黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

たわら杉もかくや?(村檜神社)

2020-07-18 21:46:34 | 下野国

朝、ひめちゃんは小次郎パパと西の方にお散歩しました。

神社を過ぎると、無人だけど花がいろいろ咲いている家があります。

道ばたで、ちょっと借景です

換毛、もう少し時間がかかるかな?

おや、向こうから見たことある2名がやって来ます。

すれ違う時、パパは後ろ向きになってしまいました。

獅子丸も、知らんぷりで通り過ぎます。

パパと獅子丸の間には、深い溝がありそうです。

 

 

 

大慈寺の隣の神社は、村檜神社(むらひじんじゃ)です。

大きな木々と、高い石段の神社のようです。

すごい杉です

まるで「たわら杉もかくや」と言う感じです。

三夜沢赤城神社には、俵藤太こと藤原秀郷が寄進したと伝わる巨大な杉があります。

 

神門をくぐって、社殿に到着です。

七夕飾りが残ってます

個性的な狛犬です

よそではお目にかかったことない容貌です

2礼2拍1礼で参拝です

 

ちょっと横から失礼します。

本殿・拝殿の区別はなさそうです。

屋根がすごいです

檜皮葺(ひわだぶき)です

村檜神社の屋根は、檜(ひのき)の皮で葺いてあるのです

 

右の方はロープが張ってあって、立ち入り禁止です

左の方に行きます。

 

ちゃんとした社務所があります。

本日は無人ですけど、縁日には賑わうのでしょう。

村檜神社と西宮神社の書き置きの御朱印があります。

村檜神社のだけいただいて、御朱印代¥500を賽銭箱に入れます。

今度は、日付がまずまずに入りました

 

では、社務所後ろの西宮神社に参拝です。

 

振り返ると、またも、「たわら杉もかくやの巨木」が目立ちます

あの幣束が下がっている建物が神門です。

 

神門を降って帰ります。

たわら杉もかくやの杉が林立しています

 

鳥居の前の狛犬は1体だけです。

杖はまだありました。

 

そのまま降ります。

大きな灯籠です。

さっきは、左から狛犬のあたりりから、参道に入ったのでした。

 

少し降ると、案内板看板が賑やかな空間があります。

 

関東ふれあいの道の案内板もあります。

北には唐沢山神社(からさわやまじんじゃ)、南には大平山神社(おおひらさんじんじゃ)があります。

 

村檜神社の説明板もあります。

大化2年(646)の創建ですか

檜皮葺のあの屋根を持つ本殿は天分22年(1553)に建てられたんですか。

あれ、1553年は、ふつう天文(てんもん)22年ですけど。

境内の杉は、やはり樹齢1000年のたわら杉クラスです

 

説明板の隣には、大慈寺旧参道と日本七佛薬師の案内が建ってます。

ここから、あの小野小町ゆかりの薬師堂にお参りしていたのですね

 

振り返ると、神社の斜め向かいに小野小町の墓の表示です。

ひとまず駐車場に戻ってから、参拝しましょう

 

 

(つづく)

 

 

 

 

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道忠教団の根拠地(慈覚大師修行の寺大慈寺・後編)

2020-07-17 21:39:31 | 下野国

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩しました。

今にも泣き出しそうな空でしたけど、パパが珍しくどんどん進みます

お散歩コースの最南端の小学校付近を廻って帰りました。

ここらへんは、稲作地帯なので、水路が縦横に走ってます。

中には、ゴウゴウと音を立てた、速い流れもあります

ひめちゃんたちが落ちて流されたら、助かりそうもありません

 

 

 

慈覚大師像です

比叡山に登った15歳の時の慈覚大師ですね。

 

 

後ろの慈覚大師堂の左に、階段があります。

 

 

少し登ると、開山堂です。

「開山行基菩薩を祀っている」とあります。

この方が行基菩薩ですね。

こんにちは

手にお持ちなのは何ですか?

 

 

開山堂の前に、高い塔があります

相輪橖(そうりんとう)です。

弘仁年間の伝教大師様の銘文が刻まれています。

大師はここを天台教学のセンターとされました。

 

伝教大師最澄は、東国伝道に訪れたのですね

大慈寺二祖道忠の道忠教団(道忠一門)は、最澄の東国伝道への導き手であり、受け入れの母体であったということです

そして、ひめちゃんちの近くの山上多重塔(やまがみたじゅうのとう)を建立した、僧・道輪も、道忠教団に連なると言われています

 

僧・道輪は、延暦20年(801)7月17日、山上多重塔を建立します

あれ、今日は7月17日です

 

延暦20年(801)7月17日は旧暦なので、8月末から9月初だったでしょうけど。

まあ、7月17日ということで、奇遇です

僧・道輪が連なると言われる、道忠教団の道忠が二祖の大慈寺を、記事にしてるなんて

 

ついでに、今日の山上多重塔を確認してきました。

貴族だけの仏教ではなく、衆生教化の仏教が始まってます

 

 

さて、次は、真っ赤な端が旗めく元気な空間です。

女神様ですか

「南無小野寺大明神」、静かに手を合わせます。

 

雨がひどくて、足場も悪いので、ここより奥は断念です

 

 

階段を降りて、奥に行きます。

「小野小町日本七佛薬師」とあります。

小野小町も、ここで晩年を過ごしたそうです

小町については、後日もう一度、乞うご期待

 

 

隣に、境内案内図があります。

こちらも、ちょっと不鮮明ですけど、目をこらして確認です。

 

 

境内案内図の前です。

あれえ、ライシャワーさんだ

慈覚大師の研究者でもあったライシャワーさんは、大慈寺を訪れたのですね

そばには、何の木かわかりませんけど、記念植樹された木があります。

 

鐘楼堂です。

「開運の鐘」とあります。

元々は、天徳寺了伯(てんとくじりょうはく)の奉納で、これは再鋳されたものとあります。

そういえば、佐野を通って来ました。

天徳寺了伯は、佐野氏の一族ですね。

 

向こうに神社が見えます。

せっかち人間のおじさんは、もう神社の階段を登ろうとしています

誰かの置き忘れの杖があります

 

 

(つづく)

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慈覚大師円仁修行の寺・小野寺山大慈寺(前編)

2020-07-16 21:57:36 | 下野国

朝は雨の中のお散歩でした

夕方はちょっと心配でしたけど、なんとか持ちました

ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩です。

クンクン、同じ所に首を突っ込んでも大丈夫です。

ひめちゃんの恋の季節は完全に過ぎたようです

幼少の頃は出血で、恋の季節の開始がわかりました。

成長するに従って、自分で舐めて処理をしてしまうので、開始日がわからなくなります。

 

タバサねーちゃんと獅子丸が追い越して行きました。

みんな換毛が進んで、少し痩せて見えます。

 

庚申塚古墳を通って帰りました。

草刈りがしてあるし、双体道祖神の前ではいポーズと行きたいところですけど、ひめちゃんたちは興味が無いようです

この双体道祖神は、結構有名なようです

 

 

慈覚大師円仁の生誕地は、先日訪問しました

さて、9歳から15歳まで修行したという大慈寺も、県道67号線で行けそうです

雨でしたけど、11日の土曜日出掛けてみました

前回と同じように、国道67号線を行きます。

途中足利市内で、古印最中(こいんもなか)を買います

ここは織姫神社の近くで、お店の隣にミニ織姫神社です。

織姫様のお出ましはありませんでした。

時間が合うと、扉が開いて、織姫様がお出ましになるんですけど。

 

足利を過ぎて、佐野で犬伏薬師堂の方に左折、大慈寺を目指します。

迷うことなく到着できました

 

駐車場に境内の案内板です。

とりあえず本堂の方に登ります。

すぐ後に、御朱印ウーカーかな、一人おじさんがやって来ます。

あちこち、ウロウロしています。

 

山門のそばには、御霊水があります。

漢字を眺めて、大慈寺のHPを眺めると、慈覚大師がこの井戸の水で剃髪したということです

そして1200年経っても水が湧き出ているということです

 

山門を挟んで反対側に、「大慈寺の沿革」があります。

開祖は行基、二祖は道忠、三祖は廣智とあります

道忠さんは、ここの二代目住職なのですか

この人は、ひめちゃんちの近くにある山上多重塔(やまがみのたじゅうのとう)との関連で、よく耳にする人です。

多重塔を建立した道輪が、道忠教団との関わりがあるのではといわれています。

奇遇です

ここは道忠さんのいたお寺だったのです

 

さあ山門を出て、山門から入り直しましょう。

古刹ですね

 

振り返って、参道です。

今はほとんど通る人はいないようです

 

山門をくぐって、本堂に参拝です

おじさんの姿はもうありません。

おや、賽銭箱の脇にレターケースがあって、書き置きの御朱印があります

御朱印代は賽銭箱にという指示といっしょに。

さっきのおじさん、御朱印見付けられたかな。

 

書き置きの御朱印、日付を入れました。

うまく入りませんでした。

日付を入れるって、難しい

 

本堂の脇の方は、慈覚大師です

若い

少年の慈覚大師です

 

斜め後ろに慈覚大師堂があります。

説明板に、この堂内には、慈覚大師自刻の大師像が安置されているとあります。

 

(つづく)

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慈覚大師円仁ゆかりの寺・高平寺

2020-07-15 21:40:18 | 下野国

雨の朝です。

ひめちゃんと小次郎パパは、ビンボー合羽でお散歩です。

折悪しく、小学生の登校時間になってしまいました

急遽、脇道に待避です。

子どもが苦手なひめちゃん、緊張して見送ります

 

夕方も、ひめちゃんたちはビンボー合羽でお散歩でした。

でも、ひめちゃんちには、黄色いオニユリが咲きました

初めての開花です

 

 

慈覚大師円仁の生誕地を訪れることができました

さて帰りましょう。

自宅をナビに入れると、国道50号線を通るルートを示します。

まあいいか、同じ道を帰ってもつまらないし。

 

ナビに従って、国道50号線を目指します。

しばらく行くと、右手に赤い山門が見えます。

高平寺かな?

急遽、右折して鐘楼堂の向こうの駐車場に入ります。

高平寺南大門です。

梅雨空に映える、真っ赤な鐘楼堂です

 

駐車場の隣には、睡蓮の池です。

向こうは巨大な霊園です

 

南大門から失礼します。

山門も梅雨空に映えてます。

 

本堂です。

慈覚大師ゆかりの寺なのに、弘法大師像があります

実は現在の高平寺は、真言宗のお寺なのです。

 

高平寺HPによると、

高平寺は真言宗豊山派に属しております。総本山は奈良初瀬の長谷寺で、大本山として東京都文京区の護国寺があります。当寺はみかも山東麓に位置し、面積はおよそ6ha余。天台宗三世座主慈覚大師円仁が9歳まで養育、修行された寺です。当寺は元、末寺十八ヵ寺を従え、元和元年(1600年)天台宗から真言宗に転派 ~(中略)~大師が修行された行之井(ぎょうのい)、大師がその御かをを水面に映し、自相を描いたとされる面相智水(めんそうちすい)も存在します。

 

江戸時代の初めに、天台宗から真言宗になったのですね

天台宗第三世座主慈覚大師ゆかりの寺なのに、どうしてかな?

「慈覚大師ゆかりの寺」として訪問すると、そこに建っているのは慈覚大師と一瞬思ってしまいます

どうも御朱印をという雰囲気ではありません。

 

静かに合掌して、境内の散策です。

 

奥が、行之井です

子どもの慈覚大師が修行したところですね。

 

こちらは、面相智水です。

顔が映るかな?

 

更に奥に滝がありました。

落ち着いた雰囲気の日本庭園ですけど、紫陽花が見当たらなかったような気がします。

 

何だろう?

仏が刻まれているようですけど?

 

霊園関係の事務所があります。

やっぱり御朱印のことは聞きにくい

 

駐車場に戻ります。

おや、かわいいお地蔵様です。

ええ、毛はえ地蔵

初めてお目にかかったお地蔵様です。

いろいろなお地蔵様がいるんですねえ

 

さて、ナビの指示通りに国道50号線に出て、桐生方面を目指します。

あれ、「道の駅みかも」だ

以前バスツアーで、寄った事があります。

反対車線なので、ちょっと寄るのは難しいです。

又今度、機会があったら寄りましょう

 

 

 

 

 

 

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慈覚大師円仁の生誕地(高平寺別院・誕生寺)

2020-07-14 20:46:14 | 下野国

タバサねーちゃんにお帰りしながら、獅子くんの目は怒ってました。

どうしてタバサねーちゃんだけお出掛けするの

その後、獅子くんもお出掛けです

行き先は、動物病院です。

コロナの影響で、受付を済ませたら、外か車の中で待ちます。

緊張しています

 

実は、震えていたのです

順番が来て呼ばれて、よい子でワクチン接種ができました

ひめちゃんも一緒に来たかったですけど、お腹を壊して延期です。

もうそろそろ大丈夫かな?

来週あたり行ってきましょう

 

 

天台宗東国伝導教団は上野・下野にも大きな足跡を残しています

そして、そのトップだった慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の故郷は、なんとお隣下野の国だといいます

生誕の地は、国道67号線をひたすら行けばたどり着きそうです

先週、東の桐生市に用事があって行きました。

ついでに、足をのばしてみよう

ただひたすら国道67号線を東に行きます。

 

あ、あのガソリンスタンドの奥だ

ストリートビューで見た、ガソリンスタンドが出現しました。

右折しようとして、あれえ、廃業してる

右折できません

ここまで来て、このまま帰れない。

 

少し先の信号を左折します。

わあ、「慈覚大師誕生の里」の表示があります

右折して、回り込みます。

かなりの細道です

でも、なんとしてもたどり着かなくては。

 

根性でたどり着きました

駐車場もちゃんとあります。

付近の案内板もあります。

 

細道の向こうに渡ります。

しつこく、慈覚大師円仁の誕生の地の表示です。

ライシャワーさんも来たのですね。

ライシャワーさんは、駐日大使として有名でしたけど、慈覚大師円仁の研究者でもあったということです。

後ろの池が、産湯を使った池かと思いきや、それはその奥の金網に覆われたこちらでした

こんなに厳重に覆うには何か理由があるのでしょうか?

 

岩舟町教育委員会の説明板があります。

「慈覚大師円仁は、延暦13年(794)この地で誕生した」とあります。

堂前の古い井戸は大師誕生当時のもので、この井戸の水で産湯を使われたと伝えられている。昔は、この井戸の水は、諸願成就息災延命の利益があると伝えられていた。

 

霊水なので、水をくみにきたり飲んだりする人がいるのですね。

この状態では飲めません。

汲もうとして落ちても困りますしね。

 

あちらに、慈覚大師がおいでです

こんにちは

太い眉の方だったと、どこかにありましたけど、そんな感じです

 

どんなことも受け止めてくれそうな背中です

 

お堂の方にも、参拝です。

高平寺別院・誕生寺とあります。

失礼します。

何となく、誕生イメージの空間です。

やすらぎのひとときを、ありがとうございます

合掌

 

(つづく)

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