新・悟りを求めて~

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「体罰」と「非体罰」との区別と連関 2013/01/28 「ライムライト」に見る“体罰” by 心に青雲ブログを読んで~

2023-06-24 15:27:17 | 旧・「悟りを求めて…」ブログ記事
2013年01月28日
「体罰」と「非体罰」との区別と連関 2013/01/28 「ライムライト」に見る“体罰” by 心に青雲ブログを読んで~

チャップリンの『ライムライト』の中での、以下のシーンについて考えてみた。

 ……引用開始……

再びテリーはダンサーの職を得、新作バレエのトップダンサーに抜擢される。そのデビューの直前、テリーは舞台に出る怖さからまた足が動かなくなったとカルヴェロに訴える。

 そのとき、カルヴェロはテリーを思い切りひっぱたくのである。しっかりしろ、お前には出来るんだ! と叱りつける。それまでのあくまでテリーに優しかったカルヴェロから豹変した。
 しかしそのお陰で一瞬にしてテリーは正気に戻り、見事に舞台でバレエを踊る。

 ……引用終了……



ここで引っ叩いたテリー、引っ叩かれたカルヴェロのそれぞれの思いをみてみると、テリー=カルヴェロに舞台で踊って欲しい、カルヴェロ=舞台で踊りたい、この両者の思いの一致がここに存在している。

 しかし同時に、舞台で踊りたい思いのカルヴェロであるにもかかわらず足が動かない、という矛盾=想いと身体の不一致、が彼女には存在している。

 この矛盾の解決法=即効的解決法が、テリーによる「引っ叩き」であった。

ただ、彼テリーは、初めから引っ叩こう、引っ叩けばカルヴェロの足が動き踊れる、と考え思って引っ叩いた訳では無いのだろう。彼は自分の想いの全てを「引っ叩く」で表現したに過ぎない…。しかし、彼女は、その彼の強い想いに押してもらい、彼と自分の想いを合わせた認識を意志して用いて、言う事を聞かなかった自分の足を動かしたのだろう~

 また、ここで、日頃から優しいテリーが、その人柄でのカルヴェロとの交友関係も重要なポイントである。日頃は優しい彼テリーの「引っ叩き」だったからこそ、彼女カルヴェロの足が動いたのだろう。

 この「引っ叩き」を体罰とは呼んではいけないと私は考えている。何故ならテリーはカルヴェロに踊れない「罰」を与えた訳でないから。

 翻って教育現場で「体罰OK」となったら、どんな事が予想できるか?

 それは、人格的未熟な教員が未熟な児童・生徒を「体罰」で強引に指導してゆく姿なのだろう。

 教師たるもの安易に「体罰」に頼ることなく、人間的迫力、人睨み一声で悪い事した意識のある児童・生徒をビビらす凄身ある身体的表現能力を習得すべきであろう。

 と~同時に児童・生徒の自己正当化の自己の非成長・非教育的屁?理屈を打ち砕いてしまうような学問的教育的論理を彼らの理解可能なレベルで語れる頭脳と言語表現能力の養成も求められるのだろう~

 このような努力をしないで、身体に手or足による直接的刺激や打撃での指導方法では、初期の頃or表面的には効果・結果は得られるだろうが…その内に児童・生徒にその教師の無能さが見抜かれ、彼らを教育的には指導できないことになるのだろう~



 多くの人々は「体罰禁止」、「体罰容認」と表面的部分に拘り過ぎている、と私には感じられている。

 私は教員の「体罰禁止」大賛成である。その「体罰禁止」の規制・制約の条件のもとで、児童・生徒との教育的人間関係を築き上げ、その想いの深さ強さから、「体罰的指導」をしてしまったとしても、その行為を「体罰」とは決して思わせないような教師を目指すべであろう…教師たるもの…

 教育現場での、「体罰」と「非体罰」とは指導者と被指導者、この両者の人間関係の流れ、全体を貫く信頼関係と、その時々の両者の認識の過程的関係の中で決まるものであり、表面的「体罰禁止」、「体罰容認」を叫んだところで、何の意味があろうか…

 そう~私の思考の深化の助けになっているという点で意味あるものなのだろう~が…

このネットとは本当に便利である。自分で考える前にネットで検索すれば、多くの考えても思ってもみなかった考えをドンドン知ることができてしまう。

 だからこそ…現在の私は感じている。

そんな多くの考えの中から、ついつい自分の考えや思いにピッタリ合うものに即賛成してしまう~等身大の自分に満足してしまう危険を…

 あらゆる読むことの可能な意見、考え、感想に、即~同感・共感・共鳴すること無く、全てを対立物の統一的把握を行う中で、それらの本質的共通部分に自身の思考を近付けていけたら…と…



もう一度10年前の私に戻って考えてみよう!

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