黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの高津戸・阿弥陀堂訪問記(前編)

2022-02-19 16:58:00 | 小平川紀行・番外編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

民家の陰には、まだたっぷりの雪です。

諏訪神社前は、きれいに溶けていました。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、神社の向こうの高台を目指します。

 

高台の上からの赤城山です。

まだまだ雪が残ってます。

 

前方には、白い浅間山とうっすらと白い榛名山が見えます。

 

高台の中央から右折して、薬師の道に入ります。

薬師様達の前で、はいポーズです

 

帰り道、ひめちゃんは叫びます。

「不審者じゃ

リーダーひめちゃんは、周りの状況にも神経を使いながらお散歩しています

 

 

 

1月24日、「犬の散歩お断り」の場所が続いて、タバサねーちゃん車で待機が続きました

実力発揮できない白柴タバサちゃんは、高津戸橋を渡って、渡良瀬川東の阿弥陀堂を目指します

まもなく到着です。

説明板を確認です。

大きな五輪塔は山田氏のもの、小さな五輪塔群は里見勢の墓とあります。

 

 

では、五輪塔群の方へ行きましょう。

あれぇ、スッキリしてます

以前は、うっそうたる木々に囲まれていました。

入り口のお地蔵様、今回初めてじっくりとご対面です

合掌

 

一番奥の大きめのが、山田氏のですか?

猪用かな?

鹿用かな?

野生動物の捕獲用の檻が目立ちます

 

向こうに見える山・要害山に高津戸城はあったということです。

 

ワンコ様お断りでなくってよかったですわ

のびのびとお散歩出来ます

 

あれ、裏もスッキリしている

 

 

大間々には、説明板にあるように、「高津戸城悲話」が伝わっています。

里見勝正・勝安兄弟は、桐生氏に謀殺された父の仇を討つため、上杉謙信の支援を受けて高津戸城を再興して立てこもった。

しかし、由良氏に攻められ、用命の砦に野州をかけたが失敗、弟が討死兄は切腹して果てたと言うことです。




『大間々町史通史編上巻』では、

山田氏という豪族についても平安・鎌倉期に存在したということは確実な史料では実証できない。ただし、高津戸を含む地域は平安時代末期以降、須永御厨と称されており、武士団が居住したことは考えられる。鎌倉期に須永御厨地頭として薗田一族がいたことは事実で、高津戸には武士団の跡を忍ばせるものとして角塔婆(自音寺)・五輪塔(阿弥陀堂)・板碑(森家井戸)がある。~中略~結局、高津戸城の歴史について確認できることは、謙信の仁田山攻め以降に城が築かれ、その死後、後北条氏から由良氏に与えられたことである。ただし、それ以前にも砦のようなものがあった可能性は否定できない。

素直に解釈すると、この里見兄弟の話は創作と言うことになりそうです

でも、多くの人々の心を捕らえた高津戸城ロマンです
『南総里見八犬伝』のブレイクと関係あるかな?



近くに「里見まんじゅう」のお店がありました。

いつか食べてみたいと思っていましたけど、閉まってました

 

 

さて、阿弥陀堂に参拝です。

 

 

(つづく)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大雪の誕生日・ひめちゃん1... | トップ | 白柴タバサちゃんの高津戸・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

小平川紀行・番外編」カテゴリの最新記事