昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

夜咄

2018-11-19 18:07:09 | 俳句

日本に「無教会」というキリスト教の宗派がある。
内村鑑三が創設したものである。
名前の通り教会を持たないキリスト教の宗派である。
しかし、この「無教会」は実態としては「反教会」であった。
内村は、当初、かなり矯激に教会を攻撃していた。
本来、名前の通り「無教会」であるならば、教会は無視していればよいのである。
しかし内村は教会を無視できなかった。
しかし、内村の「反教会」の態度も腰が定まらないというか、揺れ動いていた。
当初、あのように教会を攻撃していた内村だが、教会が国家権力の弾圧に遭うと、次第に教会に同情的な態度になっていく。
海外でも似たような事例がある。
アメリカのクウェーカーだ。オート・ミールでご存知の方もいるだろう。しかし、あれはキリスト教のクウェーカーとはなんの関係もないそうである。
それはさて措いて、創始者のフックスは内村同様、当初は既存の教会の在り方を激しく攻撃していた。
そして教会堂や、型にはまった礼拝を廃し、専従者の牧師を置かない宗派を打ち建てた。
しかし、時代が経つにつれ、教会堂も持ち、説教を中心とする普通の教会のやっている礼拝を催し、牧師も置くクウェーカーの一派が増えていった。
ちなみに日本で布教しているクウェーカーは創始当初のスタイルを守っている。
さて、オカブの立場は教会の働きとその歴史は貴重なものとして尊重する一方、教会と自分の信仰は何の関わりもないという考えだ。
カトリックはどうか知らないが、多分、カトリック以上のプロテスタントの教会至上主義には正直疲れた。
また教会も人間の共同体である。そこには集いの歓びもあるが、一方でドロドロした人間関係もある。
さらに動物園のような教会もある。オカブの教会だ。オカブはこのような教会はこの世にザラにあると睨んでいる。
また、神を崇めているのではなく、教会を崇めている人のなんと多い事よ(嘆息)
教会とは今後一切かかわりを持ちたくない。
静かな信仰の裡に過ごしたい。

振袖ののおなごいづらき夜咄や   素閑

昇竜の三夜豁然大悟せし   素閑

夜咄のおもては霜のひかりなり   素閑

夜咄や緞子の裂のなまめくや   素閑

釜鳴りて火相のよけり三夜かな   素閑

田の芹を和えて供する三夜かな   素閑

釜湧きて涼風覚ゆ三夜かな   素閑

通り雨袖の露拭き三夜の席   素閑

遠き旅三夜の田舎紳士かな   素閑

妻はなほ語りたりげの夜咄や   素閑

夜咄に楽しきお伽を語らせり   素閑

夜咄や表にタクシー停まりけり   素閑


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