ひめちゃんと獅子丸は、今朝もおとうさんを連れて、散歩に出ます。
おとうさんは、ひめちゃんたちとのお散歩でフィットネスですって
みんな、堀之内を西に出ます。
浅間山は、今朝は白くないみたいです。
ひめちゃんたちは、諏訪神社の向こうの高台中央から北に向かって下っていきました。
山上の薬師の道を歩いてくるようです。
小次郎パパが、「もう限界帰ろうよ」
タバねーちゃん、ちょっと不満
「アタチはもっと行たいなあ」
お散歩のパターン、変更を考えなくてはね
本丸跡をめざして、案内に従って、坂道を登ります。
振り返ると、かなりの坂です
まだです
まだまだです
たぶん、見晴台からの写真かな?
そうすると、視線の先には、ハート型土偶出土地があるんですね
まだ上ります。
やっと本丸が見えてきました
二の丸の四阿にちょっとだけ寄って、本丸跡です。
岩櫃城由来記を確認です。
鎌倉時代初期の頃、吾妻太郎助亮により築城されたといわれています。~(中略)~その後斉藤氏の支配するところとなり、永禄六年(1563)武田信玄は上州攻略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。ときの城主は斉藤幸国(または憲広)といわれ堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城してしまいました。こうして岩櫃城は武田氏の手中に落ち、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じました。天正二年(1574)に幸隆が世を去り、城主には長子の信綱が収まりましたが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌輝兄弟が戦死したため、真田家は幸隆の三男、昌幸が相続しました。その後、昌幸の長男信行が支配し、信行の弟幸村も少年時代をこの城で過ごしたといわれています。
真田幸村が、ここで少年時代をすごしたんですか
けっこうな上り坂で、きつかった
でも、ひめちゃんたちと毎日お散歩してるから、明日どこかが痛くなったりしないでしょう
歩いているときに、何度か見かけた花です
トラノオかな?
さて、回り込んで下山です。
少し行くと、表示があります。
もちろん観光案内所の方に行きます。
後ろの山も気になります。
ハイキングで登れるようですけど、パスです
朝、雨だったようで、けっこう滑りやすく、十分気を付けて降ります。
なんとか下界に降り、出発点に戻ります
熊に出逢わずに帰れました
観光案内所前に戻ると、出発前にはなかった記念撮影用のパネルです
案内所からは、「スタンプもありますよ。」の声がかかります
もちろん頂きます。
ありがとうございます
この日は、けっこう人が来ています。
中には、スカートのおばさんも
でも、御城印をゲットして早々に帰って行きます。
一人歩きの老人も、本丸目指して上って行きます
鈴持ってるのかな?
案内所の前方に、岩櫃神社ですって
案内所で聞くと、忍者の修行場だったところですとのことです。
行ってみましょう
(つづく)