新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

梅雨さん!

2017-10-09 10:34:33 | 呼びかけ!

梅雨さん!

なんと…ビックリ!の、今の私は非常心状態なのです。
昨日まで可能だったブログ「悟りを求めて…」の更新が今はきません。
と言うか…ブログへのアクセスが全く不能なのです。

この理由、梅雨さんに分かりますか?
分かったら、教えて下さい。

因みにブログは「Seesaaブログ」です。
そう言えば、以前から、ブログが新しくなるので…」と文字が出ていました。
今回の事って、もしかしてブログを私が新しくしなかった報いですか?
だって…書かれていた、その方法が私には理解し難く、つい面倒になって…






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6 コメント

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自分で調べる能力 (誠まこと)
2017-10-09 13:43:07
梅雨氏にお聞きしたいのですが、自由びと氏の「玄和空手の修行歴30年」というのは何か得るものがあったのでしょうか?

私もコンピュータ関係は苦手ですが、社会の中で生きて行くために調べる能力は義務教育で授けられたと思っています。

少し調べてみましたが、自由びと氏のブログばかりでなくシーサーブログ自体が無くなったようですね。それはどうも今年の6月にシーサー株式会社がファンコミュニケーションに買収されたことと関連がありそうです。

シーサーブログはアフィリエイト広告のみを目的としたブログを規約で禁止していたようですが、新たに親会社になったファンコミュニケーションはアフィリエイト広告で収入を得ている企業らしいから、親会社からのお達しでアフィリエイト広告に優しいブログ運営をするように方向転換するんじゃないかと思いますね。

親会社が如何なる手立てで収入を得ているかということがブログ運営の理念にまで関わってくる、正に資本主義的な事例でしょうね。
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Unknown (自由びと)
2017-10-09 14:11:40

誠さま

今回ほど貴殿に感謝の念を抱いた事はありません。
心よりの「ありがとうございます」を書きます。
と言う事で…


今後の自由びとは、貴殿への先入観的見方を少々変更いたす事にします。

もっとも…なにぶん心変わりの激しい自由びとなので…明日の心は不明です。

因みに、訪問者第二号がお宅でも、それはそれで、とても~嬉しいモノですね♪♪♪

第二号の訪問者としての誠さんにも、感謝の「ありがとうございます」です。

返信する
Unknown (誠まこと)
2017-10-09 15:14:04
自由びと氏

礼には及びませんよ。私も他のシーサーブログを探していて「おかしいな」と思ったから自分の関心を満たすために調べたまでですから。

本当はシーサー株式会社に直接問い合わせるのが早いと思ったのですが、生憎と今日は祭日なので会社が休みで仕方なく・・・です。

ですが、「書くことは考えること」とは一大命題で梅雨氏に問いかけるために書いてみると自分でも無自覚だった事柄に気がつくものです。それは「論理」ということなんですが、シーサーブログが消えた理由は明確には発表されていないわけです。ですので上記の「新たな親会社からの通達」というのも私の推測なわけですが、それを推測するために既に発表されて知っている情報から「論理的に!」判断しているわけです。

これを自由びと氏が関心あるかも知れない南郷氏の例の「現今の高校生に大きく欠けたるものが二つある。一つは大いなる志であり、もう一つは論理能力である。」なんてのに繋げていくのも可能ではあるやも知れませんが、ここで私が問題にしたいのは「あれ?ブログがどうして使えなくなったんだ?」という日常生活の疑問に解答を得るための論理的な思考であって、自由びと氏が唐突に関心を示したアリストテレス『形而上学』やヘーゲル『大論理学』ばりの「形而上学的な抽象命題」ではないわけです。
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お答えします~誠さん! (自由びと)
2017-10-10 10:49:34

「日常生活の疑問に解答を得るための」には、
先ずは情報収集です。
次に、情報に基づく論理的思考です。

情報収集の手段・方法として、以下の二通り考えられます。
① 自分で調べる。
② 他人から聞く。

今回は、先ずは「②の人から聞く」を採用したのです。
その理由は、昨日は早急に「理由」が知りたかったから、です。
早急に知りたかった理由は、ブログ消滅の不安心の早期解決を求めてです。

何しろ昨日は、数十年ぶりの小学校の同窓会で横浜中華街へ向かう予定でした。
それなのに…ブログへのアクセス不能・不安は、嫌だったからです。

誰だって、「不安心」的非常心状態は耐え難いモノがあります。
だから、早急の解決を求めるモノです。

確かに精神修行の為に、そんな非常心のままに同窓会参加もあり!ですが…
それでも、解決し得る・避けえるモノは、早期に解決が現実的・日常的なのです~

そして、その努力の結果~
アクセス不能なのは、私のブログだけでない事が判明(神戸だいすきさんから)。
そして、その原因・理由を貴殿が書き込んでくれました。
もっとも…貴殿の言葉が外れている可能性もなくなくないのですが…

それでも、私のミスで「悟りを求めて…」が消滅したのではない事の判明で、私は安心したのです。
だって…『あの時、手続きしていれば…』なんて後悔は嫌・嫌だから…

でも、原因が自分にない!と判明して、今回の件は一件落着です。
確かに「悟りをもとめて…」の消滅は悲しいモノがあります。
でも…生成・発展・消滅は世の常、弁証法的変化・運動なのです。

しかし、その消滅の結果が、新たな「新・悟りを求めて~」の、gooブログで誕生なのです。
消滅を消滅で終わらせるか、それとも、消滅を新たな生成にし得るかは、意志の問題ですね。

そう~昨日は、自分で原因究明の情報収集よりも、
現実を受け入れて、新たなブログ開設を優先した。(したかったよう…)

私は情報の収集は不得意です。
でも、ブログの新規開設なら何とか…です。

仮に情報収集も、原因の推測も成し得ずとも…
新規ブログの開設があれば、不安心は殆ど消滅です。


さて、情報収集をしたら、
次が、論理的思考です。


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更なる解説を~ (自由びと)
2017-10-10 11:29:02

>自由びと氏が唐突に関心を示したアリストテレス『形而上学』やヘーゲル『大論理学』ばりの「形而上学的な抽象命題」ではないわけです。

読んで、そのように感じるのは、私のブログ記事の記述内容に大きな不足があるから、なのでしょう。
「形而上学」について思ったのは、通勤途中の走っている自転車のサドルの上でです。

その時の私の頭脳の中に、辞書の内容の「形而上学的な理解」と「弁証法的な理解」が浮かびました。
「形而上学的理解」とは、辞書の解説の言葉そのままの理解。
「弁証法的理解」とは、辞書の言葉を体験・経験として事実的・論理的理解…そんな感じです。

そこから、思った事は、確かに「形而上学」は哲学・学問です。
でも…それを哲学的でも学問的でもない、
私の身近な体験・経験に当てはめて思い・考えるのもあり?!


ヘーゲルもアリストテレスも私達と同じ人間・人類です。
哲学者でも学者でも普通の人間生活をしていた筈です。
そんな彼は、…日常生活の中で、そこから「形而上」的世界へ、「絶対精神」的世界へ登ったのでしょう。
登った彼らだから、「形而上・学」・「絶対精神」から日常生活を説けるモノです。

私は、学者でも哲学者でもありません。
だから、日常世界から彼らの世界へ登ってみているのです。








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主要矛盾と根本矛盾について (自由びと)
2017-10-10 11:54:12

さて~論理的な思考について…

論理には、その論理レベルがある(考え得る)のはご存知ですか?

ブログ「悟りを求めて…」消滅理由発見の為の論理。
seesaaブログ消滅理由発見の為の論理。
ブログ「悟りを求めて…」復活の為の論理。
私の不安心解決の為の論理。………

そもそも『不安心」の出所は、ブログの更新・書き込みたいモノがあった、から…
それが突然に出来なくなり、今後も出来ないかも…そんな不安心。
だから、論理的な根本的解決は、「ブログの更新」であり、
その為の情報収集であり、その実行の結果が「新・悟りを求めて~」であった。

従って、昨日の私は
seesaaブログ消滅理由発見の為の論理的思考はしていなったが…
ブログ更新の為の論理的思考と実践はしていた、と言い得る。

これって、論理的に書けば、
主要矛盾の解決よりも、根本矛盾の解決を優先した、という事かな…









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