小学生でも分かる由利12頭1
1 由利12頭がやってきた!
1由利12頭がやってきた!
1192作ろう鎌倉幕府!
鎌倉時代に、由利地方では、岩手県の平泉で東北地方を治めていた奥州藤原氏に仕えていた由利氏が治めていました。しかし、奥州藤原氏が源義経をかくまったため義経の兄の源頼朝から奥州藤原氏は滅ぼされます。そのため、由利地方も幕府に取り上げられます。奥州征伐の後、由利氏は源頼朝に心服し許されますが、由利地方は由利仲八郎という方が治められることになります。
その後、将軍頼朝の子供たちの乳母である大弐の局に由利地方に与えられています。
その後、由利氏がまた、この地方を治めることになりましたが1324年(正中元年)に由利氏の当主、由利仲八郎政春が庄内の鳥海弥三郎に攻められ自害すると、由利地方は正式な領主がいなくなります。
横行略奪が相次いでとても危ない所となっています。
そこで前郷村(現・秋田県由利本荘市前郷)の農民が集会を開いて、鎌倉に行って太田道灌(おおたどうかん)に領主を求めました。
そこで信濃国(長野県)の小笠原一族が由利に派遣されたのです。
これは大弐の局の親戚たちです。
この一族を「由利十二頭」(ゆりじゅうにとう)と言います。矢島の大井氏の家来が書いたと思われる「由利十二頭記」という戦記物が残っています。あくまでも物語ですが、当時の由利地方の勢力の様子が良く分かります。
まず、由利十二頭は、「矢島(やしま)氏・仁賀保(にかほ)氏・赤尾津(あこうづ)氏・潟保(かたのほ)氏・滝沢(たきざわ)氏・打越(うでつ)氏・岩屋(いわや)氏、下村(しもむら)氏・玉前(とうまい)氏・沓沢(くつざわ)氏・子吉(こよし)氏・鮎川(あゆかわ)氏・羽川(はねがわ)氏・石沢(いしざわ)氏が登場していて12ではなく14人が登場します。
由利十二頭は由利仲八郎の子孫の滝沢氏と、新田氏の子孫とする羽川氏以外は全て信濃の小笠原一族です。
小笠原一族は室町幕府に、北出羽にやってきました。由利に信濃の小笠原一族がきたのは応仁元年(1467年)であるといいます。
以下は当時の領主ですが、滝沢氏、岩屋氏以外は、信州の小笠原一族です。
つまり、本荘由利地方を戦国時代以降の領主は信州からやってきたことになります。
(由利12頭)
・小笠原大和守重挙(仁賀保町院内)仁賀保氏
・海野弥太郎(西目町潟保)潟保氏)
・子吉修理進(本荘市子吉川下流域)子吉氏
・赤尾津孫八(岩城町高城山)赤尾津氏、小助川氏とも言う
・羽根川孫市(秋田市下浜付(羽根川氏
・芹田伊予(仁賀保町芹田)芹田氏
・岩屋右兵衛(大内町岩谷)岩屋氏
・打越左近(本荘市北打越)内越氏
・玉米刑部(東由利町館合)玉米氏
・石沢孫四郎(本荘市石沢)石沢氏
・下村信濃守(東由利町蔵)下村氏
・鮎川小平太(由利町鮎川)鮎川氏
・滝沢刑部(由利町前郷)滝沢氏~由利氏の子孫
・大井義久(矢島町)大井氏(矢島氏)
由利の戦後期時代は仁賀保氏と矢島氏の両陣営の争いでしたが、中央からの命令があれば、一致団結する由利衆というまとまりがありました。
続く!
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