ひめちゃんは、昨日も今朝も1人散歩でした。
タバサねーちゃんが、熱を出してしまったのです。
本当に久しぶりに、東の牧場にまで行ってきました。
牧場にいたヤギさん家族は絶滅してしまったようです。
サマンサ坂(サマンサおばちゃんの魂が天に昇って行った所)を通って帰りました。
やっぱり、1人散歩は寂しいね。
2000年7月生まれの初代黒柴犬・三四郎が語ります
サマンサの出産
2001年の春になると、サマンサも外犬になった。
ボクとサマンサは、毎日一緒にお散歩したり遊んだりした。
そして、2002年の7月、ボクとサマンサの子供達が生まれた。
おかあたんは、笠懸のおばちゃんと沖縄旅行に出かけていた。
おかあたんが沖縄から帰った後に、サマンサは出産予定だった。
でも、サマンサはおかあたんが沖縄から帰るのを待たずに、帰る予定の日に出産した
7月26日夕方、サマンサは第1子を出産した。
彼女は何が起こったかわからずに、呆然としていた。
臍の緒をかみ切って顔を舐めてと、おとうたんが指導して、なんとか胎盤も食べたけど、2匹目の時は羊膜もおとうたんが破り、臍の緒を切った。
犬のお産は軽いと世間ではいうけれど、全ての場合に当てはまるわけではない。
お産は、基本的に死と隣り合わせの命がけのことなのだ。
ボクとムーちゃんは、おとなしく注視していた。
この日は猛暑で、体力を消耗しきったサマンサは、2頭目を産み落とすと熟睡してしまった
その後中々陣痛が来ないで、先に生まれた子供達がおっぱいを飲み始めたので、なおさら心地よさも加わって寝てしまったのだろう。
その間に、3番目と4番目の子が、横たわったサマンサから生まれた
おとうたんは、当分次が生まれないと判断して、ボクとお散歩に出てしまっていた
帰ってきた時、羊膜が破れず呼吸できないので、後から生まれた2匹は死にかけていた
おとうたんの必死の蘇生措置で、4番目の子は生き返った
3番目の子は、とうとう息を吹きかえさなかった
悲しい事だけど、この子は半夏生の根本に次の日の朝埋められた
今日で3日めだけど、子犬たちは目も見えないのにサマンサの声と匂いを頼りに、サークルの中を動き回っている
元気で丸々と肥えた子供達だ
(2002、7、28)