雨の一日でしたけど、ひめちゃんと獅子丸が朝のお散歩に出た時は、まだ降り出していませんでした。
ちょっとだけ、秋の花とのコラボ写真が撮れました
お散歩途中にあった、コスモスとのコラボです。
後ろの石は、古墳の石のような感じです。
ザクロの実とコラボです。
ザクロの実は、いっぱいなっていました。
季節外れの返り咲き、白いツツジとコラボです。
大きな後ろの石は、古墳石室の天井石だと思われます。
古墳の石も、ひめちゃんちの近所では、ごく自然に庭石として利用されています。
明治の頃は、山上に40以上も古墳があったとか。
まさに葛に覆われた古墳の村(葛塚村)だったのです。
阿保氏寄進の多宝塔があるという金鑚神社(かなさなじんじゃ)、阿保氏館跡から10分ちょっとという事で、車を走らせます。
広い意味で、阿保比丘尼の面影を求めてになります
迷わずに到着です。
鳥居の前の道は、国道462号線です。
むむ、この夏、鬼石の緑埜寺(みどのじ浄法寺)に行くときに通ったぞ
あのころは、県境を越えての移動はダメということでした。
ナビの指示通りに、やむを得ず通過だけしたのでした。
鳥居脇の付近の地図を確認です。
大鳥居をくぐると、まもなく右手に多宝塔が見えてきます。
説明板もあります。
天文3年(1534)に、阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三年甲午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
阿保氏にかかわる遺構で、阿保氏の記憶ですね
500年も経ってるなんて思えないほど、しっかり立ってます
これだけのものを寄進した阿保氏の実力は、相当なものだったのでしょう
足を延ばして良かった
さて、社殿の方に向かいましょう。
金鑚神社の由緒があります。
社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打金を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされている。
鎌倉時代には、児玉党の尊信が暑く、近隣二十二ヶ村の総鎮守として祀られていた。
やはり、阿保比丘尼が生きた時代も、ここ金鑚神社がこの地域の鎮守だったのです
社務所があります。
御朱印をお願いします。
書き置きだけということで、日付を入れてもらいます。
武蔵国の二宮だったのです
さて、拝殿で参拝です。
あの赤い橋を渡ると、聖なる空間ですね。
古式ゆかしき鳥居をくぐります。
真新しい手水社です。
隣には、幾星霜を経た付近の案内板です。
鏡岩にまで、行けるかな?
ともかく、拝殿で参拝です
拝殿に向かいます。
たくさんの御利益があるようです。
2礼2拍1礼で参拝です。
拝殿の周りを、ちょっとウロウロ。
本殿はなく、後ろの御室山がご神体でした。
ご神体の山への扉が見えます。
さて、鏡岩の方へ行ってみます。
おや、鏡岩の説明板のそばに、熊捕獲の罠です。
多宝塔の所でも見ました。
ここはハイキングコースでもあるようですけど、熊が出没するようです。
鏡岩の説明板です。
ここから400m上ったところですか?
高崎城が落城したときに火災の炎が明るく映ったんですか
高崎城の落城って何時のこと
尾根続きには御嶽城跡の遺構ですか
阿保氏が御嶽城主の時代もありました
ここは阿保氏の記憶がいっぱいの場所だったのです
おや、この方はどなたでしょう?
日本武尊とあります。
ちょっとかわゆくて、おみそれしました
この先を、しっかり登山の格好で2人連れが行きます。
ハイキングコースでも、ちゃんと準備が必要なようです。
捲土重来を期して、退却です
道の脇に句碑がいっぱいです。
俳句愛好者の個人の建立のようです。
こういう自分が生きた証の残し方もあるのですね
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