黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤子地蔵の西福寺

2021-07-09 20:33:21 | 群馬県・東毛

昨日の夕方、ひめちゃんは、一人散歩になりました。

すわー、ケンくんちに行こう

 

ケンくん、いるかな?

あれ、ひめちゃんひとりかい?

ひめちゃんは、ケンくんとつかの間の逢瀬を楽しみました。

あたち、幸せです

あたちは、ケンくんが大好きです

 

 

 

 

鳥居の向こうに堂宇が見えます。

道を横断して行ってみましょう。

 

石造物はかなりお疲れのようです。

おや、六地蔵さんの帽子が冬仕様です

ちょっと暑いかな?

 

正面に回り込みます。

白鬚山西福寺です。

神社の方に、歴代和尚さんまとめた供養塔がありました。

曹洞宗ですね。

 

かなり質素な本堂です。

無住かな?

でもどこかのお寺が兼務しているのでしょう。

曹洞宗なので、そのうちに常広寺で聞いてみましょう。

とりあえず合掌。

 

本堂の西側に、小さいお堂と神社があります。

赤い鳥居の向こうは荼枳尼天(だきにてん)かな?

荼枳尼天の額が墜ちています。

 

赤い鳥居の前に、お堂の主・赤子地蔵の説明板があります。

ちょっと意味が分かりにくい所があります

太田市HPによると、

西福寺東方の八王子丘陵の一部である「地蔵ヶ窪」(白鬚神社の南方にあり、赤子地蔵尊の和讃では、「赤子山」といっている)に埋もれていたのを掘り出し、西福寺の地蔵堂に安置したと言われます。台座・光背・本像が一石造りの石像地蔵菩薩像です。高さは71cm、幅は51cmあります。

地元の伝承では、隣接する西長岡町を中心に惟喬親王にまつわる伝説が残されており、この地蔵尊は親王の病気を治したと伝えられています。

安山岩を使用していること、台座の蓮弁の彫りが浅く大型化していること、左手の宝珠がやや楕円形であることや光背が加工してあることなどの特徴から、室町時代末頃(15世紀中頃)の作と考えられています。

お写真もあります

 

ガラス越しなので、お姿がよくみえません

映って向こうに見える山が、白鬚神社のある山かな?

「隣接する西長岡町を中心に惟喬親王にまつわる伝説が残されており、この地蔵尊は親王の病気を治した」ですか

惟喬親王は、確かに上野太守になってますけど、実際に上野に下ってきてはなさそうです。

どうして、このあたりに惟喬親王の伝説があるのでしょう?

太田の惟喬親王の伝説も、探訪してみたいものです

 

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