愚案君の「国民は国家の細胞論」はヤッパリ可笑しい!
以下は、談話サロン天寿堂からの転写である。
[2897] 大事な事は何か
愚按亭主 - 2018年08月21日 (火) 10時15分
というのは、本来国家の個々の成員すなわち国民の権利は、勝ち取るべきものではなく、当たり前のように守られるべきものだからです。人間の身体を想定してもらえば分かるように、個々の細胞が人権を主張して闘ってばかりいたらどうなると思いますか?日本の国家においては、天皇の臣民は、大御宝といって、とても大事にされました。これが本来の国家のあり方であり、国家第一主義のあり方です。
国民の権利が「当たり前のように守られて」いるモノなら、
誰が、何故にどうして「人権」を主張するだろうか?
彼の「国民が国家の細胞論」からすると…
細胞の癌化は、細胞の反抗・反乱で、その病化の責任は細胞だろう~
本当は、その人の認識・頭脳の生活・生き方が拙かった為なのに…
国民は国家の細胞論を展開するのに、
細胞は頭脳の統括下であるという条件を失念するとは、
これは、全くもって非学問的な論説と言えよう。
国家第一主義について…
革命によって誕生した新国家が、多くの国民の為のモノたり得た時、
それは多くの国民が、現国家を否定し「新・国家誕生第一主義」
だったから革命が可能だったのだろう。
愚案くんの「国家第一主義」には、現実の現国家が忘却されている。
それもこれも、絶対的観念論者たる彼には理想的人倫国家だけが国家であり、
他の国家は、国家たり得ないのだろう。
それは、現実界での精神は、
普通精神と絶対精神との混合体である事が分からない。
唯物論には唯モノ論と唯物論がありえる事も分からない。
分からないというより想定不能であろう。
それもこれも、
絶対的観念論は絶対的真理だ!との思い込みからであろう。