三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

3.11から間もなく5年

2016年02月15日 | 防災・減災
 東日本大震災が発生して間もなく5年が経過しようとしている。
 テレビ報道番組も増えてきている。
 被災地では、高台移転が進んでいる様子や防潮堤の建設も進んでいる。
 一方で、復興が待ちきれない被災住民は、都市部へ移住し生まれ育ったまちでの生活を断念した人も多くいるという。

 ここで私見。
 
 今進捗している復興計画は、国の主導で進んでいる事実は否めないと思っている。
 であれば、地方の思いは、何処に行ったのだろうか。
 確かに地方任せでは、復興がおぼつかないのも事実である。しかし、被災した地方や地域に選択する余地があったのかと言うと「なかった」に等しいと思う。そこには、元来から国の統一やどの地方にも平等でなければならないと言った国の精神が働いている。
 被災した地方の「個性」が、この5年間で失われてはいないだろうか?と感じるのである。
 あのような津波が今すぐ来ないとも限らないが、少なくとも高台移転や防潮堤の建設に関しては、地方住民の意見を取り入れた政策は出来なかったのかと感じている。
 「防潮堤は、いらぬ。防潮堤を建設する代わりにその費用を充てて高台への避難通路や訓練を重視する」地域が出てきてもおかしくなかったのではないか。したがって元のまちなみを再建してそこで暮らす。と言う選択が・・・・。

 これには、被災地住民のみなさんの反論もあると思います。被災地の皆さんの思いが分からずに書いているのかも知れません。
 「復興なくして日本の再建なし」とのうたい文句で始まった東日本の復興であるが、地域住民の心を置き去りにした復興はあり得ない・・。
 と感じています。・・・・あくまで私見です・・・。
 
 
 
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一次避難所を知ろう

2015年08月26日 | 防災・減災
 先週末の土曜日(21日)にゆりのき自治会主催(三田防災リーダーの会応援)の防災イベントが開催されました。
 イベントの内容は、ゆりのき台中学校の「一次避難所」としての体育館や防災関連を地域方々に見てもらったり体験してもらうことです。
 これまで、ゆりのき台自治会では、ゆりのき台小学校を中心に防災訓練を実施してきましたが、参加者の中には、ゆりのき台中学校が避難所として指定されている方も多く、今回地域のもう一つの避難所にスポットをあてたイベントを実施したものです。
 午前9時には、地域の方や県立三田西陵高等学校の生徒ら約40名が集まりました。
 
 出席を確認後、自治会会長の野上さんや防災担当部長の挨拶、ゆりのき台中学校の教頭先生、さらに本日お手伝いしていただくさんだ防災リーダーの皆さんの紹介がありました。
 今回の防災イベントの内容は次のとおりです。
 ①防災倉庫の内容の把握
 ②一次避難所である体育館の概要把握
 ③心肺蘇生体験
 ④非常用食料試食
 防災担当部長からのイベント内容説明後に防災倉庫に移動しました。

 まず、防災倉庫の内容把握については、三田市防災安全課の担当職員に来ていただき、「自分の命は自ら守ろう!」と題した資料の提供、説明のほか、防災倉庫にある備蓄品の説明がありました。

 参加者一様に防災倉庫にある飲み水などの備蓄品が地域住民の数の割に少ないことに驚いていました。
 倉庫内にある飲料水は、飲み水ではなく、怪我をした方の除菌の為にあることや一次避難所に来なければならない事態となった際も、最低限の飲み水、食料は、自助で確保してほしいことなどの説明が担当職員からありました。
 これは至極ごもっともな話ですが、何千所帯の住民の飲み水を市がその場で備蓄する難しさがあります。
 また、ここでは、ガソリンエンジンの発電機、これに代るガス式発電機の説明が実際に稼働させて行われました。

 防災倉庫の説明を受けた後、一次避難所である体育館の説明を教頭先生にしていただき、その後心肺蘇生法の説明を市消防局の消防士や防災レディー(インストラクター)が実演。

 その後、さんだ防災リーダーの皆さんが、参加者にAEDの取り扱い方法の手伝いをしました。
 高校生の中には、AEDを扱うのが初めての方がたくさんおられました。AEDの扱いや心配蘇生法を知っているのと知らないのとでは大違い。実際に実行するのには、勇気が要りますが、少なくとも人が倒れていたら素通りする人にはならないと思います。

 心肺蘇生法の講習が終わったところで非常食の試食。
 白米のアルファー化米にココアを溶かしたものを入れることで美味しくいただけることを発見したゆりのき台防災リーダーのSさんやYさんが実際につくってくれました。
 今回のイベントには、地域の方のごく一部の参加に留まりましたが、今後もこのようなイベントを通じて地域の中を住民の皆さんが知ることが大切です。
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心静かに

2015年08月13日 | 防災・減災
 12日の18時~8月22日にゆりのき台中学校で開催される「一次避難所見学会」(ゆりのき台防災リーダーの有志と自治会主催)の打ち合わせが、あり参加しました。
 12日と言えば、あの日航機事故から30年ととなりました。犠牲者は520名。以後、航空機にまつわる事故は、毎年のように起こっていますが、航空機の事故としては、過去最悪です。
 もう30年も経過したの?とおっしゃる方は、多いのではと思いますが、関係者の方々のこれまでの歩みは「8.12」が毎年のように訪れる中で、忘れることのできない、一生背負って生きていななければならない「出来事」に違いありません。
 以前のブログにも書きましたが30年前の8月12日は、妻と一緒に日航機のジャンボに乗り込み午後の便で沖伊丹空港から沖縄へ向かっており、夕方沖縄(久米島)の実家で妻を嫁に迎えたいとの意思を実家のご両親に伝えるちょうどその時刻にジャンボ機が墜落?とのテロップが流れたのでした。
 私の8.12は、「私が生きている、生かされている」と思う一日でもあります。12日の朝には、心静かに御巣鷹山の方角へ手を合わさせていただきました。
 御巣鷹山は、いつか必ず、お参りしなければならない場所だと思っています。

 
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あの日も空は青かった~JR脱線事故~

2015年04月26日 | 防災・減災
 昨日25日は、高平ふるさと交流センターで議会報告会を開催しました。好天に恵まれた中で参加者が少ないのではないかと心配していましたが、40人ほどの方が参加しました。今日も14時~ウッディタウン市民センターで2班の議員の方々の報告会があります。


 さて、午前中は、ゆりのき台中学校に緑化ボランティアの方が集まり校内の植え込み間の除草作業をしました。
 透き通るような青空を見てJR脱線事故から10年目の朝を迎えましたが、あの日も同じような青空だったことを改めて思い出します。
 昨年の同じ日には、「私達には、愛する人がいた!4・25を忘れない!」の看板を立てて新三田駅で立礼をし利用者の皆さんへ事故を風化させないことを訴えました。
 そして昨日の10年目を目前にして事故に遭われた方、事故で家族を亡くされた方々の思いがマスコミを通じて伝わって来ます。
 今朝も2両目に乗り合わせ方が、2両目の様子を描いた絵を展示しているとの報道がNHKニュースで流れていました。
 「遺族の方は、家族の方が最後に立っていた場所、座っていた場所がどこだったのかを未だに知りたがっている。絵を展示するのをためらったが、自分自身も現場近くを通る時に寝ている時さえある。人間て忘れてはけないことも忘れてしまう。」これに気が付き「事故を風化させないためには、生き残った人がしなければならないことがある。」と番組で語りかけていました。
 
 私が尼崎市の職員だったあの日の流れは、昨年の同じ日のブログに書かせていただきました。私の今の存在もあの日の出来事と無縁ではありません。
 偶然に事故車両に乗り合わせなかった私に出来ることは、今こうして議員と言う仕事をさせていただいていることを最大限に生かすことだと思います。 安全な社会・地域そしてこれからも人々が安心して生活して行く上で欠かせない支え合いの仕組みを造って行きたいと思います。
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避難所トイレ用水対策

2015年01月23日 | 防災・減災
 昨夕の新聞に「公立小学校に井戸の整備」を設置する予算を新年度に創設すると記事が掲載されていました。
 災害避難時トイレや手洗いの水で被災者が困り不衛生となり、ひいては被災者の体調の悪化を招いたことから、これを改善するためにおおよそ40万円かかる経費の1/2の補助をまずは、200校分での新設予算を計上するとの内容でした。

 この話は、2年ほど前に防災井戸を小学校の避難所や広域避難所の公園に設置しては如何か?と質問を投げかけていた項目でもあります。
 当時の答弁では、三田市の地質上、水質的には鉄分が多く含まれる水が出て来るために飲料水としては不適当。井戸水は、飲料水だけではなくトイレ用水に使用できまるが、まずは、プールにストックされた水で代用したいとの答弁であり、井戸の設置については、今後の研究事項との内容でした。
 あれから研究・調査などはしていただいているのでしょうか? 

 さて、今回の県の動きを受けた井戸の設置を三田市はどう考えているのでしょう?
 2月中旬以降に発表される三田市の新年度予算の内容を確認したいと思います。
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本日より一般質問

2014年12月11日 | 防災・減災
 先日8日に新庁舎の見学会が、報道関係者と議員に行われました。まだ、備品関係は、入っておらず、市民の利用するブースの雰囲気だけが伝わって来ます。


 また、6階部分の議場も見せていただきましたが、椅子は引き渡しを受けた後に入ってきますので、絨毯だけが目立ちます。ただし、モニターが議場に設置されており、議員が質問する際に出す資料などが映し出される予定です。

 新庁舎はエコボイドと言って庁舎の中心に大空間の吹き抜けを採用し、風が循環するようになっており、空調の電力節減にも一役買うとのことです。

 上記写真は、1階のエスカレーターを上階から撮影したもので、このように吹き抜けになっています。
 また、新庁舎での営業が始まるといずれ解体される運命の旧庁舎が、ひっそりと新庁舎の横にたたずんでいます。56年間三田行政の拠点となった場所でありますが、歴史が刻まれていますね。


 さて、本日から14名の議員が一般質問で登壇します。私は、明日の14番目となりました。
 質問内容は大きく3点です。
1 雨水利用の推進について
 この質問は、平成20年12月にしましたが、当時は国の根拠法令がありませんでした。今年5月に雨水の利用の推進に関する法律が施行され、市町村計画を策定することができるとうたわれました。
 今回の質問では、三田市の策定計画に対する意欲などを伺います。

2 命を守る取り組み
(1)地震から命を守る取り組みとして家具類の転倒防止器具に助成が出来ないかを問います。また、器具類普及に関しての行政の取り組み強化策についても伺います。
(2)AEDの市内設置状況に関しては市が管理責任を持っている公共施設67カ所しかPRできていません。市内にはこのほかにも高校、スポーツ施設、医療機関などにAEDが設置されていますが、市民へは周知されていません。これでは、いざ人が倒れAEDが必要な場合、遠方のAEDを取りに行くことにもなり、命を守ることができません。
 少なくとも市は、公共的な施設も含めてAED設置マップを作成する必要があると考えます。今後の周知の取り組みやさらに近年ICTを活用したアプリ開発でスマホなどでAED位置情報が分かるようにしてほしいとも思っていますので、こちらの取り組みの考えも伺います。

3 まちの魅力を高める情報源として転入・転出者へのアンケートを実施することについて伺います。
 市では新成長戦略プランのうちシティセールスによりまちの魅力を高めるために情報を積極的に収集するとしています。また、これにより、定住を促すとしていますが、市民アンケートのみでは、市外へ転出した方のデータが不足します。これを補い、まちの魅力創造のためにも転入・転出者へのアンケートによる調査が出来ないかを問います。

明日の15時30分前後に登壇を予定しています。

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台風19号接近~小学校が避難所に~

2014年10月13日 | 防災・減災
 18時の情報では、台風の速度がかなり上がってきているようです。あと数時間で再接近の予定です。今は、強い雨が降っています。
 さて、三田市内68地域に避難準備情報が、16時に発令されました。
 また、小学校のほとんどの体育館が避難所となりました。

 夕方に近所のゆりのき台小学校の避難所となった体育館に伺うと、教頭先生と校長先生が待機されておりました。

 ゆりのき台小学校には、自主避難されている方はまだいませんでした。校長先生と15分ほど情報交換させていただき帰宅しました。

 台風への警戒は、この数時間です。下支えしていただいている職員、地域の方々本当にお疲れ様です。災害がでないことを祈りたいと思います。

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丹波市豪雨災害、まだまだボランティア募集中

2014年10月08日 | 防災・減災
 昨日7日に2度目となる丹波市市島町の災害ボランティアへ行ってまいりました。
 実は、6日に申し込みしていましたが、台風18号の接近で6日の作業が中止となってしまい、スケジュールを調整させていただき現地入りさせていただきました。
 市島支所の隣に建っている市島農村環境改善センターが丹波復興支援センターになっています。私の場合は、ホームページから個人申し込み票をダウンロードし、前日にメールで申し込みました。(当日受付でもOK)

 さて、昨日の朝7時15分に我が家を出発、リュックには愛妻弁当とお茶1リットル、作業用手袋と着替え、マスクなど一式。さらに長靴。 丹波復興支援ボランティアセンターには、高速の春日インターを乗り継いで8時過ぎに到着しました。

  受付前には、これまでの復旧・復興に携わったボランティアの人数表が掲示されていました。


 10月4日までに14,702人の方がボランティアに参加していますが、9月25日には、1日で10人まで激減しています。
 この激減は、県外の方のボランティア募集を中止してしまったことが「ボランティアは足りている」との誤解を招いたようです。支援センターではボランティアの激減に危惧し、県外ボランティアの募集中止を撤回し、何とか平日でも活動ができるようになっています。
 それでも私が初回に入った8月24日など土曜日・日曜日は1000人を超えていますが、10月4日の土曜日は、131人と約10分の1に減っています。
 
 受け付けは、8時30分~と書かれてありましたが、既に待機していた職員の方に訪ねると「前山地区の復興支援ボランティアセンター」へ既に配置が決まっているとのこと。地図をいただき前山地区復興支援ボランティアセンターへ車で移動しました。

 前山地区復興ボランティア支援センターで再度名前を告げて受付を済ませていると約10名の方が車や単車を乗り継いで集まってきました。
 参加者の皆さんは、複数回ボランティアの経験者ばかり、オリエンテーションを省いて、復興センターから川沿いに約1キロ離れた農家の家屋へ到着。
 ここでは、瓦礫の中間集積場への運搬と床下の泥の掻き取り作業、柱などの拭き掃除が中心の作業となりました。
 私は、午前中瓦礫を軽トラックに載せる作業と運搬、現地仮置き場での瓦礫降ろし、そして、仮置き場を出たところでタイヤの洗浄作業。これを4往復こなしました。
 道すがら、周りの山々のあちらこちらに土砂崩れの爪跡が残っていました。家屋があったであろう場所が片付けられており、民家が歯抜け状態になっています。また、この前山区に数回来ていると言う小浜市から来ていたOさんによると小学校のプールが土砂で破壊されたとの話も伺うことができました。


 また、午後からは、床下の掻き取った泥の運搬リレー作業に携わりました。家屋の床下には、神戸から来たと言う女性のMさんが大活躍!小柄を活かして狭い床下で重たい泥を掻き出していました。
 民家での作業は、午後3時過ぎに終了しましたが、改めて一人、ひとりの力が結集することでの威力や素晴らしさを感じます。

 民家の縁側に広島から贈られてきた泥掻きあげグッズが置かれていました。

 神戸新聞記者の取材も受けていたようですが、そこには、「仲間はいる!ぼちぼちやろうや!」と同じ災害を被った広島の皆さんからのメッセージが書き留められています。これは、被災者の方へのメッセージなのですが、ボランティアに来られる方にも、何だか元気の出る言葉ではないかと思います。

 ボランティアは、現地の方々が「もう結構」と言うまでは必要となります。半日のボランティアでも参加されている方が多くいます。
 お近くの方、そして遠方の方もお時間許しましたらお力添えください。
 丹波市復興支援ボランティアセンター連絡先(0795-85-2750)
 

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市島町へ復旧ボランティア

2014年08月25日 | 防災・減災
 昨日24日(日)は、当日の予定を変更し1週間前に豪雨被害のあった丹波市市島町へ復旧支援のボランティアをしてきました。
 三田を出発したのは、午前7時過ぎ、学園にあるコンビニで弁当と飲み物を購入し、舞鶴若狭道春日インターを降りて市島支所へ向かいました。春日インターを降りて間もなくすると道路の復旧工事のためにすぐ迂回させられ、また災害ボランティアセンターのある市島支所から離れた場所に駐車場を設営している関係もあり、ボランティアセンターで受け付けが終わったのが、8時30分ごろとなりました。

(ボランティア受付テントの様子)

 受付が終わるとボランティアで来ている方を12名ずつの班に編成。私は4班に入りました。3班の12名の方とバスに乗り込み市島町竹田と言う地域で活動する指示をもらい、現地へ出発しました。

(グループ分け会場)

 現地では、区長さんが出迎えてくださり、公民館へ案内されました。
 公民館で荷物を降ろしたり、再度体制を立て直してから近くの水害に遭われた家屋へ区長さんの案内で向かいました。

(公民館からいざ出発:3班・4班の方々)

 復旧家屋には、約3分で到着。どうやら今日の復旧家屋は、4棟になるようで全て床下浸水被害の家屋とのことのようです。
 4班をさらに二つに分けて作業をすることになりました。私の班は、女性4人、男性2人の構成メンバー。
 最初に伺った家には、高齢のご婦人一人住まいで、昨日一つの部屋の床下の泥を取ってもらったとのことでしたが、もう一つの部屋が終わっていないとの説明。
 そこで、部屋の中の食器棚などを別の部屋に移動し、畳を2畳剥がし、床板を撤去してまだ乾ききっていない泥をスコップなどを用いて撤去しました。泥は、ちょうど少し硬めのクリームのようになっていて、床下にあった地面の土とは明らかに成分が異なっています。
 剥がしやすい部分もありましたが、長靴に泥がまとわりつき作業がもたつく場面もありました。
 本来は乾くまで床板を上げっぱなしにするのですが、ここの方は、お一人住まいの上にここの部屋が使えなくなると生活に支障が出てくるとのことでした。そこで、支給された石灰をまき、再び現状に戻す作業をしてここの家屋は午前11時に作業が終了しました。
 ご婦人は以前尼崎市にお住まいだったようですが、ここに引っ越されてきたそうです。帰り際にソーダ水をいただき労をねぎらっていただきました。

 お昼まで時間がありますので、お隣のお家へ・・・。お隣では、昨日、床下の泥が掻き出されたところへ石灰をまいてほしいと言う依頼と別の部屋の泥上げを依頼されました。
 私の班を2人と4人に分け、私は、石灰まきと床板の取り付け班に回りました。石灰を撒き終わり床板を取り付ける作業が難航。床板に番号が書かれてあるのですが、最後の1枚が入りません。結局最初からはめ込まれてあった1枚目の板がしっかり奥まで入っていないことが判明、床板を取り付け次は畳を据え付けるのですが、これまた畳を上げたのが前日のボランティアの方々で方向が分かりません。
 ちょうど大工さんや市役所の職員が居合わせたため、畳は何とか納まりました。
 お昼には、公民館で休憩と昼食を取らせていただきました。
 その時の皆さんの姿が次の写真です。この頃には雨が降り出して来ていました。雨を避け、公民館の部屋で休む人、そして私のように軒下のベンチで食事をとり空を見上げる方々の姿。

 12時45分にグループ班長の指示で再び現地へ・・・・。
 午後からも、泥掻き作業を継続することに・・・・。
 泥掻き作業が一段落したところに大雨情報による避難勧告が発令されたためボランティア活動の中止命令が出された様子。わが班は大忙しで床板までをはめ込む作業をして終えようと努力しましたが、床板がどうしても納まりません。(少し心残り・・・)
 慌ただしく依頼人の方々にご挨拶して公民館へ急ぎました。

 公民館に戻ると直ぐに帰り便のバスが到着。24名のボランティアの方々は14時30分にはボランティアセンターに到着していました。
 到着後にこの日一緒になった12名が輪になりお互いの作業をねぎらい別れを告げました。
 私の班は、最年少高校3年生で最年長は私、他の班も比較的若い方々がボランティアに参加されている様子です。
 昨日市島町には、約1300人のボランティアが活動していたようです。
 自治会離れが進んでいる昨今、こうして若者が復旧作業に参加する姿は、「頼もしい」の一言です。
 昨日、避難勧告が市島地域各方面に出されています。被災された方々も落ち着く暇がありません。天候の回復と一日でも早い復旧を願うばかりです。

 
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地震に備えるということ ~災ボラ議員連盟研修会より~

2014年08月07日 | 防災・減災
 ご報告が遅くなりましたが、先週7月29日~30日にかけて全国災害ボランティア議員連盟の研修会に参加しました。
 研修会場は、静岡県地震防災センターでした。
 お世話になった議連事務局の福井県細川議員、そして地元静岡市議の皆様、さらに地震防災センター所長をはじめ静岡県関係職員の皆様ありがとうございました。
 

 地震防災センターでは、津波や地震について学習するシステムが揃っていて、夏休み期間中とあって親子連れが目立ちました。
 センターに入ってすぐのホールには、静岡県の地図と過去の津波の高さを示したものや地震体験装置、様々な家の構造、防災グッズ、津波の仕組みなどの分かるデジタル装置によりあらゆる災害の知識の習得ができるようになっています。



 さて、研修内容は、地震防災センター所長からの地震や津波のできる仕組みの学習、静岡県職員による防災組織づくりに関する講義、災害ボランティアへの国の支援にかかる法案を検討する議員間のグループワーク、常葉大学社会環境学部 准教授小村隆史先生によるDIG講座など盛りだくさんでした。


 この研修で感じたことは、静岡県が南海トラフの巨大地震に備えて自主防災組織づくりに真剣に取り組んでいること。それに伴う防災リーダーなどづくりにも積極的に取り組まれていることが挙げられます。フェイスブックでも書き込みましたが、自主防災組織づくりは、本来市町の役割が大きく、市町独自で取り組まれており、市町によって組織率はまちまちとなっています。この自主防災組織づくりを静岡県がわざわざ音頭をとって指導していること自体、もう間もなく大きな地震が来ることを県内外に知らしめていることにもなっています。
 私自身、いつも自主防災の組織づくりについて感じるのは、これが「努力義務」となっていること。行政がやっきになり働きかけても肝心の地縁団体(自治会)がその気にならなければ自主防災組織は出来ないことになります。
 その自治会すら近年組織率が低下してきており、本来であれば、自主防災組織やご近所の方の協力で要援護者の支援にあたる必要があるのですが、今は、かなりの部分が民生児童委員など特定の方にその負担がのしかかっていると感じます。
 私は、住民の命を守れるのは、身近な住民の方です。であればこそ自主防災組織への加入を義務にしなければならないと思っています。自治会のような任意加入では、組織は成り立ちません。義務で加入することで、真剣に要援護者の方を守る行動につなげられます。
 現在のように「自治会=自主防災組織」の会員という位置づけでは、「自治会に入っている方を優先に助ける」というような発言が飛び出すことになってしまいます。
 法の自主防災組織に関連する位置づけを見直す時期に来ているのではないかと思っていますが、「そんなことできるはずはない!」と思っていては、巨大地震が来る確立が高い、あるいは巨大地震が来ない地域でも災害の多い日本にあって、助け合って生きてきた国民性の回復につながらないのではないかと思います。

 さて、常葉大学社会環境学部 准教授の小村隆史先生によるDIG講座で防災について再考させられたことがありました。
 小村先生は、講義の冒頭に日本地図を広げられました。

 日本地図の太平洋沿いに南海トラフが線となって海深く沈んでいます。この連動により九州宮崎から関東方面の沿岸部で10mを超える大きな津波と震度7クラスの巨大地震が発生することが予想されています。
 小村先生は、「この地図の沿岸部には、多くの国民の方が住んでいること、さらに産業が多く集積していることを私たち研修生に創造をしてほしい」と話しかけます。確かに、地図を広げることで仮に津波が襲った場合や地震がきた時のあり様を頭に浮かべることができました。
 先生は、続けます。「今、これらの範囲の方々に必要なのは、避難訓練でしょうか?それとも防潮堤を構築すればよいのでしょうか」と我々に問いかけます。
 
 今や釜石の軌跡は、地域住民の命を守った取り組みとしていろんなところで報道されています。先生は、それはそれで訓練として正しいが、本質を見誤ってはいけないと言います。
 要するに津波の来ることが分かっている沿岸部に保育所や老人ホームを作り、ここから高台に逃げる訓練を繰り返すよりも高台にこれらの場所を移設する方向に政府も行政も向かわなければならないと言うのです。
 幼稚園児は、お昼に地震が発生すれば逃げることが可能かもしれませんが、老人ホームや病院が沿岸部にあれば、人命救助はおそらくほとんど出来ない可能性があります。
 また、震度7クラスの地震では、耐震化できていない建造物は潰れますし、耐震化できていても家具類転倒による圧死が想定されます。
 小村先生は、「耐震化や家具転倒を防止する施策をすることで多くの人命を救うことができる」「これは、政治家の責任ではないか」とも明言しました。
 確かに津波を想定した何メートルもある防潮堤を多額の費用を投じて建設するのも有効な手段かも知れません。しかし私たちは、あの東日本大震災で想定を超える津波を経験しました。防潮堤が既にある町でさえ津波から人命を守ることができなかったのです。
 そう考える時、今、巨大地震に備える私たちの取るべき行動は、防潮堤の建設ではなく、福祉施設などの高台移転をはじめとする諸施策なのではないでしょうか。
 (今回の研修会では、政務活動費から研究・研修費として支出させていただいました)

 
 







 
 
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