以下は、去年の今日に、書いた自由びと的な「禅問答の正解」である。
そして、「禅問答の正解」の下の続編記述が悟得びと化している今日の私「禅・公案の正解」である。
このような正解を得られた理由は…
この一年間の実生活での「私の認識・内実の変化」と
今回の「自由学藝 第三号」の付録「2006年秋季関西例会レポート」を読んでの相互浸透の結果であろう。
禅問答の正解… 2021-06-15 19:11:16 | 禅問答・公案
ここ数日間、
「初めての『禅問答』」―山田史生―(光文社新書)
を読んでいる。
そんな中、本日、ふと…以下のような事に気づいた。
禅問答・公案は、言葉で書かれている。
その禅問答の正解は「言葉」ではなく「認識」である。
それも体現してしまった認識となろう。
「生命史観」によると、動物の像・認識は、その瞬間を生きる為のモノであり、
認識・像を自覚する=即運動・行動が起こり得るモノ。
問題に対する自己の認識の表現である言葉なら「正解」であるが…
予め問題を知っている場合、その問題の正解を言えたとしても、
それは自己の認識の表現としての言葉でない。
仮に正解を自分の言葉で表現できたとしても、
それは自己の真の実力とは言えない…
禅問答の正解は、瞬間的な自己の認識・表現の中身と言える。
それは、瞬間的に表れた表情、行動、言葉、感情の全てが
求める「禅的正解」と一致して初めて、「自分的正解」なのだろう。
禅の言葉に「日々好日」というのがある。
別言するなら「生きているって素晴らしい」となろう。
最愛の者が亡くなって死にたくなる程に悲しい時、
その悲しみを感じられる今の自分が素晴らしい…
死にそうに苦しくて死にたいと思った時、死にたいと思える自分が素晴らしい…
天に舞い上がる程に嬉しい時、そんな自分が素晴らしい…
何があっても、何が起こっても、生きている自分は素晴らしい、
死んでしまった人達は、自己の中で生きている事が素晴らしい、
自分が死ねば、全ては「無」、
何も感じない、何も感じない事さえ感じない。
「絶対的な無」となろう。
何もないより、何かある方が素晴らしい。
例え素晴らしいと思えない物事でも、
それが「ある」という事自体が素晴らしい。
以上を言葉ではなく、自己の認識・像として
今この瞬間に描ける事が「日々好日」なのだろう。
続・禅問答の正解
「自由学藝 第三号 2.現象・構造・本質について 禅問答の秘密」
…参考文…
~~引用~~
…前略…禅問答では何を答えるかよりも、まず何秒で答えるかが重視されている。これが禅問答の秘密である。
…中略…間違おうがなんだろが開き直れているかが第一段階で、内容というのは第二段階である。
…中略…有名な公案は「片手でたたく音は?」という隻手の音である。…後略…
以下のネットサイトで「隻手音声(せきしゅおんじょう)」について知る事が出来る。
禅問答入門 3 【隻手の音声】|恵仁|note
gokichikai.jp/essay-kouan-sekisyu.html
さて…この、「隻手の声(せきしゅのこえ)」・「隻手音声(せきしゅおんじょう)」とは、白隠慧鶴(1686年-1769年)が創案した禅の代表的な公案のひとつ。
この模範解答は、「禅師の片方の耳に片手で打ち付けた」と、
どこかのサイトに書かれていた、が…
これが模範解答である理由を考えてみた。
私の解答は、上記の模範解答を参考にして、以下のようなに考えみた。
禅師―「、隻手音声(せきしゅおんじょう)とは?」。む
悟得びと―間髪入れずに、片方の人差し指と親指を交差させて、親指の根本に当て「ピ・ピ・ピ…」音を立てる。
禅師―「それは指の音であり、隻手の音ではない…」
悟得びと―間髪入れずに、右片を禅師の左耳元で振る」
禅師―「それは空気の音であり、隻手の音ではない…」
悟得びと―間髪入れずに、自分の右手を禅師の左耳に直接当てながら…「この隻手の音を聞け!」と叫ぶ~
どのように考えても…
自分・他人の片手だけで音を出す事は不可能。
音は、モノとモノの運動(接触)結果が媒介物を通して人間の耳・聴覚から頭脳に達し感覚したモノが音になる。
この問題では禅師にとっての「隻手の音」であり、
他の人には「隻手の音」である必然性はない。
ならば、禅師に私の片手を直接ぶつければよい…
しかし、禅師の体にぶつけた音は、隻手と禅師の身体で発した…
しかし、耳を直接ぶつけるなら、「耳と隻手の音」ではなく、
何故なら、それは、耳できなく、
聞きたいと思っている禅師の聴覚に直接聞かせた音、
聴覚に聞かせた「隻手の音声」となろう。
換言するなら、
耳をぶたれた音ではなく、聴覚に直接聞こえる音を聞け。
聴覚にぶつけたなら、聞く為の聴覚なので、片手をぶつけたのではなく、片手の音を聞かせた…となろう。
でも、上記の記述は、時間に書けて考え出された解答であり、
しかも、模範解答を参考に論理的考えだけてモノである以上…
現実界での…禅的な正解はい言い難いが…