悲劇が起きたのは、平成2年の元旦だった。
当時私は大学4年生。大学は休みで彼氏は帰省中。暇つぶしにバイトに出かけたのが間違いのもとだ。
自宅から徒歩3分の幹線道路沿いに、バイト先の宅配ピザ屋がある。私はここでピザを作る、メイキングの仕事をしていた。
昼食時と夕食時のピークはピザを焼くだけで精一杯だが、客の少ない時間帯は材料の仕込みをする。生地(ポーション)を練ったり、イカを茹でたり、トマトを切ったりと、従業員同士でおしゃべりをしながら体を動かすのが常だった。
その日はピーマンの仕込みをした。水洗いしたあと、ヘタを取ろうとして上部を切り落としていたときだ。包丁の切れ味が悪かったせいか、私のやる気が足りなかったせいか、予想外の方向に刃が動いてしまった。
「イタッ」
左手の人差し指に、焼けるような痛みが走った。見ると、爪の右側の肉が小豆大にそげている。まるで、アイスクリームをスプーンですくいとったあとのように、きれいに肉がなくなっていた。
切り口は白い。肉は赤いとばかり思っていたので意外だった。やがて、針の先ほどの小さな赤い斑点がポツリポツリと浮き上がってきた。毛細血管が切れたのだろう。斑点は急激に大きく成長し始め、隣同士とくっついて膨れ上がり、見る見るうちに傷口からあふれて流れ出した。
「うわぁ~!!」
叫んだのは私ではない。ドライバーの石川クンだ。大柄で体格のよい彼が両手で顔を覆い、頭を左右に振りながら、狂ったように事務所に駆け込んでいった。あいにく店長は留守だった。
すぐに彼は戻ってきた。肩が上下するくらい激しく呼吸をし、手に持っているものを私に差し出す。居合わせた者全員の目が釘付けになった。
「こ、これ、使って!」
彼が持ってきたのはバンドエイド……。しまりの悪い蛇口のような出血が続いているのに、いったい何の役に立つのかと、誰もが訝しげな表情をした。
「オレ、こういうのダメなんだよぅ~!」
要するに、彼は血を見るのがイヤだったのだ。床に滴り落ちた血痕や、真っ赤に染まったティッシュペーパーなどが、ますます彼を混乱させた。
見かねたバイト仲間が私に言った。
「もう帰ったほうがいいよ」
たしかに、私がいると石川クンも仕事ができないので、そうさせてもらうことにした。
でも、正月で医者は休み……。かといって急患で診てもらうほどの重傷ではない。しばらくすると出血がおさまったから、軟膏を塗って自宅で様子を見ることにした。
左手とはいえ、人差し指が使えないと実に不便だ。顔を洗うときやシャンプーするときなど本当に困る。また、傷口からは黄色い液体が出てきて、ガーゼが貼りついてしまう。これを剥がすときが、また痛かった。
それでも、医者が診療を開始するころにはだいぶよくなっていた。結局、病院には行かず、自然に治ってしまった。
しかし、元に戻らなかったものがある。指紋だ。そぎ取られた部分だけきれいに、指紋がなくなっている。目立つわけではないが、細長く、更地のようになっている。あのとき、何としても指の切れ端を探し出せばよかった。重ねておけば、くっついたのではないだろうか。
もしかして、私はピーマンに嫌われているのかもしれない。

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当時私は大学4年生。大学は休みで彼氏は帰省中。暇つぶしにバイトに出かけたのが間違いのもとだ。
自宅から徒歩3分の幹線道路沿いに、バイト先の宅配ピザ屋がある。私はここでピザを作る、メイキングの仕事をしていた。
昼食時と夕食時のピークはピザを焼くだけで精一杯だが、客の少ない時間帯は材料の仕込みをする。生地(ポーション)を練ったり、イカを茹でたり、トマトを切ったりと、従業員同士でおしゃべりをしながら体を動かすのが常だった。
その日はピーマンの仕込みをした。水洗いしたあと、ヘタを取ろうとして上部を切り落としていたときだ。包丁の切れ味が悪かったせいか、私のやる気が足りなかったせいか、予想外の方向に刃が動いてしまった。
「イタッ」
左手の人差し指に、焼けるような痛みが走った。見ると、爪の右側の肉が小豆大にそげている。まるで、アイスクリームをスプーンですくいとったあとのように、きれいに肉がなくなっていた。
切り口は白い。肉は赤いとばかり思っていたので意外だった。やがて、針の先ほどの小さな赤い斑点がポツリポツリと浮き上がってきた。毛細血管が切れたのだろう。斑点は急激に大きく成長し始め、隣同士とくっついて膨れ上がり、見る見るうちに傷口からあふれて流れ出した。
「うわぁ~!!」
叫んだのは私ではない。ドライバーの石川クンだ。大柄で体格のよい彼が両手で顔を覆い、頭を左右に振りながら、狂ったように事務所に駆け込んでいった。あいにく店長は留守だった。
すぐに彼は戻ってきた。肩が上下するくらい激しく呼吸をし、手に持っているものを私に差し出す。居合わせた者全員の目が釘付けになった。
「こ、これ、使って!」
彼が持ってきたのはバンドエイド……。しまりの悪い蛇口のような出血が続いているのに、いったい何の役に立つのかと、誰もが訝しげな表情をした。
「オレ、こういうのダメなんだよぅ~!」
要するに、彼は血を見るのがイヤだったのだ。床に滴り落ちた血痕や、真っ赤に染まったティッシュペーパーなどが、ますます彼を混乱させた。
見かねたバイト仲間が私に言った。
「もう帰ったほうがいいよ」
たしかに、私がいると石川クンも仕事ができないので、そうさせてもらうことにした。
でも、正月で医者は休み……。かといって急患で診てもらうほどの重傷ではない。しばらくすると出血がおさまったから、軟膏を塗って自宅で様子を見ることにした。
左手とはいえ、人差し指が使えないと実に不便だ。顔を洗うときやシャンプーするときなど本当に困る。また、傷口からは黄色い液体が出てきて、ガーゼが貼りついてしまう。これを剥がすときが、また痛かった。
それでも、医者が診療を開始するころにはだいぶよくなっていた。結局、病院には行かず、自然に治ってしまった。
しかし、元に戻らなかったものがある。指紋だ。そぎ取られた部分だけきれいに、指紋がなくなっている。目立つわけではないが、細長く、更地のようになっている。あのとき、何としても指の切れ端を探し出せばよかった。重ねておけば、くっついたのではないだろうか。
もしかして、私はピーマンに嫌われているのかもしれない。

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