黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

獅子丸の山上城登城記

2021-09-30 15:27:28 | 獅子丸な日々

獅子丸とひめちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

おや、向こうからタバサねーちゃんと小次郎パパがやって来ます。

2人はお帰りのようです。

 

ウ⚫チの出ているひめちゃんは、2人と帰ることになりました。

ちょっと名残惜しそう。

でも、すぐに気を取り直して元気に帰って行きます

 

9月つごもりの赤城山です

 

獅子くん、いきなり道ばたの自生しているアブラナに食い付きました

この真剣な目つき、もうどうにも止まらない

ああ、おいしかった

 

丘の中央・薬師の道を南に辿ります。

道なりに南に下り、突き当たりを、左折します。

あのカーブミラーの所から、桐生市新里町山上です。

その南は、前橋市粕川町膳です。

あそこで車のナビが変わります

 

コスモスの道を、山上城へ向かいます。

自生している朝顔には、絞りの花もあるんだ

 

草に埋もれた道標の所を、山上城の方に道を取ります。

ここには、「国指定史跡・山上の多重塔」もあります。

今では、誰も幹線道路だったなんて思っていません

でもでも、ここは重要な交差点だったのです

 

獅子くんは、草の途切れたところ、三の丸の南端を帰ります。

 

誰もいないみたいよ。

ワンコ様お断りの看板もないね。

お土産は、もうしっかりリードに付けたミニ黒ビニール袋に入ってます

ちょっと、寄って行こうか

 

獅子くん、山上城初登城です

山上城の縄張り図と由来があります。

ロマンいっぱいの由来になってます。

山上城の築城については諸説あって、室町時代後期の応永年間(1521~1528)という説もあります

 

ここは、一番大きな三の丸の東端中央辺りです。

三の丸の所有者は、桐生市です。

本丸・二の丸の所有者は、右下の常広寺です。

 

獅子くん、初めて太鼓橋を渡ります。

振り返ると、「山上城跡 新里村農村公園」の文字が

農村公園って、どういう公園なのかな?

 

蕨沢川にかかる元町橋を渡って帰ります。

橋のたもとには、橋供養の石碑があります。

元禄14年(1701)、石の端になった記念に建てられたのです。

現在は、コンクリートの橋になってます。

余計なことですけど、向こうに見える「止まれ」は、恐怖の止まれなのです。

何故か一時停止をしないで通過してしまうドライバーが多いそうです

それなので、少し先の見えにくいところにパトカーがよく待っているとか

 

字・五反田(ごたんだ)の田んぼを通って帰ります。

 

道ばたに、石宮があります。

「奉詣(?)」、「山上代々之御城主」の文字があります

横には、「正徳四年」とあります

正徳4年(1714)は、田中藤左衛門が竜骨を持って常広寺にやって来た年です

何か関係あるかなあ

 

さあ、早く帰りましょう

たまには1人散歩もいいね

また、そのうちにね

 

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