獅子丸とひめちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。
おや、向こうからタバサねーちゃんと小次郎パパがやって来ます。
2人はお帰りのようです。
ウ⚫チの出ているひめちゃんは、2人と帰ることになりました。
ちょっと名残惜しそう。
でも、すぐに気を取り直して元気に帰って行きます
9月つごもりの赤城山です
獅子くん、いきなり道ばたの自生しているアブラナに食い付きました
この真剣な目つき、もうどうにも止まらない
ああ、おいしかった
丘の中央・薬師の道を南に辿ります。
道なりに南に下り、突き当たりを、左折します。
あのカーブミラーの所から、桐生市新里町山上です。
その南は、前橋市粕川町膳です。
あそこで車のナビが変わります
コスモスの道を、山上城へ向かいます。
自生している朝顔には、絞りの花もあるんだ
草に埋もれた道標の所を、山上城の方に道を取ります。
ここには、「国指定史跡・山上の多重塔→」もあります。
今では、誰も幹線道路だったなんて思っていません
でもでも、ここは重要な交差点だったのです
獅子くんは、草の途切れたところ、三の丸の南端を帰ります。
誰もいないみたいよ。
ワンコ様お断りの看板もないね。
お土産は、もうしっかりリードに付けたミニ黒ビニール袋に入ってます
ちょっと、寄って行こうか
獅子くん、山上城初登城です
山上城の縄張り図と由来があります。
ロマンいっぱいの由来になってます。
山上城の築城については諸説あって、室町時代後期の応永年間(1521~1528)という説もあります
ここは、一番大きな三の丸の東端中央辺りです。
三の丸の所有者は、桐生市です。
本丸・二の丸の所有者は、右下の常広寺です。
獅子くん、初めて太鼓橋を渡ります。
振り返ると、「山上城跡 新里村農村公園」の文字が
農村公園って、どういう公園なのかな?
蕨沢川にかかる元町橋を渡って帰ります。
橋のたもとには、橋供養の石碑があります。
元禄14年(1701)、石の端になった記念に建てられたのです。
現在は、コンクリートの橋になってます。
余計なことですけど、向こうに見える「止まれ」は、恐怖の止まれなのです。
何故か一時停止をしないで通過してしまうドライバーが多いそうです
それなので、少し先の見えにくいところにパトカーがよく待っているとか
字・五反田(ごたんだ)の田んぼを通って帰ります。
道ばたに、石宮があります。
「奉詣(?)」、「山上代々之御城主」の文字があります
横には、「正徳四年」とあります
正徳4年(1714)は、田中藤左衛門が竜骨を持って常広寺にやって来た年です
何か関係あるかなあ
さあ、早く帰りましょう
たまには1人散歩もいいね
また、そのうちにね
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