三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

ゆりのき台中学校で第2回指定避難所見学会

2016年08月29日 | 防災・減災
 8月21日(日)の午前中にゆりのき台中学校(災害時一時避難所)で第2回目となる指定避難所見学会が開催されました。
 主催するのは、自治会(自主防災会)ですが、今回も地域で活動している防災リーダーの皆様の協力をお借りしての開催です。
 当日の一通りの流れを写真を添付して報告いたします。
(集合)
 スタッフである、自治会関係者と防災リーダーの皆さまは、8時にゆりのき台中学校の下駄箱付近に集合しました。
 受付の設営やAEDの訓練会場への物品の搬入、パネル展示物などの設営をスタッフで分担しました。
(受付・参加者への説明)
 受付は、丁目ごとに行い、参加人数を把握しました。三田西陵高校のスポーツクラブの生徒も駆けつけて下さり、総勢52名の参加となりました。
 8時30分からいよいよ見学会が始まります。
 最初に防火防犯部長の挨拶やAEDをご提供くださったJRあんしん財団担当者の紹介、ゆり中教頭先生の紹介があり、当日の流れの説明がありました。
 その後、三田市危機管理課長より防災に関する安全の心構えなどの説明があり、参加者は、中学校に備えてある防災倉庫へ移動しました。

(防災倉庫の見学)
 防災倉庫では、危機管理課長より防災倉庫の役割の説明がありました。防災倉庫では、最低限の物品しか置いていないことや食料と飲料水は最低3日分を各自確保していただく必要があること。三田市の組織では、大災害時には市民の命を救えない、ご近所の助け合いが必要なこと。などの説明があり、参加者は、防災倉庫の備品をのぞき込んでいました。
 参加者は、食料や水も中学校で備蓄しているものと思っていた様子でした。「日ごろの備えが大切ですね。」の声も・・。

(一時避難所・体育館の見学)
 ゆりのき台中学校の教頭先生の案内で体育館を見学させていただきました。ちょうど、クラブのやっていない時間帯でしたので、体育館の広さが実感できました。
 この体育館は、収容人数が450人となっています。大きな災害の時は、写真では床に段ボールが敷いてありますが、1畳分の広さで過ごしてもらう必要があります。
 450人の収容と言うけれど、通路の確保、真夏や真冬は大変だ!との声も聞かれました。

(非常食説明)
 体育館から非常食の説明会場へ移動し、アルファー化米の仕込み方などを教わりました。
 お湯で作る時約60分かかるため、この間に通報訓練やAEDの扱い訓練を行います。


 写真は、50人分のアルファー化米をつくっている様子です。
 また、AEDの提供やアルファー化米を提供していただいたコスモ食品さんに敬意を表してパネルにさせていただきました。
 
(通報訓練)
 今回初の試みとして119番通報の訓練を行いました。参加者から5名を選出し、消防署へ実際に事故・ケガが発生したものとと想定して携帯電話を活用して、消防本部指令室へかけさせていただきました。
 本部から場所の確認、けがをしたあるいは、病気の様子を的確に聞かれていることが、手に取るようにわかります。
 日ごろ救急通報を経験していない参加者が多いようでした。この訓練は、消防署の協力をお借りして実施したものですが、もちろん他の実際の通報や非常事態にはかけられないこと。をあらかじめ事前打ち合わせして実施したものです。

(AED訓練)
 ゆりのき台所有のAED2体、そして消防本部からAED2体をお借りしAEDの訓練を4班に分けて実施しました。
 消防本部の担当者と防災リーダーが各班に入り訓練開始です。今回は、心肺蘇生法全般を学びましたが、肺に空気を送り込むマウスツーマウスは、1回の訓練では難しい様子でした。

(非常食の試食)
 ここまで来るともう時間は、11時20分を回っています。
 AED訓練を終えた参加者にアルファー化米の試食をしていただきました。今回は、炊き込みご飯でしたので、味もついており、西陵高校の皆さんは、試食を楽しんでいる様子でした。
 帰りにアンケーをしていただき、企業提供のスープを参加記念に持って帰っていただきました。

 地域に存在する指定避難所を知っていることは、有事の時の動きが違うのではないかと思います。
 また、何でも行政がしてくれるのではなく、まずは、自助があり、次にご近所の助け合い、そして公助が最後になることを地域の皆様が知ることが大切です。
 地域の方々が過ごすには、広いようで狭い体育館も参加者には参考になったのではないかと思います。
 「三田は、大きな災害がない」と安心せずに災害に遭遇したことを想定して動く必要があるのではないでしょうか。
 ゆりのき台防災会・自治会・ゆりのき台中学校、三田消防本部、協賛企業、地域防災リーダーの皆さま。暑い一日でしたが、準備から片付けまでご協力くださり、ありがとうございました。
 

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3.11から間もなく5年

2016年02月15日 | 防災・減災
 東日本大震災が発生して間もなく5年が経過しようとしている。
 テレビ報道番組も増えてきている。
 被災地では、高台移転が進んでいる様子や防潮堤の建設も進んでいる。
 一方で、復興が待ちきれない被災住民は、都市部へ移住し生まれ育ったまちでの生活を断念した人も多くいるという。

 ここで私見。
 
 今進捗している復興計画は、国の主導で進んでいる事実は否めないと思っている。
 であれば、地方の思いは、何処に行ったのだろうか。
 確かに地方任せでは、復興がおぼつかないのも事実である。しかし、被災した地方や地域に選択する余地があったのかと言うと「なかった」に等しいと思う。そこには、元来から国の統一やどの地方にも平等でなければならないと言った国の精神が働いている。
 被災した地方の「個性」が、この5年間で失われてはいないだろうか?と感じるのである。
 あのような津波が今すぐ来ないとも限らないが、少なくとも高台移転や防潮堤の建設に関しては、地方住民の意見を取り入れた政策は出来なかったのかと感じている。
 「防潮堤は、いらぬ。防潮堤を建設する代わりにその費用を充てて高台への避難通路や訓練を重視する」地域が出てきてもおかしくなかったのではないか。したがって元のまちなみを再建してそこで暮らす。と言う選択が・・・・。

 これには、被災地住民のみなさんの反論もあると思います。被災地の皆さんの思いが分からずに書いているのかも知れません。
 「復興なくして日本の再建なし」とのうたい文句で始まった東日本の復興であるが、地域住民の心を置き去りにした復興はあり得ない・・。
 と感じています。・・・・あくまで私見です・・・。
 
 
 
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一次避難所を知ろう

2015年08月26日 | 防災・減災
 先週末の土曜日(21日)にゆりのき自治会主催(三田防災リーダーの会応援)の防災イベントが開催されました。
 イベントの内容は、ゆりのき台中学校の「一次避難所」としての体育館や防災関連を地域方々に見てもらったり体験してもらうことです。
 これまで、ゆりのき台自治会では、ゆりのき台小学校を中心に防災訓練を実施してきましたが、参加者の中には、ゆりのき台中学校が避難所として指定されている方も多く、今回地域のもう一つの避難所にスポットをあてたイベントを実施したものです。
 午前9時には、地域の方や県立三田西陵高等学校の生徒ら約40名が集まりました。
 
 出席を確認後、自治会会長の野上さんや防災担当部長の挨拶、ゆりのき台中学校の教頭先生、さらに本日お手伝いしていただくさんだ防災リーダーの皆さんの紹介がありました。
 今回の防災イベントの内容は次のとおりです。
 ①防災倉庫の内容の把握
 ②一次避難所である体育館の概要把握
 ③心肺蘇生体験
 ④非常用食料試食
 防災担当部長からのイベント内容説明後に防災倉庫に移動しました。

 まず、防災倉庫の内容把握については、三田市防災安全課の担当職員に来ていただき、「自分の命は自ら守ろう!」と題した資料の提供、説明のほか、防災倉庫にある備蓄品の説明がありました。

 参加者一様に防災倉庫にある飲み水などの備蓄品が地域住民の数の割に少ないことに驚いていました。
 倉庫内にある飲料水は、飲み水ではなく、怪我をした方の除菌の為にあることや一次避難所に来なければならない事態となった際も、最低限の飲み水、食料は、自助で確保してほしいことなどの説明が担当職員からありました。
 これは至極ごもっともな話ですが、何千所帯の住民の飲み水を市がその場で備蓄する難しさがあります。
 また、ここでは、ガソリンエンジンの発電機、これに代るガス式発電機の説明が実際に稼働させて行われました。

 防災倉庫の説明を受けた後、一次避難所である体育館の説明を教頭先生にしていただき、その後心肺蘇生法の説明を市消防局の消防士や防災レディー(インストラクター)が実演。

 その後、さんだ防災リーダーの皆さんが、参加者にAEDの取り扱い方法の手伝いをしました。
 高校生の中には、AEDを扱うのが初めての方がたくさんおられました。AEDの扱いや心配蘇生法を知っているのと知らないのとでは大違い。実際に実行するのには、勇気が要りますが、少なくとも人が倒れていたら素通りする人にはならないと思います。

 心肺蘇生法の講習が終わったところで非常食の試食。
 白米のアルファー化米にココアを溶かしたものを入れることで美味しくいただけることを発見したゆりのき台防災リーダーのSさんやYさんが実際につくってくれました。
 今回のイベントには、地域の方のごく一部の参加に留まりましたが、今後もこのようなイベントを通じて地域の中を住民の皆さんが知ることが大切です。
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心静かに

2015年08月13日 | 防災・減災
 12日の18時~8月22日にゆりのき台中学校で開催される「一次避難所見学会」(ゆりのき台防災リーダーの有志と自治会主催)の打ち合わせが、あり参加しました。
 12日と言えば、あの日航機事故から30年ととなりました。犠牲者は520名。以後、航空機にまつわる事故は、毎年のように起こっていますが、航空機の事故としては、過去最悪です。
 もう30年も経過したの?とおっしゃる方は、多いのではと思いますが、関係者の方々のこれまでの歩みは「8.12」が毎年のように訪れる中で、忘れることのできない、一生背負って生きていななければならない「出来事」に違いありません。
 以前のブログにも書きましたが30年前の8月12日は、妻と一緒に日航機のジャンボに乗り込み午後の便で沖伊丹空港から沖縄へ向かっており、夕方沖縄(久米島)の実家で妻を嫁に迎えたいとの意思を実家のご両親に伝えるちょうどその時刻にジャンボ機が墜落?とのテロップが流れたのでした。
 私の8.12は、「私が生きている、生かされている」と思う一日でもあります。12日の朝には、心静かに御巣鷹山の方角へ手を合わさせていただきました。
 御巣鷹山は、いつか必ず、お参りしなければならない場所だと思っています。

 
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あの日も空は青かった~JR脱線事故~

2015年04月26日 | 防災・減災
 昨日25日は、高平ふるさと交流センターで議会報告会を開催しました。好天に恵まれた中で参加者が少ないのではないかと心配していましたが、40人ほどの方が参加しました。今日も14時~ウッディタウン市民センターで2班の議員の方々の報告会があります。


 さて、午前中は、ゆりのき台中学校に緑化ボランティアの方が集まり校内の植え込み間の除草作業をしました。
 透き通るような青空を見てJR脱線事故から10年目の朝を迎えましたが、あの日も同じような青空だったことを改めて思い出します。
 昨年の同じ日には、「私達には、愛する人がいた!4・25を忘れない!」の看板を立てて新三田駅で立礼をし利用者の皆さんへ事故を風化させないことを訴えました。
 そして昨日の10年目を目前にして事故に遭われた方、事故で家族を亡くされた方々の思いがマスコミを通じて伝わって来ます。
 今朝も2両目に乗り合わせ方が、2両目の様子を描いた絵を展示しているとの報道がNHKニュースで流れていました。
 「遺族の方は、家族の方が最後に立っていた場所、座っていた場所がどこだったのかを未だに知りたがっている。絵を展示するのをためらったが、自分自身も現場近くを通る時に寝ている時さえある。人間て忘れてはけないことも忘れてしまう。」これに気が付き「事故を風化させないためには、生き残った人がしなければならないことがある。」と番組で語りかけていました。
 
 私が尼崎市の職員だったあの日の流れは、昨年の同じ日のブログに書かせていただきました。私の今の存在もあの日の出来事と無縁ではありません。
 偶然に事故車両に乗り合わせなかった私に出来ることは、今こうして議員と言う仕事をさせていただいていることを最大限に生かすことだと思います。 安全な社会・地域そしてこれからも人々が安心して生活して行く上で欠かせない支え合いの仕組みを造って行きたいと思います。
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避難所トイレ用水対策

2015年01月23日 | 防災・減災
 昨夕の新聞に「公立小学校に井戸の整備」を設置する予算を新年度に創設すると記事が掲載されていました。
 災害避難時トイレや手洗いの水で被災者が困り不衛生となり、ひいては被災者の体調の悪化を招いたことから、これを改善するためにおおよそ40万円かかる経費の1/2の補助をまずは、200校分での新設予算を計上するとの内容でした。

 この話は、2年ほど前に防災井戸を小学校の避難所や広域避難所の公園に設置しては如何か?と質問を投げかけていた項目でもあります。
 当時の答弁では、三田市の地質上、水質的には鉄分が多く含まれる水が出て来るために飲料水としては不適当。井戸水は、飲料水だけではなくトイレ用水に使用できまるが、まずは、プールにストックされた水で代用したいとの答弁であり、井戸の設置については、今後の研究事項との内容でした。
 あれから研究・調査などはしていただいているのでしょうか? 

 さて、今回の県の動きを受けた井戸の設置を三田市はどう考えているのでしょう?
 2月中旬以降に発表される三田市の新年度予算の内容を確認したいと思います。
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本日より一般質問

2014年12月11日 | 防災・減災
 先日8日に新庁舎の見学会が、報道関係者と議員に行われました。まだ、備品関係は、入っておらず、市民の利用するブースの雰囲気だけが伝わって来ます。


 また、6階部分の議場も見せていただきましたが、椅子は引き渡しを受けた後に入ってきますので、絨毯だけが目立ちます。ただし、モニターが議場に設置されており、議員が質問する際に出す資料などが映し出される予定です。

 新庁舎はエコボイドと言って庁舎の中心に大空間の吹き抜けを採用し、風が循環するようになっており、空調の電力節減にも一役買うとのことです。

 上記写真は、1階のエスカレーターを上階から撮影したもので、このように吹き抜けになっています。
 また、新庁舎での営業が始まるといずれ解体される運命の旧庁舎が、ひっそりと新庁舎の横にたたずんでいます。56年間三田行政の拠点となった場所でありますが、歴史が刻まれていますね。


 さて、本日から14名の議員が一般質問で登壇します。私は、明日の14番目となりました。
 質問内容は大きく3点です。
1 雨水利用の推進について
 この質問は、平成20年12月にしましたが、当時は国の根拠法令がありませんでした。今年5月に雨水の利用の推進に関する法律が施行され、市町村計画を策定することができるとうたわれました。
 今回の質問では、三田市の策定計画に対する意欲などを伺います。

2 命を守る取り組み
(1)地震から命を守る取り組みとして家具類の転倒防止器具に助成が出来ないかを問います。また、器具類普及に関しての行政の取り組み強化策についても伺います。
(2)AEDの市内設置状況に関しては市が管理責任を持っている公共施設67カ所しかPRできていません。市内にはこのほかにも高校、スポーツ施設、医療機関などにAEDが設置されていますが、市民へは周知されていません。これでは、いざ人が倒れAEDが必要な場合、遠方のAEDを取りに行くことにもなり、命を守ることができません。
 少なくとも市は、公共的な施設も含めてAED設置マップを作成する必要があると考えます。今後の周知の取り組みやさらに近年ICTを活用したアプリ開発でスマホなどでAED位置情報が分かるようにしてほしいとも思っていますので、こちらの取り組みの考えも伺います。

3 まちの魅力を高める情報源として転入・転出者へのアンケートを実施することについて伺います。
 市では新成長戦略プランのうちシティセールスによりまちの魅力を高めるために情報を積極的に収集するとしています。また、これにより、定住を促すとしていますが、市民アンケートのみでは、市外へ転出した方のデータが不足します。これを補い、まちの魅力創造のためにも転入・転出者へのアンケートによる調査が出来ないかを問います。

明日の15時30分前後に登壇を予定しています。

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台風19号接近~小学校が避難所に~

2014年10月13日 | 防災・減災
 18時の情報では、台風の速度がかなり上がってきているようです。あと数時間で再接近の予定です。今は、強い雨が降っています。
 さて、三田市内68地域に避難準備情報が、16時に発令されました。
 また、小学校のほとんどの体育館が避難所となりました。

 夕方に近所のゆりのき台小学校の避難所となった体育館に伺うと、教頭先生と校長先生が待機されておりました。

 ゆりのき台小学校には、自主避難されている方はまだいませんでした。校長先生と15分ほど情報交換させていただき帰宅しました。

 台風への警戒は、この数時間です。下支えしていただいている職員、地域の方々本当にお疲れ様です。災害がでないことを祈りたいと思います。

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丹波市豪雨災害、まだまだボランティア募集中

2014年10月08日 | 防災・減災
 昨日7日に2度目となる丹波市市島町の災害ボランティアへ行ってまいりました。
 実は、6日に申し込みしていましたが、台風18号の接近で6日の作業が中止となってしまい、スケジュールを調整させていただき現地入りさせていただきました。
 市島支所の隣に建っている市島農村環境改善センターが丹波復興支援センターになっています。私の場合は、ホームページから個人申し込み票をダウンロードし、前日にメールで申し込みました。(当日受付でもOK)

 さて、昨日の朝7時15分に我が家を出発、リュックには愛妻弁当とお茶1リットル、作業用手袋と着替え、マスクなど一式。さらに長靴。 丹波復興支援ボランティアセンターには、高速の春日インターを乗り継いで8時過ぎに到着しました。

  受付前には、これまでの復旧・復興に携わったボランティアの人数表が掲示されていました。


 10月4日までに14,702人の方がボランティアに参加していますが、9月25日には、1日で10人まで激減しています。
 この激減は、県外の方のボランティア募集を中止してしまったことが「ボランティアは足りている」との誤解を招いたようです。支援センターではボランティアの激減に危惧し、県外ボランティアの募集中止を撤回し、何とか平日でも活動ができるようになっています。
 それでも私が初回に入った8月24日など土曜日・日曜日は1000人を超えていますが、10月4日の土曜日は、131人と約10分の1に減っています。
 
 受け付けは、8時30分~と書かれてありましたが、既に待機していた職員の方に訪ねると「前山地区の復興支援ボランティアセンター」へ既に配置が決まっているとのこと。地図をいただき前山地区復興支援ボランティアセンターへ車で移動しました。

 前山地区復興ボランティア支援センターで再度名前を告げて受付を済ませていると約10名の方が車や単車を乗り継いで集まってきました。
 参加者の皆さんは、複数回ボランティアの経験者ばかり、オリエンテーションを省いて、復興センターから川沿いに約1キロ離れた農家の家屋へ到着。
 ここでは、瓦礫の中間集積場への運搬と床下の泥の掻き取り作業、柱などの拭き掃除が中心の作業となりました。
 私は、午前中瓦礫を軽トラックに載せる作業と運搬、現地仮置き場での瓦礫降ろし、そして、仮置き場を出たところでタイヤの洗浄作業。これを4往復こなしました。
 道すがら、周りの山々のあちらこちらに土砂崩れの爪跡が残っていました。家屋があったであろう場所が片付けられており、民家が歯抜け状態になっています。また、この前山区に数回来ていると言う小浜市から来ていたOさんによると小学校のプールが土砂で破壊されたとの話も伺うことができました。


 また、午後からは、床下の掻き取った泥の運搬リレー作業に携わりました。家屋の床下には、神戸から来たと言う女性のMさんが大活躍!小柄を活かして狭い床下で重たい泥を掻き出していました。
 民家での作業は、午後3時過ぎに終了しましたが、改めて一人、ひとりの力が結集することでの威力や素晴らしさを感じます。

 民家の縁側に広島から贈られてきた泥掻きあげグッズが置かれていました。

 神戸新聞記者の取材も受けていたようですが、そこには、「仲間はいる!ぼちぼちやろうや!」と同じ災害を被った広島の皆さんからのメッセージが書き留められています。これは、被災者の方へのメッセージなのですが、ボランティアに来られる方にも、何だか元気の出る言葉ではないかと思います。

 ボランティアは、現地の方々が「もう結構」と言うまでは必要となります。半日のボランティアでも参加されている方が多くいます。
 お近くの方、そして遠方の方もお時間許しましたらお力添えください。
 丹波市復興支援ボランティアセンター連絡先(0795-85-2750)
 

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市島町へ復旧ボランティア

2014年08月25日 | 防災・減災
 昨日24日(日)は、当日の予定を変更し1週間前に豪雨被害のあった丹波市市島町へ復旧支援のボランティアをしてきました。
 三田を出発したのは、午前7時過ぎ、学園にあるコンビニで弁当と飲み物を購入し、舞鶴若狭道春日インターを降りて市島支所へ向かいました。春日インターを降りて間もなくすると道路の復旧工事のためにすぐ迂回させられ、また災害ボランティアセンターのある市島支所から離れた場所に駐車場を設営している関係もあり、ボランティアセンターで受け付けが終わったのが、8時30分ごろとなりました。

(ボランティア受付テントの様子)

 受付が終わるとボランティアで来ている方を12名ずつの班に編成。私は4班に入りました。3班の12名の方とバスに乗り込み市島町竹田と言う地域で活動する指示をもらい、現地へ出発しました。

(グループ分け会場)

 現地では、区長さんが出迎えてくださり、公民館へ案内されました。
 公民館で荷物を降ろしたり、再度体制を立て直してから近くの水害に遭われた家屋へ区長さんの案内で向かいました。

(公民館からいざ出発:3班・4班の方々)

 復旧家屋には、約3分で到着。どうやら今日の復旧家屋は、4棟になるようで全て床下浸水被害の家屋とのことのようです。
 4班をさらに二つに分けて作業をすることになりました。私の班は、女性4人、男性2人の構成メンバー。
 最初に伺った家には、高齢のご婦人一人住まいで、昨日一つの部屋の床下の泥を取ってもらったとのことでしたが、もう一つの部屋が終わっていないとの説明。
 そこで、部屋の中の食器棚などを別の部屋に移動し、畳を2畳剥がし、床板を撤去してまだ乾ききっていない泥をスコップなどを用いて撤去しました。泥は、ちょうど少し硬めのクリームのようになっていて、床下にあった地面の土とは明らかに成分が異なっています。
 剥がしやすい部分もありましたが、長靴に泥がまとわりつき作業がもたつく場面もありました。
 本来は乾くまで床板を上げっぱなしにするのですが、ここの方は、お一人住まいの上にここの部屋が使えなくなると生活に支障が出てくるとのことでした。そこで、支給された石灰をまき、再び現状に戻す作業をしてここの家屋は午前11時に作業が終了しました。
 ご婦人は以前尼崎市にお住まいだったようですが、ここに引っ越されてきたそうです。帰り際にソーダ水をいただき労をねぎらっていただきました。

 お昼まで時間がありますので、お隣のお家へ・・・。お隣では、昨日、床下の泥が掻き出されたところへ石灰をまいてほしいと言う依頼と別の部屋の泥上げを依頼されました。
 私の班を2人と4人に分け、私は、石灰まきと床板の取り付け班に回りました。石灰を撒き終わり床板を取り付ける作業が難航。床板に番号が書かれてあるのですが、最後の1枚が入りません。結局最初からはめ込まれてあった1枚目の板がしっかり奥まで入っていないことが判明、床板を取り付け次は畳を据え付けるのですが、これまた畳を上げたのが前日のボランティアの方々で方向が分かりません。
 ちょうど大工さんや市役所の職員が居合わせたため、畳は何とか納まりました。
 お昼には、公民館で休憩と昼食を取らせていただきました。
 その時の皆さんの姿が次の写真です。この頃には雨が降り出して来ていました。雨を避け、公民館の部屋で休む人、そして私のように軒下のベンチで食事をとり空を見上げる方々の姿。

 12時45分にグループ班長の指示で再び現地へ・・・・。
 午後からも、泥掻き作業を継続することに・・・・。
 泥掻き作業が一段落したところに大雨情報による避難勧告が発令されたためボランティア活動の中止命令が出された様子。わが班は大忙しで床板までをはめ込む作業をして終えようと努力しましたが、床板がどうしても納まりません。(少し心残り・・・)
 慌ただしく依頼人の方々にご挨拶して公民館へ急ぎました。

 公民館に戻ると直ぐに帰り便のバスが到着。24名のボランティアの方々は14時30分にはボランティアセンターに到着していました。
 到着後にこの日一緒になった12名が輪になりお互いの作業をねぎらい別れを告げました。
 私の班は、最年少高校3年生で最年長は私、他の班も比較的若い方々がボランティアに参加されている様子です。
 昨日市島町には、約1300人のボランティアが活動していたようです。
 自治会離れが進んでいる昨今、こうして若者が復旧作業に参加する姿は、「頼もしい」の一言です。
 昨日、避難勧告が市島地域各方面に出されています。被災された方々も落ち着く暇がありません。天候の回復と一日でも早い復旧を願うばかりです。

 
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