ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
むむ、行く手に見えるは、戦闘的な面持ちの猫です
獅子くんは、もう戦闘モードです
猫くん、じっと見つめて視線をそらしません。
落ち着いて、庭石の上にジャンプ。
ここのうちの子かな?
バイバイ
高縄の集荷所を廻って帰ります。
まだ花いっぱい運動の花々が、元気に咲いています
おうちに帰ると、椿の花の中にカエルさんです。
まだ暖かいから、こんな風景もありですね
観音寺南(高崎市棟高町)の信号を、東に進路を取ると、まもなく巨大なイオンモールがあります。
イオンモールをすぎて暫く行くと、上野国国分寺跡の表示です。
道の北側に、まもなくありそうです。
こちら南からは訪問したことありませんけれど、北側からは何度か訪問しています。
そのうちに、また訪問したいと思っています。
とりあえず、2019年7月の訪問記事です
(過去記事のリメイクには総集編を付けます。)
遺跡に電話番号がないので、上野国分寺跡ガイダンス施設の電話番号をナビに入れて出掛けました。
ひたすら西に行きます。
大渡橋(おおわたりばし)で、利根川を渡ります。(県道3号線の北の幹線道路を行ったようです。)
しばらくして、ナビの指示通り右折すると、お寺に突き当たりました
いつか来たときも、そうでした
細い道を左折し回り込んで、なんとかガイダンス施設に着きました
ガイダンス施設でパンフレットをもらったり、いろいろな話を聞いたり、ビデオを見たりします
国分寺跡の大きな発掘調査は2度、昭和と平成に行われたそうです。
国分寺跡には、十数軒の民家があったそうですけど、移転してもらったそうです。
新しいパンフレットの国分寺のイメージです。
七重塔がそびえます
講堂は昭和の発掘では金堂とされましたけど、平成の発掘ですぐ前に金堂が発見されたので、講堂であることがわかったそうです。
全体が塀でかこまれていたのですね。
ガイダンス施設には、瓦の破片もいっぱいありました。
天平13年(741)、聖武天皇によって国分寺創建の詔が発せられました。
けれども、実際に建立するのは地方の実力者たちで、協力した証拠に瓦に文字塔を刻んだそうです
馬の字が逆さに刻まれた瓦の破片は印象に残りました
上野は七重塔を持つ国分寺を建立するほど、実力のある地域だったそうです
パンフレットにある国分寺の配置図です。
なんとなくイメージが湧いてきました。
外を見ると、塀が前に来たときより劣化しているように見えました
そして、ミスマッチな黄色い板が目立ちます
伝統的工法で作ったもので、記録によると300年後には崩れていたとあるので、監察しているのだそうです。
修理しないのだそうです
黄色いところは壊れたけれど、将来南大門を建てる予定があるので、とりあえず塞いでいるのだそうです
国分寺跡の紹介ビデオに、ちょっとだけひめちゃんちのある上野国山上の山上多重塔が出ていました
山上多重塔は、ほぼ東に車で約1時間の所にあるので、山上と国府・国分寺の関係も気になるところです
ついでに、先ほどお寺に突き当たって、やっと回り込んだ話をしました。
「妙見様を祀る妙見寺です。古いお寺ですよ。あの秩父神社もこの妙見様を勧請したそうです。北辰一刀流の千葉周作もお参りに来たそうです。」
「ええ、そうなんですか帰りにお参りしていきます」
ガイダンス施設のあと、国分寺跡を歩きます。
南大門跡から入ります。
ここに壮麗な南大門があったんですね
そして、再建計画があるんですね
悲願の南大門です
廻る築垣(ついがき)を近くで観察です。
説明板もあります。
「古代と同じように土を固めて高く積み上げる版築(はんちく)という方法で復元してあります。」とあります。
さっき、ガイダンス施設でも、土をついて固めた話をききました。
奈良の人がきても、奈良より奈良らしいと感激してくれたという、ご自慢の築垣です
七重塔跡の方に行きます。
基壇が復元してあります。
説明板もあります。
七重の塔基壇と礎石の一部が、1200年以上経ってもここに残っていたとは
七重塔跡から、南大門跡を望みます。
さぞかし往時は壮麗な景色だったことでしょう
もう一ヶ所基壇が復元されています。
最初は金堂跡と思われていましたが、平成の発掘ですぐ前に金堂跡が発見されたので、講堂跡だとわかったそうです。
講堂跡から、七重塔跡と築垣をのぞみます
築垣の向こうの屋根は、ガイダンス施設です。
築垣の劣化があまり進まないうちに南大門が復元できるといいですね
上野国分寺は上野国府推定地のすぐ近くです。
僧寺の所が現在地です。
山王廃寺、国府推定地(蒼海城跡)、総社神社、総社歴史資料館、訪問してあります
記事は後日に
古代の道はまっすぐではなかったということで、少し外れても、県道3号線紀行です
南大門を出て、ガイダンス施設の駐車場に向かうと、妙見寺が見えます。
このあと妙見寺にも寄りました
あれから2年あまり、悲願の南大門は、まだ再建されていないようです。
そのうち、南の県道3号線からも訪問します