ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ようとしました。
突然、ひめちゃんが吠えます。
「ワンワン、不審物じゃあ」
獅子丸は、おいしそうな草を見付けて、パクパクです。
歩行者通路の工事用コーンがあったのです。
この先は、葛塚城の堀切跡です。
ひめちゃんたちは、ここで堀切を渡って、岩神沼や高縄の摩崖仏に行くのです。
そういえば、岩神沼付近で工事予告がありました。
近くに通行止めの区間がありそうです。
コーンを確認して、ひめちゃんもお相伴です。
以前は、獅子丸と一緒に首を突っ込むと攻撃されました
獅子丸の意識も変わってきたようです。
ひめちゃんと七海ママだと、ママが吠えて不審者からひめちゃんを守ろうとします。
もしかしたら、ひめねーちゃんが獅子丸を守ろうとしたのかもしれません
医光寺つづきです
本堂脇に長い階段があります。
「瑠璃光湧丸薬師如来」とあります。
翌日(1月4日)が縁日ということで、準備に忙しそうでした。
『新上州・観音霊場三十三カ所』(新上州観音霊場会)によれば、
当寺は、嵯峨天皇の弘仁十一(810)年、弘法大師が東国遊化のおりに薬師仏を刻み開創したと伝えられている。霊験あらたかな薬師如来の御手から丸薬が湧き出し、病む人々を救ったという大師さんにかかわる伝説から、寺の山号も、この地区の呼び名も湧丸とされている。
そうだったんですか
階段を登って参拝です。
残念ながらお姿は拝めません
でも、心を込めて合掌
左から後ろに廻ると、石造物がいっぱいです。
薬壺を持っているように見えますけど?
下の3名様、みんな手を合わせています
ちょっと失礼して、石宮の中をのぞき込みます。
薬壺を持ってます
少し行くと、媒本法神の墓です。
法神は加賀国(石川県)に生まれ、長じて上泉伊勢守に師事した武芸者である。後に一流を編み「法神流」の剣祖となり、諸国を巡り、多くの剣士を育てた。園原騒動で有名な赤城村須田房吉も法神の高弟であった。また、医術の心得も深かったという。
薬師堂の裏手に回り込みます。
石造物があちこちにあります
おや、鳥居があります
額は「赤城大明神」です
階段を登ります
覆い屋の下に、かつては色鮮やかだった本殿があります。
前掲書によれば、
医光寺は小沼信仰を執行していた
といいます。
今では赤城山に登るのは、前橋からが一般的です。
けれども、かつては東からの道もあったのです
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の大嵐の中でも、共存していたんですね
今年の平安を祈ります
これからも、赤城の伝説・赤城神社を訪ねる旅もしていきましょう
階段を降りると、お大師さまの踏み草履石です。
足のサイズを確かめませんでした
階段を降りて左脇には、超個性的な青面金剛です
こんにちは
これからもよろしくお願いします