.03

 

あれ以来行ってません。

その内に暖かくなったら、また逢いに行きます

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榧の木の物語総集編3(白柴タバサちゃんの龍興寺参拝記・法印のカヤ)

2024-01-29 20:54:33 | 榧の木の物語・総集編

寒い日が続いていました。

でも、今朝はちょっと緩みました。

朝ご飯の後、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お外のサークルに帰って日向ぼっこです

念のため、小屋の中には湯たんぽが入っています。

 

元記事の頃(2020年1月)、まだ七海ママは、末っ子達とそこらまでのちい散歩が出来ました。

熟女のママは、15才と6ヶ月でした。

あれ、タバサねーちゃんも、今15才と6ヶ月です。

長生きしてね

 

 

 

(2020年1月17日)

タバサねーちゃんは、不機嫌でした。

おかあさんは、お出掛けなのに、連れて行ってくれないのです

「また、今度ね」といいながら、ちっとも約束を守ってくれません

「午前中は歯医者さんだから、午後お出掛けしようね

 

午後、ひめちゃんちから10分未満のドライブコースですけど、(桐生市新里町)関の瀧興寺(りゅうこうじ)に行ってきました。

本来の山門ではなく、東の道から駐車場にはいります。

今は無住のようですけど、きれいに整備されています

向拝には立派な竜です

大きな本堂です

 

 

たしか、大カヤがあったはずだけど

 

ありました

本来の山門からは、しっかり見える位置にあります。

新里村時代の文化財の指標があります。

榧(かや)の木・虚空蔵菩薩ともに、桐生市の指定になってます。

でも、桐生市からは一切資金的補助はないと思います

常広寺の弁財天堂は、桐生に合併するとき、桐生市の重要文化財にしてやるけど一切お金は出しませんと言われたそうです

 

虚空蔵菩薩像は、石造物のはずですけど、まるで衣類を着ているようです

榧(かや)の木は、二股に分かれています。

 

タバサちゃんの足下に何かあります

榧の実が落ちています

この木は、雌木だったのです

 

クンクン、どこのワンコが来たのかな?

タバねーちゃん、耳はほとんど赤柴です

 

榧(かや)の木を見上げます。

説明板はありませんけど、まあ樹齢300年くらいかな?

 

桐生市のHPに、市指定天然記念物として、「瀧興寺の法印のカヤ」がありました。

寺へ入って参道をゆくとまもなく西側に大きな榧があります。目通りは3.8メートル、根廻りは3.8メートルで、樹高は約20メートルもあります。第12世尊盛和尚が、経文100部を読誦していたとき、花瓶のカヤから根が生えてきました。尊盛和尚はさっそくこのカヤを境内に植えました。それは、安永元年(1772)3月21日のことでした。その後、カヤはすくすくと生長しました。そして、そのカヤはいつの頃からか「法印のカヤ」と言われるようになったと伝えられます。

そうすると、樹齢は約250年です

 

 

本来の参道から、境内に入り直しです。

確かに西側に大きな榧の木が見えます

 

境内の入り口に、瀧沢不動尊からの道程の終点を示す76丁抗があります。

桐生市のHPによれば、

その大滝のふもとの堂宇は天明2年(1782)の火災で焼けてしまいました。尊盛和尚はその再建に努力し、記念として不動尊から瀧興寺までの道程に丁抗(1丁は約109メートル)を設置しました。

(尊盛和尚は)やがて瀧興寺は第13世の尊英にゆずり、自らは不動尊の別当(お守りする)になったと伝えられています。

 

瀧沢不動尊ですか

粕川の上流の秘境ですよね

これと同じような丁抗を、関の摩崖仏で見ました

どこからの距離なのかやっとわかりました

 

 

参道を入ります。

鐘楼堂の脇に、ちょっと痛々しい石造物です

 

 

本堂の脇には、赤い帽子がかわいい新しいお地蔵様です

 

 

本堂裏の高台には観音様です。

階段ではなく、本堂裏の坂道から参拝します。

あたちも参拝です

きょうのお出掛け、満足満足

またそのうちに、お出掛けしようね

 

 

初出  2020.01.17  カテゴリー群馬県・旧勢多郡 白柴タバサちゃんの龍興寺参拝記(法印のカヤ)

改稿  2024.01.29 

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榧の木の物語総集編2(歴史を見つめた榧の木・横室の大カヤ)

2024-01-24 15:30:12 | 榧の木の物語・総集編

寒い寒い朝です

今日は気温が上がらない予報なので、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、室内犬します

 

元記事の頃、2020年の1月のひめちゃんと獅子丸です。

東の牧場にヤギさん家族に、逢いに行ってました

これはヤギパパかな

 

 

 

昨年(2019)の暮れ、初めて妙義山に行きました。

妙義神社や中之嶽神社や補陀寺に詣でました。

道の駅・妙義にも寄りました。

そこに、初めて見る木の実がありました

榧(かや)の実です

 

榧といえば、秋に訪問した塙保己一(はなわほきいち)生家隣の東方山龍清寺に、大きな榧の木がありました。

木の下に説明板がありました。

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来た。

彼は修行の旅に出るとき、師匠から榧の実を持たされた。

彼はここを修行の地と定め、榧のみを撒きました。

榧はみるみる大木になり、大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

 

「上野国新田郡」は実家のあったところです。

「上野国新田郡笠懸」には、親戚もあります。

この話はとても身近に感じられ、記憶に残りました

 

修行僧・袋算が持って行った木の実に、道の駅・妙義で出会ったのです

実際は榧は成長がとても遅いそうです。

今種を撒いても、たぶん生きているうちにその実を見ることは無理でしょう。

さて、でも撒いてみようかな

 

ところで、富士見(旧富士見村、現前橋市富士見町)に日本一のかやの木があるということです。

これは是非行ってみなくては

 

 

ナビの指示ではちょっと迷いましたけど、無事に到着です

大きい

説明板がちゃんと有ります。

富士見かるたもあります。

樹齢1000年以上ですか

 

とにかく、こんにちは

 

まだ実が付いている

すごい

 

榛名山が見えます

 

この1000年、赤城南面ではいろいろなことがありました。

歴史をずーと見つめてきたのですね

 

群馬県の巨木一覧に、行けそうな所に榧(かや)の木が何本かあります。

折を見て行ってみましょう

 

 

初出 2020.01.07 カテゴリー群馬県・旧勢多郡 歴史を見つめた榧の木(横室の大カヤ)

改稿 2024.01.24

 

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榧の木の物語総集編1(飛龍のカヤ・東方山龍清寺)

2024-01-17 19:59:44 | 榧の木の物語・総集編

昨日は寒い寒い一日で、さらに雪になりました

ひめちゃんたちの朝のお散歩時に降り出し、時たま休止しながら夕方まで降りました

おまけに、夕方は風が激しすぎて飛ばされそうになりました

さすがのひめちゃんも、やむなく途中で引き返します

夜少し落ち着いた頃、そこらまでのちい散歩で済ませました

 

元記事の頃(2019年9月)、元気にお散歩する獅子丸とひめちゃんです。

 

小次郎パパも、まだハツラツとしています。

 

 

 

 

榧(カヤ)の木を訪ねた記事が何編かあります。

あちこちのカテゴリーに散らばっていますけど、「榧の木の物語」としてまとめておきたいと思います。

しばし、お付き合いくださいませ

 

 

(2019年9月)塙保己一公園の隣のお寺を訪ねます。

大きな木があります

手前の建物は、三日月不動堂です。

由緒が彫られてますけど、よく見えません

塙保己一記念館で購入してきた本庄市郷土叢書第4集『本庄の人物誌①盲目の国学者塙保己一』によると、

保己一は子供の頃、母きよと一緒に地元(保木野)にあるお寺(龍清寺)の三日月不動(不動堂)に毎日のようにお参りしたという。(中略)この三日月不動は、三日月はやがて満ちるので、足りないものを補ってくれると信じられ、地元の人たちに信仰されていた。

 

 

大木が気になります

 

大きいです

今日は邪魔なおじさんが映っていないですけど、とても大きいのはわかります。

 

「本庄市指定天然記念物榧(かや)の木」とあります。

トトロが出てきそうな雰囲気です

 

下に由緒書きがあります。

開山は約600年前です。

300年前に、上野国新田郡笠懸在の不動寺から、修行僧・袋算がやって来たのです。

彼は修行の旅に出るときに、師匠から榧の実を持たされたのです。

彼は此の地を修行の地と定め、榧の実を撒きました。

榧はみるみる大木になり大量の実を付け、その実は灯油や薬種となり村人を潤しました。

 

中興の僧・袋算は、上野国新田郡笠懸から来たのですか

もしかしたら、さっき不動堂の脇にいたあの方?

現在、笠懸に不動寺は見当たらないようです

 

 

本堂を訪ねます。

 

「御朱印をお願いします

「六番ですか、二十七番ですか?」

「両方お願いします

本堂の縁にしばらく腰掛けて待ちます。

「お時間ありますか?」

「はい。」

「お経をあげますから、ご一緒に

ご本尊の前に御朱印帳をおいて、般若心経がはじまります。

たどたどしくも、ご一緒に唱えました

それから、御朱印帳を受け取りました。

ありがとうございます

雉岡山浄眼寺の御朱印もいただけました

 

 

榧の実が、上野国新田郡笠懸からやって来たと言うことで、とても印象に残る榧の木です。

ひめちゃんちのおかあさんは、上野国新田郡生まれなので。

昨年、再訪して、この榧の木の実をいただいてきました。

飛龍の榧(かや)・東方山龍清寺2023

 

初出  2019.09.21  カテゴリー埼玉県  飛龍の榧(かや)・東方山龍清寺

改稿  2024.01.17

 

 

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