これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

年賀状のないお正月

2021年01月03日 21時53分07秒 | エッセイ
 義母が昨年10月に亡くなったため、わが家は喪中である。
「年賀欠礼状は何枚いる?」
「うーん、200枚ぐらいかな」
 夫と手分けをして、11月に「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」のハガキを出した。
 小学校からの幼馴染であるナオコは、福岡に引っ越してもう20年になるのではないか。6年に進級した最初の音楽の時間、私は間違えて5年生のときの教科書を持ってきてしまった。
「あ」
 赤面しつつ、隣の席のナオコを見た。ナオコもまた、同じ教科書を持っていたので、二人して噴き出したものだっけ。類は友を呼ぶってヤツね。
 前の前の職場で一緒だったミホさんにも。上司だったノゾミさんにも。近況報告はできないが、一人ひとりの顔を思い浮かべて欠礼状を書いた。
 しかし、2通は戻ってきてしまった。1通は学生時代の仲間だったナツコだ。いつのまにやら住所が変わっていたらしい。しかし、ナツコとはFacebookでつながっているから、メッセージを送ればよい。
「そうなんだ、ご愁傷様でした」との返事が返ってきて、自分の役割が終わった気になった。
 年が明けたら、喪中であってもおせちは食べたい。



 今年はやけに美味しく感じた。雑煮も上手にできたし。
 新年会はやらなかったが、家族で寿司をとり、ささやかに一年の展望を語る。



 うま~い。
 食べ物は大きく変わらないが、年賀状が来ないと、実にもの足りない気分になる。
 しかし、今日は数枚の年賀状が配達されたのだ。うち、1枚は私宛てだった。
「うっそ。ナツコからじゃないの」
 彼女らしく、豪快なデザインが清々しい。



「やっぱ、SNSじゃ伝わらなかったか……」
 実は、去年、高校時代の友達から「母が亡くなり年賀状は遠慮します」とのLINEをもらっておきながら、すっかり忘れて彼女に送ってしまったことがある。デジタル世代でない私たちは、紙媒体で年賀欠礼状をいただかないと、身につかないのかもしれない。
「ナツコったら、アタシと同じ失敗して」と苦笑したあと、ちょっと考え直した。
 もしや、1通もないと淋しかろうと思い、送ってくれたのかも?
 どちらでもいい。
 コロナ禍ではあるけれど、今年こそ絶対、ナツコに会いに行かなくちゃ!


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コメント (10)
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