新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「ある・ない」の話

2024-08-25 11:50:51 | 「わたし事・学」
「ある・ない」の話


以前…以下のような事が、何かに書かれていた。
「ある」とは、「ある事」がある。
「ない」とは、「ない事」がある。

上記のような事を、今は以下のように捉えている。

リンゴが、ある。
テーブルの上にリンゴが、ある。
先ほど何もなかったテーブルの上に、今はリンゴが、ある。
先ほど、テーブルの上になかったリンゴの果実が、今はある。


「テーブルの上にリンゴがある」という事実がある。
「先ほど何もなかったテーブルの上に今はリンゴがある」という事実がある。
「先ほど、テーブルの上になかったリンゴの果実が今はある」という事実がある。


「テーブルの上にリンごがない」という事実がある。
「先ほどテーブルの上にあったリンゴがない」という事実がある。


別言するなら~
「リンゴがある!」という認識がある。
「リンゴがない!」という認識がある。

「そのような事実がある!」という認識がある。
「そのような事実はない!」という認識がある。


「ある」は、「あるがまま」にある…状態がある。
「ない」は、「ないがまま」にある…状態がある。
でも…「ないがままに」にない…が状態がない…これは変だ。


そもそも「ある・ない」とは言語。
言語とは、人間の認識の表現。


「ある」とは、あるモノゴトが「ある」と認識しての表現。
当然に「ない」とは、あるモノゴトが「ない」と認識しての表現。

どちらも「認識」はある。
認識がないなら「ある・ない」言語表現は不能。


「ある」は、あるモノゴトのストレートな認識。
「ない」とは、その「モノゴトのある状態」を認識した上で、それが「ない状態の認識」が必要。

そのモノゴトの「ある状態とは何か?」を知らず「ない状態を知る事は不可能」。

全てのモノゴトは、「ある」から始まり「ない」へ変化していく。

初めに、その「モノゴトない状態」あっても、それを「ない」とは認識できない。


初めから、何もないテーブルの上に、突然に「リンごがない!」という認識はあり得ない。
元々、そこにリンゴがある事を知っていたから、「リンゴがない!」という認識があり得る。


「何も知らない」状態とは、「知らない事」さえ知らない状態であり、
「知らない!」という表現は、そこに「何かを知らない」・「知らない何かがある」事。


授業中の先生の言葉~

先生―「みなさん!分かりましか?」
児童―「は~い!分かりました!」


児童の中には、「先生が、国語で色々と、計算式の説明してくれた!」という事は分かっても…
その具体的な意味内容が分からない。
先生が説明してくれた事実は分かっても…眼前の「算数計算はできない!」


あるモノゴトがある事・状態は、比較的容易に分かっても、
そのモノゴトがない事・状態を分かる事は難しい。

「〇〇は出来る!」の分かるは容易でも、
「??は出来ない!」を分かる事は至難。
やるべき事が「??」では、出来る・出来ないは不明。




その理由は、
そのモノゴト・そのモノがある状態の正しい認識がない限り、
そのモノゴト・そのモノがない状態の正確な認識は不能。


「有知の自覚がない!」限り「無知の自覚なし!」

智慧がある状態の正しい認識があるから、智慧の無い状態の正しい認識が可能。











コメント
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