新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

論理・論理的について~

2020-02-20 11:15:50 | 論理



去年の事だろうか…
ある時、私はふっと思った。

『何故、1を十個足すと「10」になるのだろう』と…

その時の解答が、「十進法だから!」であった。

1+1+1……「1」を十個たすと「10」となる。
2なら十個で「20」となる。


でも…これが二進法なら、、

1+1=10、だから、
1を10個たしたら、「1010」であり。

五進法なら
1+1+1+1+1=10だから、
1を10個足したら「20」となる。

以上のように考えて、
問い「1を10個足して、『10』になるのは?」の
解答「それは十進法だから…」は正しいと確信した。


しかし…その後、
またある時ふっと思った。

「10個」とは?

十進法の「10」とは、「一が十個」であるが…

二進法の「10」なら「一が二個」となり、
五進法の「10」なら「一が五個」となる。


ならば、
二進法の世界・ルールなら、
1を10個足すとは、「1+1」であり、
当然その答えは「10」で、

5進法のルール・世界なら、
1を10個足すとは、「1+1+1+1+1」だから、
その答えも当然に「10」となる。


ここで、更なる疑問が浮上した~
それは、

では…何故に初めの私は
「十進法である」という回答を正しいと
確信し得たのだろうか?

それは、
二進法・五進法の世界に
十進法の世界・ルールを適用してしまったから、
である。

それは、
実際の数量の表現である「10」と
記号としての「10」を混同していたからである。

●●●●●●●●●●=10……………
とモノが「十個」ある時、


十進法なら「十個=10」と書く、


●●●●●=10
●●●●●=10

五進法から、「十個=20」と書く、

●●=10
●●=10
●●=10
●●=10
●●=10


●●●●=100
●●●●=100
●●=10


●●●●●●●●=1000
●●=10

で答えは「1010」となり得る。

以前に聞いた話によると

十進法は、手の指は十本だから、
五進法は、一本の手には五本だから、
二進法は、腕が二本だから…



同じ「10」個と書かれても、
その事実的数は、それぞれ異なっている、という事。




以上の事実を論理として捉えて、
敷衍するなら~

教師には、教師的な世界観・ルールがある。
と同時に、児童には、児童的世界観・ルールがある。

当然に、
大人には大人の~小人には小人の~
親には親の、子供には子供の~

皆それぞれの異なったルール・世界観を持ち得ている。

この事が痛感・実感できた時、
そこには、その子供の言動を怒鳴る・叱るのではなく、
ゆっくりと心から諭す事が可能な境地に到達可能であろう。


もっとも…怒鳴って諭すも叱って諭すも…もありなのだが…


世界観・ルールが異なっているなら、
全く同じ単語・言語で会話していても、
そこには、概念的相違が多々あるのが現実世界である。


それは、同じ行動であっても然り!

これは、
私が私の狭い経験から…
ここ6年間に発達障害児達と関わって、
痛感・実感し続けている事でもある。





コメント (2)
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