最近、洗面所に入って明かりを付け、目的を果たして出る時、
明かりの消し忘れが多い事に気付いた。
以前も消し忘れはあったが、
今ほど多いと意識した事がなかった。
今と以前の違いは何か?
それは、洗面所が変わった事である。
洗面所が変わった訳は、住んでいる家が変わったからである。
では、何故に洗面所変わったら、
明かりの消し忘れが多くなったのだろう?
明かりを消すには、電灯のスイッチを切る必要がある。
以前の家と今の家では、スイッチの位置が大きく異なっている。
以前のスイッチは洗面所の外にあるのに、今は中にある。
なので、以前の意識は、洗面所を出てから明かりを消す。
しかし、現在の意識は、明かりを消してから洗面所を出る。
以前の家には、二十年近く住んでいて、その行動が習慣化されていた。
でも、今の家には、まだ十四か月しか住んでいない。
だから、今の家のスイッチを消す事が習慣化されていない、とも言える。
それでも…私は考えた、本当に…
そう考えてよい!のだろうか?と…
洗面所から出る時の自分の意識を見つめると、
「さあ~○○やろう!」と次の行動を意識している事が多い。
この時、「明かりを消す!」とい意識はない。
また、当然に「洗面所から出る」という意識もなかった。
これは、未来の目的意識はあっても、
現在の目的意識も過去の目的意識も失念されている。
消し忘れを無くすには弁証法的な意識を持つ事が必要なのだろう。
この弁証法的意識とは、
初めは、洗面所に入る意識と目的意識
次は、目的意識と達成意識、
最後に、洗面所から出る意識と次の目的意識、
電灯を消さないのは、次の目的意識はあっても、
洗面所から出ようとしている意識がないからである。
だから、消し忘れを無くすには、自己の意識を
目的意識と現状認識に二重化する必要がある。
眼前の現実の反映を意識しつつ、
自己の認識を見つめる、
この二重性が必要であろう。
現実を反映した意識と発展させた意識、
今の目的意識と達成後の新たな目的意識、
意識の二重化が必要。
それは、私の意識と(著書から読み取った)南郷継正の意識、
子供の意識と両親の意識、
子供の意識と教師の意識、
国民の意識と国家の意識、
そんな意識の二重化、
認識は一つでも意識は二つ、
そんな二つの対立から変化・発展が起こり得る、のだろう。