黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの初詣・その 1

2020-01-01 21:21:43 | 群馬県・旧勢多郡

あけましておめでとうございます

昨夜は猛烈な強風が夜中まで続いて、どんな新年になることやらと心配しました。

でも、今朝はおだやかな新年となりました

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出てお散歩してきました。

ひめちゃんと獅子丸の初詣は、後日アップします。

 

先に、タバサねーちゃんの初詣です

タバサねーちゃんは、ひめちゃんと同じ両親です。

でも、なぜか白く生まれました。

明るく元気な世話好きなおねーちゃんです

若かりし頃の、タバサねーちゃんです。

プリントしてある写真なので、いつかわかりませんけど、2歳ころかな?

 

 

 

午前中暖かくなったので、小次郎パパ&タバサねーちゃん&ののこねーちゃんは、ミニドッグランに出してもらいました。

しばらくしておかあさんが、洗濯物を干しにミニドッグランに入りました。

ひめちゃんちは、物干し台がミニドッグランの中にあるのです。

おねーちゃんたちは、おかあさんと一緒にミニドッグランからでました。

ののねーちゃんは、よい子で自分のお部屋(サークル)に帰りました。

あれ、タバサねーちゃんがいません。

おかあさんの車の廻りでウロウロしています。

「ドライブに行こうよ

タバねーちゃんは、ドライブが大好きなのです。

「じゃあ、ちょっとだけドライブしましょう

 

とりあえず、北の方に向かいます。

赤城山が見えます。

じゃあ、百足鳥居(むかでとりい)にいこう。

まもなく到着です。

でも、鳥居の裏側に到着です。

この鳥居の前にも後ろにも、道はありません

本来ならば、向こうの坂を登って、この鳥居をくぐり、赤城山目指したはずです。

鳥居の前に行ってみます。

額は赤城山です。

タバサねーちゃんと比べると、大きさが分かります

百足(むかで)が刻まれています。

ここをたくさんの人がくぐって、赤城山へと登っていったのです。

脇に説明板があります。

赤城山へ登る東南麓の参道として天明2年(1782)に建てられた。高さ4.4m、笠木の長さ6.25mで、島木には1.3mの百足が陽刻されている。輝石安山岩製の明神鳥居という形式で建てられている。


その昔、赤城の神は百足となり、日光の神は大蛇となって戦ったといいます。

百足は赤城の神なのです。

 

山上は、赤城山に登る参道への通過地点でもあったのです。

もしかしたら、たくさんの文人も登って行ったかもしれません

何か作品に残っていないかな?

 

タバサちゃん、クンクン情報収集です

たくさん人が、あの赤城山に、ここを通って登って行ったのです。

ここは赤城への参道だったのですね

赤城山に、みんなの幸運を祈ります

さて、同じ道を帰るのはつまらない。

鳥居の南の道を下ってみます。

参道があったはずですけど、みごとに消滅しています

 

 

道なりに行くと、旧粕川村月田(前橋市粕川町)です。

おや、あの古墳は行ったことがある。

群馬県指定史跡・壇塚古墳です。

スタンプラリーのスタンプボックスがあります。

最近はちょっと使われていないみたいです

月田古墳群のほぼ中央に位置する。

二段にに構築された円墳である。

石室内より直刀三振、小刀二振、墳丘部から家形埴輪や機材埴輪、石室入り口から、人物、馬、機材埴輪が出た。

 

すごい古墳だったんですね

この前来た時は、全く感動のない説明板でしたけど、今回は驚きです。

出土物は、膳城裏の歴史資料館にあるのかな?

 

墳丘にのぼってみます。

あたちも登るよ

靴を履いてないんだから、気をつけてね

まだまだ健脚のタバサちゃんです

古墳の登頂も体験できました

まだ、降りる方も難なくできました。

 

振り返ってよくよく眺めると、確かに二段になってます。

月田古墳群ということは、近くに豪族がいたということですよね。

山上にも、かつてはたくさんの古墳があったと言います。

やはり豪族がいたということですよね。

 

はるかなる古代がちょっと語りかけてきました。

 

さあ、ついでだから、近戸神社を参拝していきましょう

 

 

 

 

 

 

コメント
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