続・空手の達人
以下のコメントを頂いた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
goo blogからのお知らせ
あなたのブログにコメントが届きました
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ コメント ────
・コメントが届いた記事
空手の達人
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/092e9b23c099b3cda34a30aa1ca5a7be
・コメントを書いた人
南無
・コメント
自由びとさんは空手のことを知らないみたいですね。
いや、知識的には色々な流派を知ってはいるのでしょうけれど、実際に汗を流して稽古したことは無いのでしょう。
以下省略~
初めに上記の記述を読んだ時、私は思った~
『こいつは、何を持って私が>実際に汗を流して稽古したことはない<と思っているのだろう…』
現実の私は、
高校時代に少林寺拳法、
大学では松濤館流空手道愛好会、同時に極真会館の通信教育空手、家の近くの空手協会系の空手道場(と言っても何とか会館での練習だったが)
そんなこんな事を持っている時…
ふっと思った…以下のような事を~
私を知らない「奴が思っている私」と「実際・現実の私」の相違の原因は何か?
すると気付いた~
現実の空手道場・教室では、どこにも「健康空手」、「ダイエット空手」、「スポーツ空手」、「喧嘩空手」…の文字は見た覚えがない。広告・宣伝文句に堂々と「〇〇〇空手」と公表している道場・教室は皆無…という事だろうか…
あの極真会でさえ、漫画では「喧嘩空手」と書かれていても
、公には「喧嘩空手」とは言っていない…
玄和会だけであろうか…堂々と「武道空手」・「武道護身空手」…と書物で書いているのは…
しかも、「武道とは、武器を用いた生命を賭けて勝負の道」とは公言している。
だから、当然に玄和会員は、空手に武道・護身を求めて入会いているだろう…
しかし、普通の空手道場・空手教室では、どうだろうか?
確かに、私が入会した大学の空手愛好会では、師範は「空手は武道」と言っており、
型の指導でも、よく以下のような事を言っていた
「その正拳一発で相手が倒せるか?」、
「その受けで相手の蹴りを避けられるか?」
「その裏拳はどうだ?」
師範は「空手は武道」と言っていても…
「武道とは?」を教えてはくれなかった…
仕方ないので自分達で思っていた~
「武道とは、気合いだ!」…
「武道は苦しいモノだ!」…
「武道とは耐えるモノだ!」…
極真会の誰の著書に書かれていた私の気に入った言葉が以下である。
「オッス」とは「押忍」であり、
それは、苦しみに対して、ただ忍んで耐えるのではなく、
その「苦しみ」を強く押し返しながら耐え・忍ぶ事…である。
さて…現代の空手道場・教室の殆どが、その道場・教室の空手の目的を明言・明記してない…
だから、空手を始めた人達は、その空手を己の目的に即して練習・習練・修練・修行…しているのだろう。
だから、私の書いている
寸止め空手の達人?
防具空手の達人?
ダイエット空手の達人?
体操空手の達人?
健康空手の達人?
スポーツ空手の達人?
競技空手の達人?
喧嘩空手の達人?
武道空手の達人?
↑とは~
その事を直接指導しているような空手道場・空手教室が現実にある!ではなく、
その空手を学んでいる人達が、空手にも求めているモノ…とう事である。
因みに、以前に「ダイエット・ボクシング」…という文字を見かけた事がある…
上記のコメント主である「南無お宅」は、
初めから私が嘘吐きと決め付けて記事を読んでいる。
言うなれば、「自由びとは嘘つき」だと確信して記事の記述を読み・解釈している…
だから、上記のような自由びとの認識・思い・考え…を想像できない…のだろう。
面識が無く見ず知らず、全くの他人である、
未知の自由びとの記述を信じられずに疑い続け、読み続け…
得られる成果とは?
それは、自己認識の強化・深化であり、そり強固な自己形成と言えよう。
そこには、南無お宅の動物・本能的な進化・発展・強化…であり、
それは、決して人間・認識的な弁証法的進化・発展・深化…ではあり得ないモノ。
ソクラテスは死ぬまで、ソクラテスであり…
決して~ソクラテス的⇒プラトン的⇒アリストテレス的⇒ヘーゲル的~
↓
哲学・学問的への道には至れないソクラテスお宅であろう。
ソクラテスはソクラテスの弁明しながら…
五月蠅く朽ち果てていってしまうの?!
以下のコメントを頂いた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
goo blogからのお知らせ
あなたのブログにコメントが届きました
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ コメント ────
・コメントが届いた記事
空手の達人
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/092e9b23c099b3cda34a30aa1ca5a7be
・コメントを書いた人
南無
・コメント
自由びとさんは空手のことを知らないみたいですね。
いや、知識的には色々な流派を知ってはいるのでしょうけれど、実際に汗を流して稽古したことは無いのでしょう。
以下省略~
初めに上記の記述を読んだ時、私は思った~
『こいつは、何を持って私が>実際に汗を流して稽古したことはない<と思っているのだろう…』
現実の私は、
高校時代に少林寺拳法、
大学では松濤館流空手道愛好会、同時に極真会館の通信教育空手、家の近くの空手協会系の空手道場(と言っても何とか会館での練習だったが)
そんなこんな事を持っている時…
ふっと思った…以下のような事を~
私を知らない「奴が思っている私」と「実際・現実の私」の相違の原因は何か?
すると気付いた~
現実の空手道場・教室では、どこにも「健康空手」、「ダイエット空手」、「スポーツ空手」、「喧嘩空手」…の文字は見た覚えがない。広告・宣伝文句に堂々と「〇〇〇空手」と公表している道場・教室は皆無…という事だろうか…
あの極真会でさえ、漫画では「喧嘩空手」と書かれていても
、公には「喧嘩空手」とは言っていない…
玄和会だけであろうか…堂々と「武道空手」・「武道護身空手」…と書物で書いているのは…
しかも、「武道とは、武器を用いた生命を賭けて勝負の道」とは公言している。
だから、当然に玄和会員は、空手に武道・護身を求めて入会いているだろう…
しかし、普通の空手道場・空手教室では、どうだろうか?
確かに、私が入会した大学の空手愛好会では、師範は「空手は武道」と言っており、
型の指導でも、よく以下のような事を言っていた
「その正拳一発で相手が倒せるか?」、
「その受けで相手の蹴りを避けられるか?」
「その裏拳はどうだ?」
師範は「空手は武道」と言っていても…
「武道とは?」を教えてはくれなかった…
仕方ないので自分達で思っていた~
「武道とは、気合いだ!」…
「武道は苦しいモノだ!」…
「武道とは耐えるモノだ!」…
極真会の誰の著書に書かれていた私の気に入った言葉が以下である。
「オッス」とは「押忍」であり、
それは、苦しみに対して、ただ忍んで耐えるのではなく、
その「苦しみ」を強く押し返しながら耐え・忍ぶ事…である。
さて…現代の空手道場・教室の殆どが、その道場・教室の空手の目的を明言・明記してない…
だから、空手を始めた人達は、その空手を己の目的に即して練習・習練・修練・修行…しているのだろう。
だから、私の書いている
寸止め空手の達人?
防具空手の達人?
ダイエット空手の達人?
体操空手の達人?
健康空手の達人?
スポーツ空手の達人?
競技空手の達人?
喧嘩空手の達人?
武道空手の達人?
↑とは~
その事を直接指導しているような空手道場・空手教室が現実にある!ではなく、
その空手を学んでいる人達が、空手にも求めているモノ…とう事である。
因みに、以前に「ダイエット・ボクシング」…という文字を見かけた事がある…
上記のコメント主である「南無お宅」は、
初めから私が嘘吐きと決め付けて記事を読んでいる。
言うなれば、「自由びとは嘘つき」だと確信して記事の記述を読み・解釈している…
だから、上記のような自由びとの認識・思い・考え…を想像できない…のだろう。
面識が無く見ず知らず、全くの他人である、
未知の自由びとの記述を信じられずに疑い続け、読み続け…
得られる成果とは?
それは、自己認識の強化・深化であり、そり強固な自己形成と言えよう。
そこには、南無お宅の動物・本能的な進化・発展・強化…であり、
それは、決して人間・認識的な弁証法的進化・発展・深化…ではあり得ないモノ。
ソクラテスは死ぬまで、ソクラテスであり…
決して~ソクラテス的⇒プラトン的⇒アリストテレス的⇒ヘーゲル的~
↓
哲学・学問的への道には至れないソクラテスお宅であろう。
ソクラテスはソクラテスの弁明しながら…
五月蠅く朽ち果てていってしまうの?!