黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

初めて方墳を訪れました(前橋総社・宝塔山古墳)

2019-03-16 18:55:01 | 群馬県・中毛
ひめちゃんは、お天気がいいと、七海ママと昼散歩します。
もうじき15歳になるママは、あまり遠出は好みません。
ちょっとそこらへんまでの、ちい散歩ですけど。



ひめちゃんの左側(鼻の先)の田んぼは、堀之内です。
右の田んぼ(お尻の方)は、塚越(つかごし)です。

葛塚城は方形ではなく、東南の方が半島のように伸びて、堀はその先の沼に流れ込んでいたのではないでしょうか?
耕土改善によって、かつての地形は大幅に変化してしまいました。
沼もなくなりました。




かみつけの里の帰り、利根川にかかる大渡橋を渡る手前に、「宝塔山古墳」の表示がありました。
「寄って行こう

公民館の大きな駐車場があります。
ここに駐車して歩きます。

隣は、格式の高そうなお寺です。

方墳です
方墳を訪れるのは初めてです。

「南側にお回りください」の指示に従って、階段を登って、南を目指します。

ちょっと階段がきつい


途中秋元氏累代の墓の表示があります。
ええ、古墳の上に江戸時代にやって来たお殿様はお墓をつくったんだ



秋元氏に今は興味がないので、見上げるだけで通過します。

行く手に巨大な石造物も現れます。
隣の秋元氏の菩提寺関連のものでしょう。

あるかなきかの道(ちょっと大げさかな)を通って、やっとたどり着きました。



りっぱな入り口です。
切石でしっかり組まれています。

おじさん、邪魔
でも、石室の大きさがわかりますね。









石棺の前には、訪問者の靴の跡が、いくつもありました。


「榛名山東南麓の古墳」(前橋市教育委員会平成30年)によると、

宝塔山古墳の墳丘は3段構成で、南に開口する横穴式石室には截石切組積(きりいしきりくみづみ)の手法が採用され、壁・天井には漆喰の痕跡があります。石室全長は12mで、羨道・前室・玄室がらなり、玄室には脚部に仏教美術の格狭間が彫り込まれた輝石安山岩製の家形石棺が安置されています。石室壁面の石材加工方法や造る技術、漆喰の使用は、中央の関西地方の大王の古墳に用いる技術と同じものです。

とあります。
また、築造は7世紀中頃とあります。


来た道ではなく、西のお寺側におります。







「御朱印を」という雰囲気ではありませんでした。

宝塔山古墳を脇に見て、駐車場に戻ります。



隣の総社歴史資料館(そうじゃれきししりょうかん)を訪ねます。










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