新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

続・臨済義玄お宅へ

2021-10-27 09:36:56 | 想いのままに…
以下は、下の方に載せている記事「臨済義玄お宅へ~」への
臨済義玄お宅コメントに対する自由びと記述である。



>私は自由びとさんが述べるように実際の玄和会に入会したことは有りませんし、実際の南郷さんにもお会いしたことはありません。ですが、「執筆者、学者、研究者」としての仕事は「論文、著作物」として世に問われたものを検討することで十分だとも思っています。

南郷氏の「世に問われたものを検証する」事で、そこに書かれた事を知る事できても自分の生活で生かせるとは限りません。
例えお宅が、「南郷氏なら、○○場合は××するだろう」と思ったとしても…
それは、お宅の思った南郷氏の言動の妄想であり、決して現実の南郷氏のモノでありません。
結局、その行為は「虎の威を借る狐」的モノに過ぎません。

「その知識があれば、それができる」とは限りません。
「空手の写真・本で学び知り得た技で相手を倒せる」モノでしょうか?


>ですから、私が自由びとさんの発言したものを読んで「玄和会や南郷さんが今まで公に発表したものから顧みたならば、自由びとさんのような思考にはならないはずだ」ということも「どの著作のどこを読んだら、そのように判断できるのか」をキチンと引用して示すことが可能です。

ほ~ほ…「引用」とは…
南郷氏の著書に「自由びとが○○したら、それは××!」
と具体的に書かれているのですか?

これも結局は、南郷氏記述を読んでお宅的に理解・解釈し、
その結果お宅の観念・認識で思考し検討した結果・行為・言動なのです。
そもそも…
南郷氏と私の関係を正しく認識していないお宅に、
南郷氏の具体的な私への声掛け分かるとは思えません。




>泣いて馬謖を」というと私を有り難くも?支配下だと考えていただいてるようですが…


>…「泣いて馬謖を」…
これと「断腸の思い」とで…悩みました。
今回の私心の痛みは、「臣下を斬る」と「自身の肉体を断つ」、どちらの痛みに近いか?
と考えた時、それは「断腸」ではないと感じ、「泣いて馬謖を斬る」にしました。


>……そのように玄和会という空手団体は「文武両道」を掲げていたと思われる中、自由びとさんにはそれにそぐわない発言ばかりで不思議に思っているのは間違いありませんよ。

それは、お宅が「玄和会の文武両道」をお宅的に理解しているから…
または、自由びとの記述を論理的に理解できないお宅だから…
または、自己の認識をお宅にでも分かるように書けていない自由びとだから…


>あと、やっぱり自由びとさんが奥さんから「常識」と言われて取った行動は「珍しい、奇妙な現象」として考察の対象とすべき話しで、私と嫁さんとの関わり如何の話しじゃないと思います。全く関係ない話しですよ(笑)

ヤッパリ!自由びとの行動の真意が分かっていない…
世の中には「アンケート調査」といモノがあります。

例えば、「ヤバい」の意味について、

現代では、二通りの意味・解釈があります。
それは、「危ない(悪い事)」と「凄い(良い事)」です。

では、現実・社会では、
どちらが一般的に使われているかを知る為に
「アンケート調査」をしたそうです(テレビで言っていた)。
その結果、
若者は、「これ、(美味しくて)ヤバい!」
年寄は、「それは(怪我するから)ヤバい!」



「ヤバい」は現代社会では言葉「日常用語」として誰もが知っている常識。
「ヤバい」の意味に二通りあるという事については誰もが知っている常識or知らない非常識
そこで「アンケート調査」をテレビでは実行。

結果、「ヤバい」を日常会話として使えていても。
その意味は、大きく二つに分かれしまっている…
この事は、「アンケート調査」があったから確認できた。

家内は「普請」は常識と思う…
でも、私は常識とは思わない…
どちらが正しいか?
「言葉を言葉で小学生を教育している教員十人にアンゲート調査した」
これの行動のどこが>「珍しい、奇妙な現象」…?!なの。

この「珍しい、奇妙な現象」というお宅の言葉は、
物事を表面的に観るだけで論理的に観られない証…
また、自由びと言説を色眼鏡で見ている証…ですね。


更にお宅には大きな誤解が…
上記のような「アンケート調査と嫁さん」が無関係なのは当然です。
そこへ至る過程が「お宅と嫁さん」に関係する…のです。
それは、他人の夫婦関係から、自分の夫婦関係を考える…という事です。


そもそも…元々他人が共同生活をしている夫婦間にトラブル・喧嘩…なし!はあり得ません。
世に言う「喧嘩する程と仲が良い」とか、「夫婦喧嘩は犬も食わない」とか、
夫婦は日常での些細なトラブル・口論を通して相互理解が深まっていくモノなのです。
それを愛して…何も問題なし…とは…
それは虚偽の事実!
鈍感で妻の不満に気付けない!
家庭内別居!
仮面夫婦!

合宿の意義は、
互いに間違いを指摘し合う事による互いの成長・向上・上達。
夫婦の同じです。それを愛し合っていて何もトラブルがない!
臨済義玄お宅って…本当の夫婦生活を体験していませんね!

年齢詐称に夫婦偽装…
臨済義玄お宅の思いは真実でも、
事実として書かれている記述は虚偽ですね。




以下は、そのコメントである。
約束通りに、所々記述を「×××」で抹殺している。
(「南郷さん」の××は全体的に意味不明になり得るので却下)


コメントを書いた人
臨済義玄

・コメント
自由びとさんには自由びとさんの、私とは独立したお考えがあるのは当然ですよね。
ですが、私にも私の考えがあるわけです。

私は自由びとさんが述べたような「南郷さんが著書で書いている枯枝諸侯」ではありません。南郷さんが『試行』に「枯枝諸侯」について発表した時期から計算すると、そう呼ばれた過去の玄和会員は少なくとも70歳以上のご高齢のはずですから。

私は自由びとさんが述べるように実際の玄和会に入会したことは有りませんし、実際の南郷さんにもお会いしたことはありません。ですが、「執筆者、学者、研究者」としての仕事は「論文、著作物」として世に問われたものを検討することで十分だとも思っています。

ですから、私が自由びとさんの発言したものを読んで「玄和会や南郷さんが今まで公に発表したものから顧みたならば、自由びとさんのような思考にはならないはずだ」ということも「どの著作のどこを読んだら、そのように判断できるのか」をキチンと引用して示すことが可能です。

私はコロナ禍で行動が制限されている中、自由びとさんのブログに目を通すことを介して、逆に南郷さんの『武道講義』にある一文一文が恰も「金言」であるかに反映されてきた面があるのです。

そう、それは「人間は精神であるから自らを尊敬すべきである」との発言が、自由びとさんの空虚な空っぽの言葉によってもたらされる「虚しさ」と対比されて得心されたのです。

私は自由びとさんの実態に関して二つの仮説を持っています。一つは玄和会総長である×××さん、もう一人は南郷さんに憧れて私淑している関西の×××さん。

××さんについては××さんと××さんの弁証法講座から破門になったという逸話と、××××さんから玄和会を破門にされたという逸話との共通性から思いついたのですけどね。

××××さんについては鷹?のサイトから閃いたことがあるのですが、どちらの仮説にしても決めつけているわけでありません。

「泣いて馬謖を」というと私を有り難くも?支配下だと考えていただいてるようですが、私の所属している団体の手前、「客人」くらいにしといて貰いたいと思います。

もしも貴兄が本当に×××さんならば、その実際の動きは私を唸らせて尊敬心を抱かせる力を持っているかも知れません。しかし、「今ここ!」で自由びととして書かれた文章は何らの尊敬を抱かせるものは無く空虚です。

それは正しく『武道講義』第一巻で引用されている「もし自由の身でおいでだったら」「なにもできなかったことだろうよ。」という自由びとの自由びとたる自由さが空虚にしているのかも知れませんね。

私がここで挙げた玄和会員の名前は元会員でなければ知らない類の名前ではなく、どれも『学城』の執筆者として名前が世に出ている人ばかりです。
そして、その名前で検索するならば日本社会で立派に仕事をしている、特に「他者を教育・指導する立場にいる」そのような人物が玄和会からは輩出されているのだと了解されるだけでも名前を挙げることに意味はあると思いますけどね。もっとも、玄和会以外の武道団体からも、そうした人物は輩出されていますけど。

そのように玄和会という空手団体は「文武両道」を掲げていたと思われる中、自由びとさんにはそれにそぐわない発言ばかりで不思議に思っているのは間違いありませんよ。

まあ、自由びとさんからのお願いですから少し考えておきますけど、しかしこのブログは与えることが無いかわりに「やってはいけない」という戒律ばかりが多いんですよね。そこも私には他団体の人間として興味があるんですよ。もっとも、私も私の団体の中では普通に戒律を守っていて、団体と一体となってるから何も感じないだけかも知れませんけど。

あと、やっぱり自由びとさんが奥さんから「常識」と言われて取った行動は「珍しい、奇妙な現象」として考察の対象とすべき話しで、私と嫁さんとの関わり如何の話しじゃないと思います。全く関係ない話しですよ(笑)

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