今日、かーたんが銀座の教文館で催されるフルートコンサートの案内のメールを報せに来た。
キリスト教界では名高いフルーティスト、S姉の演奏である。
行ってくることにする。今度の土曜日だ。
暇だ暇だ言っているが、結構、暇でもないのだが、なんとか時間を作ることにする。
久しぶりの銀座も楽しみだ。
月光の降り注ぎたる癲狂院 素閑
今日、かーたんが銀座の教文館で催されるフルートコンサートの案内のメールを報せに来た。
キリスト教界では名高いフルーティスト、S姉の演奏である。
行ってくることにする。今度の土曜日だ。
暇だ暇だ言っているが、結構、暇でもないのだが、なんとか時間を作ることにする。
久しぶりの銀座も楽しみだ。
月光の降り注ぎたる癲狂院 素閑
我が家は、東京郊外の猫の額のような家屋にへばりつき、至って下民の生活を毎日送っているのだが、多少なりとも、雅の心は持っている自負はある。
十五夜の今夜も、月を迎える支度をして、夜を過ごす。
どうも、今日は名月を眺められないらしい。
しかし、まぁ、古人から続いている習わしである。
エルさんが帰ってくる深夜には、家族揃って、縁先で空を眺めていることだろう。
月待の帰る舟影岸辺の婦 素閑
飲み会というものは、若いうちは心躍ったものだが、年老いてくると、こんなに煩わしいものはない。
朋輩にに挨拶を交わし、様々な話題を基に会話をしなければならない。
この歳になると決まって家族のこと、定年後の仕事のことである。
どちらも、そんなに自慢のできるものを持っていないオカブとしては、その会話自体が不愉快である。
後は病気のこと、ゴルフのスコアことと、決まりきったことを話さねばならない。
エグゼクティブの身分になった者は、鷹揚に、しかし自慢げにその様を語るし、鬱陶しいことこの上ない。
今月は、そんな飲み会が毎週ある。
今から憂鬱である。
訪ふもあるじの留守や無月かな 素閑
東京にしか縁のないオカブのような男も珍しい。
大卒新入社員で姫路に5年ほどいたが、もう既に姫路のことはすっかり忘れた。
それ以来、父祖伝来の東京の家に籠りっきりである。
UターンとかIターンとか言われているが、別に今とは違う場所に住みたいとも思わない。
もともと保守的にできているのだろう。
さらに、今、住んでいるところが、三軒茶屋と下北沢の中間という都会の刺激を多少なりとも味わえる場所に立地しているのに加え、周りは閑静で至って住み心地が良いからである。
その代わり、税金を払っていくのは大変だが、その点は贅沢税だと思っている。
果ては、この家で静かに息を引き取りたいと願っているが、それは無理だろうか?
きのこ飯山に月の出里の灯や 素閑