黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの久保井漫遊記(行仙上人の記憶を求めて)

2020-07-12 23:01:49 | 群馬県・旧勢多郡

晴れました

朝も夕方も、雨を気にせずお散歩できました

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、南の方にお散歩です。

今日は赤城山がきれいに見えます

あれ、誰か来る。

タバサねーちゃんと獅子丸です。

獅子丸はパパがいるので、微妙な態度を取ります。

先に行ってるね

 

 

 

7月1日、行仙上人(ぎょうせんしょうにん)の記憶を探して、久保井(くぼい)探検リベンジです。

今回は、久保井の県道3号線沿いにある、桐生市議 K 氏の事務所駐車場をお借りしました。

駐車場を北に出ます。

あの赤い屋根が、久保井集会所です。

このまま坂を下ります。

左上から降ってきました。

パワースポット、なさそうよ

 

道なりに窪地の上に出ます。

十三塚の集会所の前を、西に行きます。

 

あれ、中塚古墳だって

お地蔵様がいる

こんにちは

太陽光パネルの畑の角においでです。

 

道なりに中塚古墳の方に行きます。

方墳ですか

今回初めて認識しました。

「山上碑(やまのうえひ)」に記された新川の臣の墳墓と推定されているとあります。

 

ちょっと寄ってみます。

あれ、入り口が開いている

いつもバリケードがあったのに。

入り口に文字があるような?

戦後間もない頃、是に人が住んでいたと古老は云います。

墳丘に登ってみます。

墳丘場の石宮は、何様かわかりません。

何もないじゃん、つまらないよ

でも、墳丘上から見ると、方墳のようにも思えます。

すぐ西隣は武井廃寺跡(たけいはいじあと)です。

ここは武井です。

久保井の西隣は武井だったのです。

 

道なりに窪地を歩いて駐車場に戻ります。

どうもこの辺りには、行仙上人の記憶はなさそうです

駐車場を出て、県道3号線に出ます。

 

おや、ナビの地図では県道の南も久保井と出ています

急遽左折して、道を探して、南に回り込みます。

 

あれ、ここは雷電神社の北側だ

久保井は、この道の北側までのようです。

雷電神社には急坂を登らなければなりません。

今回はパス。

 

そうだ、雷電神社の東には、笠塔婆がある

あちこちウロウロして、なんとか雷電山の東に回り込みます。

 

あります、笠塔婆

ここは、パワースポットです

桐生市HPによると、

雷電山は、標高202メートルで山頂には雷電神社が祀られています。笠塔婆は雷電山東麓の末端に 2 基ありますが、凝灰岩製のためかなり風化が進んでいます。塔身の上面に柄(ほぞ)が造り出されていることから、かつてこの上に喝采しがのっていたと思われるが現存しません。建立されたのは、鎌倉時代から室町時代の間と推定されています。

ほんの数メートル向こうまで、久保井なのです。

かつては久保井だった可能性もあります。

現在は久保井からちょっと外れるけれど、鎌倉時代の笠塔婆はこの地にあった阿弥陀信仰の名残です

行仙上人の記憶とつながりそうです

行仙上人の著作といわれる「念仏往生伝」に、「窪井の本坊にて是を聞く」という表現があって、行仙上人は窪井(久保井)に住んでいたといいます。

 

県道3号線の南側がパワースポットです。

ただ、このあたりの県道3号線は、古い時代に山を切り開いて造ったらしく、両側がコンクリート製ではなく石積みです。

かつては、雷電山は久保井の窪地まで、なだらかに裾が広がっていたのでしょう。

雷電山の笠塔婆、この地に、熱心な阿弥陀信仰があったのです

 

ただいま

あれ、獅子くんは「お帰りのウエルカムポーズ」でぬいぐるみをくわえていますけど、目が怒ってます。

どうしてタバねーちゃんだけお出掛けなの

そのうち、獅子くんもお出掛けしようね

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天巽禅師の隨身に神童中峰あり(迦葉山紀行 4 )

2020-07-11 21:15:59 | 北毛紀行

ひめちゃんは、恋の季節真っ盛りを、無事に過ぎたようです

今日の夕方は、小次郎パパと諏訪神社にお散歩してきました。

パパの怪しい行動もなく、草むらに一緒に首を突っ込んでも大丈夫でした。

だだ、鳥居をくぐった途端に雨が降り出し、濡れながら帰りました

 

ひめちゃんの恋の季節は終わりそうですけど、七海ママの恋の季節は終わりそうもありません。

前回も今回も長く続いています。

パパは、ママにラブラブです

恋するパパの真剣なまなざしを受け止めるには、ママは年を取り過ぎました。

 

 

参道に回って、中峰堂の方に行きます

気になる掲示板が後ろ向きです。

 

参道に降りると、「迦葉山縁起・その他」でした。

「迦葉山縁起」に関する部分だけ、拡大します。

降って康正二年天巽慶順禅師により曹洞宗となる。天巽禅師の隨身に神童中峰あり。神通力を有し広く衆生の抜苦与楽の請願を立て昇天された。その後に天狗面が残され、鎮守中峰大菩薩として祭られ迦葉山信仰の中心となっている。

康正二年は1456年、室町時代・応仁の乱(1467)の少し前ですね。

天巽禅師は、「てんそんぜんじ」でいいのかな?

HPによると、

天巽禅師が二世大盛禅師に譲られるや、「吾、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の化身にて已に権化化業は終わった。よって今後は長くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん。」と請願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。

 

神童中峰は、迦葉尊者の化身だったのです

迦葉尊者は、ウィキペディアによれば、

釈迦十大弟子の一人。仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。

 

参道を入り直します。

なぜか、右が大天狗、左が小天狗です

 

失礼します。

中峰尊の額は、子爵源長生書とあります。

新田岩松家の源さんではありませんね。

確か岩松家は男爵でしたね。

 

さらに、失礼します。

わあ、コロナウイルス撲滅感染収束祈願中」です

心を込めて、合掌

 

さて、もう少し散策です。

 

鐘楼堂です。

どんな音色かな?

 

おや、千手面観音です

現代感覚の素敵な千手観音菩薩です。

合掌

 

こちらは聖観音の坐像のようにみえますけど。

雪の下です。

雪の下は、やっぱい水を好むのですね。

昔、実家の井戸端にありました。

地味だけど、懐かしい花とぱっぱです

今はもうない実家を思いながら、合掌

 

心と体と命の洗濯ができました

ありがとうございます

また、紅葉の季節にでもお邪魔できればいいなあ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後ろの山は登って大丈夫ですか?(迦葉山紀行 3 )

2020-07-10 22:41:29 | 北毛紀行

ひめちゃんは動物病院で処方されたお薬を飲みきりました

角切り肉が入った犬用缶詰のお肉に押し込んで、食べきりました。

今朝は、堀之内を西に出て、諏訪神社を廻ってきます

帰り道、紫陽花と甘草の咲いているところで道草です。

大分元気になりました

もう少ししたら、小次郎パパや獅子丸とのお散歩も再開できるでしょう

 

 

行く手に、さっき逢ったような仁王像があります

またまた、こんにちは

右の仁王像です。

左の仁王像です。

後ろが総合受付とあります。

御朱印をお願いしてみましょう。

天狗の迦葉山(かしょうさん)バージョンの自販機です

 

「こんにちは。御朱印をお願いします

「はい、お待ちください。」

いただいた御朱印です

 

おじさんは、御朱印よりも、さっき見た石造仁王像の後ろが気になっていたようです。

「後ろの山は、登って大丈夫ですか?」

「やめた方がいいですよ今朝も熊がでました。毎日出ていますよ。」

「奥に行かないで、そこらへんだけなら大丈夫かな?」

「まあ、バッタリ出会わなければ大丈夫でしょう。」

 

おじさんは、仁王像の後ろ、地下通路の向こうが気になっていたのです。

地上を行けないという事は、ここから聖域になるのでしょう。

 

おじさんは、地下道をくぐって、さっさと登って行きます。

うわあ、いったい何段あるのだろう

「熊に注意」があります。

この上は迦葉堂(かしょうどう)です。

ゼイハア、ゼイハア

 

やっと登りきります。

静寂な空間です。

石造物もたくさんあります。

熊が出るという空間なのに、みんなオガケをしていました

右下にお堂が見えます。

 

おじさんは、さっさと行ってしまいます。

合掌して、後を追います。

 

開山堂です。

迦葉山弥勒寺のHpによると、

開創は嘉祥元年(848年)時の上野国の太守、桓武天皇の皇子葛原一品親王が比叡山三祖円仁慈覚大師を招き、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開かれた。唐より帰朝まもない高僧慈覚大師は、大乗経中三会の法「迦葉仏鶏足山に出現し、不生不滅を示し、弥勒下生龍華院を期す」より、遠くお釈迦様の後を継がれた迦葉尊者が第一回の経典を造られ結集の地、鶏足山と山並みが同じであるとし、初の千人供養会を開き、迦葉山龍華院弥勒護国寺となる。

迦葉(かしょう)は、お釈迦様の後を継いで第一回の経典を編集した迦葉尊者にちなむのですね

 

静かに合掌です

 

階段ではなく、坂を下ります。

あの地下通路をくぐると、俗界に戻るような雰囲気です。

お寺全体が、俗界を離れているはずですけど。

 

余談ですけど、あれだけの階段をのぼっても翌日に足が痛くなることはありません。

ひめちゃんたちと毎日歩いているからでしょう

水平の移動ですけど、垂直の移動にも、効果抜群です。

 

さて、さっきから気になっていたあのお堂に行きます。

大きな天狗の団扇が見えます

 

(つづく)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天狗の里・黒門の指さし道祖神(迦葉山紀行 2 )

2020-07-09 19:26:22 | 北毛紀行

ひめちゃんのお薬も、あと一回分残すだけになりました

発情の関係もあって、まだひとり散歩です。

ちょっとやせたかな?

獅子丸とタバサねーちゃんが、追い越していきました。

タバサねーちゃんは、「ひめ、大丈夫? ガンバだよ

 

 

迦葉山(かしょうざん)の山号の黒い門です

両サイドに、石の仁王像です

さっきの山門の石造仁王像とは全く違った趣です

 

左の仁王像の脇に、付近の案内図です。

案内図に寄れば、この黒い門は慈愍門(じみんもん)です。

その先に、弥勒橋(みろくばし)があって、黒門があります

でも、そばには熊出没注意!の貼り紙もあります。

車は一方通行で、ぐるりと廻るようになっているのですね。

下り線の突き当たりは、さっき間違えて行ってしまったところです。

もちろん、上り線を行きます

 

仁王像の向こうに何か見えます。

何だろう?

くぐって、ご対面です。

老婆が何かに乗って、指さしているように見えます。

何だろう?

たまたまこの石仏が、桐生市立図書館から借りてきていた本にありました

天狗の里、沼田市郊外の迦葉山。参道黒門の仁王像前にある道標は、一見老婆のようだが、左手は弥勒寺の方向を指し、そでの部分に迦葉山の文字が風化に耐えて残る。弥勒寺は沼田板東三十三ヶ所の巡礼の起点。(『冥途の神々たちー奥利根の石仏ー』朝日新聞社前橋支局編1988)

30年前は、この門の前にあったんですね

なるほど、袖に何となく迦葉山とあるような気もします

 

案内図では、なんなく駐車場に到達できそうです。

ところが実際はかなりのつづら折り、ヘヤピンカーブの連続でした

さすがに霧の峠を越えてということはなかったですけど。

 

ほっとする空間が、突然出現しました

この上が、天狗の寺・迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)です。

おや、狛犬ですね

 

付近の案内図があります。

さっきの「指さし道祖神」の指す道を上ってくると、ここに来るのです

 

聖観音です。

ここは、今は曹洞宗のお寺です。

おかげさまで辿りつけました。

ありがとうございます

 

駐車場から境内に入って、参拝です。

先ず目に付いたのが、この近代的な建物です。

御籠堂玄関、団体休憩所とあります。

 

隣が本堂です。

クラシックです。

クラシックすぎます

縁側にさりげなく説明板です。

もともとは、天台宗東国伝導教団の慈覚大師円仁が開いたお寺だったのです

 

本堂前にも、聖観音?

龍鳳観世音菩薩とあります。

 

石造物もいっぱいです。

 

本堂の向こうに、華やかな空間が見えます

行ってみましょう

聖観音です。

おや、さっき見たような仁王像が見えます

 

 

(つづく)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迦葉山紀行(巨大な天狗面に惹かれて)

2020-07-08 21:59:15 | 北毛紀行

ひめちゃんは、お腹を壊してしまいました

一昨日の夜中に何度も「お腹が痛いよ」と騒いで、お散歩に出ました。

本当に痛かったようで、声を上げて排泄していました。

昨日の朝、動物病院に行って、太いおおきな注射と小さな注射の2本をして、お薬をもらってきました。

お薬が効いているのか、今日は落ち着いています

みかけは丈夫を絵に描いたようなひめちゃんですけど、そうではない面も持っているようです。

 

 

 

川場村の吉祥寺に行くときに、沼田市内でテングプラザ東という信号を左折しました。

巨大な天狗面がありました。

帰りにも通りました。

 

沼田と天狗、そうだ迦葉山(かしょうざん)だ

迦葉山に行ってみよう

7月3日、テングプラザの巨大な天狗面に惹かれて、迦葉山に行ってきました

 

巨大な天狗面を横目に、テングプラザ東の信号を左折します。

あれ、コンビニだ

行く先遠いので、なるべく寄り道をしない方針だけど、急遽寄り道です

コンビニの駐車場の隣です。

大きい

 

天狗面の由来もあります。

迦葉山弥勒寺の開創は、慈覚大師円仁とあります

天台宗の東国伝導教団がやって来たときに、開山されたのです

その後、どうしたのでしょう?

曹洞宗に改宗されたのですね

その改宗開山さんの高弟・中峰尊が実は天狗だったのです

 

天狗プラザの後ろは、JAの農産物直売所です

寄りたいけど、「先途ほど遠し」です。

我慢、我慢、コンビニでホットコーヒーを調達して、いざ迦葉山へ。

 

 

ナビの指示通り進みます。

かなりかなり行って、左折の指示が出ました。

けれども、その道は一方通行、進入禁止でした

これはやばい

ナビは時としてとんでもない道を教える事があります。

戻るしかありません

どこかに登り口があったはずです。

Uターンして、ゆっくり戻ります。

だいぶ戻りました。

 

ありました

こんなに大きくあったのに、さっきは全く気がつきませんでした。

 

右下には、読み取れませんでしたけど、道標もありました。

ここがメインの入口だったのです

 

左下には、石造物です。

双体道祖神もあります

 

道なりに昇って行きます。

だんだん山深くなります。

少し心細くなった頃、あれ、何かある

 

補陀坂の案内板です。

人々の苦悩を救う観音菩薩の存わす所を補陀といい 理想の別天地で桃源郷の趣が漂う所であるその入り口に見合った坂

 

ここから、別世界なのです。

本来はここを登って行ったのです。

天狗が出現しそうな雰囲気になってきました。

 

補陀坂には、山門があります。

大きな大きな山門です

駐車場はありませんけど、まあほとんど車も通らないので、路上駐車で失礼します。

りっぱな仁王門です

 

門の外にも、狛犬ではなく、仁王様です

 

鮮やかな仁王門と仁王様です

おや、上を見上げると天井絵です

くぐって振り返ります。

石造の仁王像2体とも見えます。

 

門の外回りも手を抜いていません

くぐると、別世界に入った気分です

 

おや、おじさんはこの道を行くつもりかな?

左の石造物は何でしょう?

下に天狗のお面があります。

こころくくい演出?

ちょっと徒歩では無理そうです。

車に戻って、心細く昇って行きます。

 

突然黒い門が出現しました。

「参道是より二十分」とあります。

こちらは石の仁王像が2体です

 

(つづく)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする