黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天神前・大日如来と庚申塔

2021-12-10 20:31:16 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場の方にお散歩です。

ヤギさんいるかな?

彼女は無事でした

好かった

また来るよ、バイバイ

 

道の向かい側の山神さま、パワーまだ残っていたんだね

 

鏑木川にかかる山神橋(さんじんばし)を渡ります。

上流の風景です。

あれ、なかなかいい景色です

 

サマンサ坂を通って帰ります。

雲に覆われた赤城山は、その姿をあまりはっきりとは現していませんでした。

 

 

 

 

県道334号線を小平に向かう途中、浅原(みどり市大間々町浅原)の鎮守・菅原神社の少し手前(天神前)に、「庚申塔と大日如来坐像→」の表示があります。

だいぶ前に、訪問しました。

でも、畑の向こうで、畑作業中のおじさんがいたりして、よく分からなかった記憶があります

11月26日、矢印に誘われて、再チャレンジです。

 

あれ、今回は見えます

結構な数の石仏群です

説明板もありそうです。

 

 

まずは、左側の石仏群にこんにちは

りっぱな墓石もあります。

僧形の墓石もあります。

もしかして、お寺があったかな?

晩秋の周囲の山々ともいい感じでコラボです。

 

 

石仏群の東には、大きな大きな大日如来です

説明板を確認です。

 

重制石幢の一つは塔身に輪廻車孔を持ち、元亀四年(1573)に弥左衛門以下四十七人の村人が庚申供養のために造立したと銘文に記されています。輪廻車孔は、訪れた人々がこの車を回す事で死者の後生が弔われるとするものです。

中央には智拳印を結ぶ大日如来坐像があります。銘文には寛永六年(1629)に鏡海上人を中心にした浅原村の人々が結集して造立したと記されており、人々の信仰心と結束の固さが表されています。

庚申塔と大日如来は別の目的で造立されたものですが、後に、あたかも一組で造られたかのようにまとめられています。

 

 

元亀4年は、武田信玄が亡くなったり、室町幕府が亡んだりした年です。

寛永6年の江戸幕府将軍は、家光ですね。

10年後の寛永16年(1639)には、鎖国になります。

 

西の石仏群には、庚申塔もありますけれど、市指定の重要文化財「庚申塔及び大日如来像」は、ここの一角の石造物3基をいうのです

輪廻車孔が見えます。

訪れた人が回して、死者の菩提を弔ったのです。

たくさんの人がなくなったのかな?

元亀4年は、東上州は戦国時代のまっただ中です。

 

庚申塔が先で、約50年後、世の中が平和になった江戸初期に、大日如来坐像が建立されたのです。

合掌

 

たくさんのパワーをありがとうございます。

中央の2本の角柱、まるでお寺か御堂の門柱のようです。

ここには、お寺があったか、修験者がいたかの可能性大ですね

 

 

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