寒い寒い朝でした
車のフロントガラスも、厚く凍ってます
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。
先を行くタバサねーちゃんの向こうには、霜が残ってます。
浅間山は、真っ白です。
赤城山には、積雪がなさそうです。
でも、小沼の辺りに雲が懸かってます。
もしかしたら降るかな?
県道334号線、浅原を小平方面に向かうと、菅原神社があります。
何度か訪問しています。
でも、今回はビックリです。
なんと「御朱印あります」の大きな看板があります
これは寄らなければなりません
まず拝殿で2礼2拍1礼です
書き置きの御朱印をいただいて、賽銭箱に御代を入れます
御朱印を頂いてから、狛犬さんにご挨拶です。
こんにちは、お久しぶりです
右の狛犬さんです。
かなり目が深く彫られています
大きな獅子鼻です。
シッポは、本当に小さいです。
左の狛犬さんです。
眼の彫りがちょっと違うかな?
わずかに朱が残っています。
やはり小さな小さなシッポです。
こころ和む、メイドインジャパンの狛犬さんです
本殿は、難く閉ざされています。
菅原神社について、『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々町の社寺』(平成9)に、『山田郡志』からの引用があります。
当社は人皇第百五代御奈良天皇の天文年中上野国勢多郡黒川谷深沢城主松島愛久沢の一族桐生家に属したる時靭負丞重綱の下知により勧請する所なり、爾来天正元年迄桐生家の崇敬社として代々造営祭祀を行ひ来たりしが、桐生家没落後は自然社運衰頽の止むなきに至りしが、天正十八年御代静謐になるに及びて、愛久沢の族深沢城より移り、当社を再考しその旧に復するを得たり、後寛文八年当検地の際、御奉行諸星伝左衛門当社の由緒を糺し先規に任せて社地若干を寄進せられ、当所の総鎮守と崇め、日輪寺住職をして別当として、春秋の祭祀を司らせ、これにより正徳二年別当幸栄法師の代、愛久沢の発願にて社殿を修理し、神像を内殿に納むる等大いに社の面目を施せしが、愛久沢氏徳川家に召集され仕官せしめ、以後同族深沢氏これに代わりて寛延三年三月郷民協力して京都神祇管領より御幣を勧請し、これより領主肥後守に於ても采邑安穏のため年々祭料を寄進せられ、明治に至りと云ふ。
戦乱の世が終わって、黒川衆が帰農して移ってきているのですね。
日輪寺は、菅原神社の別当だったんですか
本殿には神像があるのかな?
そうならば、堅く閉ざされているのも納得です。
いただいてきた御朱印です。
梅の花があります
祭神は菅原道真、天神様です
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