「南山城村」ウォーキング④「思いのまま」に出会い「春光寺」「やまなみホール」へ

2023-03-16 23:20:22 | 関西本線木津亀山間活性化
 
「大河原発電所」で遠目ではあるけれど「水路」に流れ落ちる水の様を見られたし、
「甌穴」も探すことができました。
一人で行った時より格段に楽しいウォーキングです。
天気も良好、仲間との会話も弾み、手元資料もあるので、
語り部さんのお話はその場でよく理解できました。
見どころが多い分、行程はどんどん押されてきます
見たいし、話しを聞きたいし、あっ信号も渡らなアカンし…
旧国道163号線(現・府道82号線)を一斉に渡り、右折れして山に向かう感じで歩きます。
だんだんハードになってきました(笑)、そんな時見つけたのがコレ…

民家の庭先に「思いのまま」、いいとこ切り取って撮りた~い
スマホを構えていると、「ええ感じに撮れてるやん」と褒められました
それがページ最初の写真。
ここで出会えるなんてほんとラッキー
和ませてもらいました。

急坂を300mほど上ると関西本線の踏切、
 
その先100mほどで『無量山 春光寺』到着です。

このお寺には「国の重要文化財」指定の「薬師如来立像」が安置されております。
以前訪問した時にはさすがにお目にかかれなかったので、
今回の楽しみの一つでもありました。
仏様の撮影はできませんので、詳細は上記リンクをお読みください。
平安末期の作でとてもやさしいお顔で見ているとホッとします。
脇侍の十二神将、日光菩薩月光菩薩様は後に寄進されたものだそうですが、
そうそうたるメンバーの仏さまたちに守られている「薬師如来さま」です。
  
天井絵も素晴らしく、大般若経もあります。
歴代のお坊さんや村人の信仰の厚さと努力の賜物により、
とても大事に守られているお寺であると感じた次第。
(「薬師如来立像」写真は当寺パンフレットより)

帰り道、ここもやっぱり伊賀西山地区島ヶ原も同じような被害にあったところで…
南山城水害記念碑』(二八災害による)
 
昭和28年(1953)8月15日日没より降り始めし雨は雷を伴い、
12時間の推定雨量は570mmに達したとか。
当時の大河原村と高山村の全域で山津波が発生し、
中小の河川は土石流に見舞われました。
犠牲者は多く、ここに災害の惨状を記し、後世に残す。≫

線路もトンネルも流され、今は見事に復活していますが、
見事なS字カーブの鉄路なり…
 💦


さて、「南山城村の歴史とお茶を巡る・感じる」ウォーキングの終着地は、
ココ「やまなみホール」(過去ログより)
 
グランドピアノ型の外観(川側から)、設計は【黒川紀章】。
長くなるので上記「村を行く!」のリンクをご参照に。
 
ここでは『山城喫茶交流茶』開催中、これに参加できるとのことで
ホールで待ちます、この時点で10時42分。
出発は9時30分だったので、いかに頑張って歩いたか!!(笑)。

さぁ、ゆっくりと「宇治茶の郷・山城」でお茶会三昧です。
先ず①『煎茶道』。
  
南側に流れる木津川の上流には「発電所」の建物も見えるロケーションです。
 

 
一煎目、二煎目と美味しく香り良く戴きました。
この和菓子『ぼた』という名前のぼた餅ですが、思わず微笑んでしまいます
内緒にしておきたいくらい美味しいのです。
(実は、先日(3/14)に買い求めに「南山城の道の駅」へ行きましたら
『土・日限定販売』とのことでしたが )ぜひ いたします。

②『茶道お抹茶』
和室に移動して「お抹茶と春の彩り和菓子」で一服。
 

③『茶歌舞伎』?さてなんでしょう?
研修室風洋間に入ります。
「お茶ッ葉三種」並んでおります。
簡単に一言でいうと「飲んだお茶を当ててみ」みたいなもんでしょうか(笑)。
詳しくは『お茶を楽しむための伝統的なゲーム、茶歌舞伎って?


A.碾茶(テンチャ)、産地は「七尾鳥茶畑」(イマヤマナナオドリ)
 

B.かぶせ茶
 

C.深蒸し煎茶
 

今回はこの三種を飲み比べ、公平さを保つため
90℃のお湯で90秒待つ、ということ。
さて4杯目はなんでしょう?

ワタシは残念ながら不正解でしたけど、
それぞれに(その時は)特徴があって旨み甘み苦みなど様々。
う~ん何かが違うなぁ…と思っていたのですが、
こうやって較べてみると自分の好みがわかるかもしれませんね、
いい経験させていただきました、また挑戦してみたい。

こんないろんな機会をいただいたことに感謝し、
長くなってしまいましたがご報告できたこと良かったです。
南山城村のごく一部しか行ってませんが、歴史のこと、
お茶のこと、関西本線のこと多くのことを学べました。

ダメ押しの最後にdawnさんからの紹介の「しい玉焼き
たこ焼きならぬタコの代わりに村の名産品のしいたけを入れたモノ。
隣の「農林産物直売所」へ買い求めに行きましたが、
 
「待ってくれるのなら焼きますよ」と言ってくださり、
13時56分発の列車まで時間があるので「待ちます!よろしくお願いします」と。
焼き上がりを受け取ると発車時間が迫っており、食べる間はなく、
慌てて走って、乗って、食した帰路経過報告 💦

関西本線「月ケ瀬口駅」と「南山城村 道の駅」
 

同じく「島ヶ原駅」と車内吊り広告
 

伊賀鉄道「新居駅」
  

同じく「忍者市駅」到着。
  
芭蕉さんの傍で、やっと「しい玉焼き」食す

アツアツではなかったですが、これはクセになりそうなおいしさでしたよ。
(ちなみに、大河原駅で別れた知人はその場で食べたとのこと、
口の中やけどしながら食べたよ、と。でもこれはgoog!いやbest!だとさ(笑))
蛸よりもいい感じの「椎茸のうま味」が出てるので、これいいかも

では、おしまい。
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「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング③「大河原発電所」「甌穴」もあるよ

2023-03-14 16:19:56 | 関西本線木津亀山間活性化
時間の都合上「大河原大橋」から眺めるのみの発電所だったのですが、
以前(2021年)訪れたときには知らなかった大事なこと、
今回(2023年)ココで語り部さんに教えていただきました。
大橋から正面辺りに見える「大河原発電所」(左)と
木津川(名張・月ケ瀬方面から流れてくるので「名張川」とも)を覗きます(右)。
 
≪大きな岩盤が見え、これは「花崗岩」で発電所の上流まで続いています。
その中に穴が開いているようにみえる「へこみがあり、

これは「甌穴(オウケツ)」と言い、何万年という長い年月に
水の流れや小石で岩が削られてできた「穴」
です。≫(当日資料より)
参考に、以前訪れた「布目川の甌穴(ポットホール)」写真花崗岩岩盤です。
※ちなみに、伊賀市では高尾地区にある「逆柳の甌穴(サカヤナギノオウケツ)」が三重県文化財に指定されています。

ここにも「甌穴」があることの確認ができたし、
遠くからでも「発電所」は見えました、が…
せっかくなので「大河原発電所」ってどんなとこ??
以前の写真を使ってご紹介しましょう~~
blogで潜入です。(※2021/3/15訪問時の写真を使っています)

「大河原大橋」を渡り終えると上流側への進入路があります。

少し行くと大きな煉瓦造りのアンティークな建物が見えます。
 

建屋の裏側に行くと
  
いかにも「発電所」 って感じです、3枚目は取水した水を溜める「水槽」

さて、この建物は、
*20世紀初頭、欧州で流行した「アールヌーボー(芸術改革)」の影響を受けた煉瓦造り。
*内装にも石材を使用。
*大正の煉瓦造りとして建築学的にも珍重され、
 「発電所本館」は昭和57年(1982)に「日本建築学会」より
 『全国の近代建物2000棟』の中に選ばれている。
平成7年(2005)には「土木学会」が
 発電所・堰堤・取水口のシステム全体が当時の姿で残っていることから
 『日本の近代化遺産 土木建造物』に選出されている。
 

歴史としては、
*大正8年(1919)10月、発電所と送電線路新設工事完了。
 12月から運転開始。
*当時は京都電灯株式会社、現在は関西電力に引き継がれている。
*無人ですが、奈良の事業所からリモートコントロールだそう。
*当初3000kw(現在は3200kw)で山城や京都方面に送電。
 大正末には村の大部分に電気が通う。
*「童仙房地区」への送電は昭和23年にやっと送電できた、とのこと。

右の写真2021/3/19の様子、水は流れていませんが…
2023/3/12に見た光景はまさに川から水が水路に流され、
直下にあるタービン(水車)に水を落下させ、
発電機を動かしているところ……だったのかなと。
この作業がしょっちゅうあるのか、たまに、なのかは知る由もありませんが。
 

水路式水力発電とは?(関西電力HPより)
 ≪川の上流に小さな堤をつくって水を取り入れ、
 長い水路で適当な落差が得られるところまで水を導き、
 発電する方式です。発電のための水量は、川の水量に
 左右されます。≫とのことです。

ここで「名張川の水を溜める仕組み(=堰堤エンテイ)」を見てみましょう~~
「大河原発電所」から上流への道を進むと弓ヶ淵という所を通ります。
その途中にこの小さな堰堤(ミニダムのようなもの)はあります。

210319 弓ヶ淵堰堤(大河原発電所)


   

ここを過ぎると「高山ダム」です、その先は「月ケ瀬・名張方面」へと続きます。
これを書いた本日、「高山(大)橋」を見てきました。
 

「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング報告のつもりが
ちょっと発電所に長居をしてしまいました💦

今回のお話では、
「建造から100余年、働き続け今なお健在。発電コストはバツグンで安上がり。
温室効果ガスも発生しない再生可能エネルギーです。」
「しかし、発電所を建設すえう場所が限られ、全国に約2300か所ほど。
建設の計画はあるものの、環境破壊、水没補償などの難問があって、
建設は進んでいません。これを機会に
『エネルギー問題』『地球環境問題』について考えていただくと
観光・見学の価値が上がるかもしれません」とのこと。

なるほど、ここまで考えてこの企画に参画され案内してくださっているのかと、
恐れ入るばかり、とても勉強にもなりました、いろいろ考えること多々。

寄り道した感じですが、次回は「春光寺」「お茶席体験」など、
おまけは「しい玉焼き食べました!」で〆たいです(笑)。

ではまた
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「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング② 恋路橋・恋志谷神社・大河原大橋へ

2023-03-13 14:43:36 | 関西本線木津亀山間活性化
昭和28年のいわゆる「二八災害」では、一部が大量の土石流で壊れてしまったそう。
それ以後70年間「荒波が襲い掛かっても、逆らわずに静かに身を潜めてやり過ごす」橋。
だからこそ、壊れることなく末永く続いていく…
そんな「恋の路を説いているかのごとき『恋路橋』」と語り部の橋本さんはおっしゃいます。
うまいなぁ、そりゃ「パワースポット」になりますわ(笑)。
それもこれも、この先に秘密があるのだとか。
 (再掲)

  (2021/3/15撮影)
西北側橋標「恋路橋」って彫られているんですが、
ちょっと読めないかも、ごめん。(ぜひ、現地でご確認くださいな)
川幅約100mあり、橋がなかった時代「ここは船で渡っていました」と。

当然「高山ダム」などなかった時代、水量も多く、
渡し舟に乗り、張られたロープを伝いつつ渡る難行だったとか。

※過去動画「恋路橋~大河原大橋」国道163号線(修正:現在は「府道82号線」)と関西本線をバックに



そのまま川沿いの道を歩くこと数分、突き当たりはココ。
恋志谷神社及び天満宮社
 (2021/3/15撮影)

 
(左)「恋志谷神社」、(右)「天満宮」(いずれも2021/3/15訪問時撮影)
今回はグループウォークだったので「本殿」撮影はしませんでした、あしからず。
ここは元々、『天満宮』があったところ。
かつては「古森」という地に「斎(イツキノミヤ)神社」があり、江戸末期元治元年(1864)に合祀。
その神社が「恋志谷神社」といわれ、
≪良縁、恋愛成就、安産にご利益がある≫とか。

どうして?の気持ちを紐解く話がこちら↓(南山城村史より)
≪元弘の乱(1331~1333)で、後醍醐天皇が政治の実権を
 鎌倉幕府から奪い返したいと企図したこと、笠置の僧兵、
 山城加茂や笠置の悪党たちとともに、大河原左衛門尉有重と
 名乗る武士が後醍醐天皇に味方し、笠置城に籠城して
 鎌倉幕府と戦ったという記録が『太平記』に見えます。
 また笠置町の有市や南大河原に地頭が配置されていた≫とか。
≪恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったようで、
 姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。病気が治った後に
 後醍醐天皇がいた笠置へと向う途中で、ここ南大河原の古森に着いたものの
 姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、
 あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
 姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、
 また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けます、
 とあったと言い伝えられています。≫と、話は続き、
700年もの間『恋志谷神社』は、人間関係が希薄になりつつある現代でも
「心の拠り所」としてお参りされる方が多いのでは?…というお話でした。 

   
この時期、「椿の花」の手水舎。
神社境内にてお話を聞き、
今では珍しい「茅葺き吹き抜けの拝殿」(現在はトタンで覆われている)。
  
天満宮拝殿を下から覗き、「天神さんの『紋様』」を見つけ、
そこに「梅の花」が丁度咲いており、自画自賛の写真になりました(笑)。

さぁ、神社に別れを告げますが、
 防火水槽の恋、いや鯉かな?
今日の予定に時間限定「お茶席体験」企画があるので、少々忙しい…
行程表通りに進みたい関係者のみなさん、
少々遅れ気味になる「写真撮りたい人」、申し訳ないと思っています💦

神社から歩くこと10数分、あちこちで梅満開!香りに癒されつつ歩きます。
旧街道沿いのせいか、家紋付きの立派な蔵を持つ家が多いです。


やがて視界が広がり、素晴らしい景観の待つ「大河原大橋」を渡り
現役稼働中の「大河原発電所」へ
では橋から見た「上流側の木津川と大河原ダム」と
「笠置山地の風景」をどうぞ~~
 

下の写真は、2021/3/15「大河原大橋」の橋脚の下から撮りました。
この岸の辺りが昔「船付き場」であった場所かな…と。
  

次回は未だ現役稼働中「大河原発電所(土木建造物遺産)」と「甌穴」からはじめます。
 
ではまたつづく。
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関西本線「大河原駅」から「南山城村の歴史とお茶を巡る・感じる」ウォーキング①

2023-03-12 23:17:00 | 関西本線木津亀山間活性化
2023年2月号の「広報いが」で見て、翌日に応募して間に合った定員25名のツアーでした。
以前、一人で旅したものの詳しいことは何もわからず歩いていたので、
今回は大河原駅界隈の説明をしてくださる「語り部」さんが案内とのこと。
今回デビューとおっしゃってましたがとてもわかりやすいお話で、
見習うべきところ多々、素晴らしい案内をしていただきました。

知人に8時前にお迎えに来てもらい🚙、約20分で「やまなみホール駐車場」到着。
びっくりするほど早かった…(スピードが速い!という意味ではなく)
駐車場の端っこには「農林産物直売所」、まだ開店前。
   
咲き始めの八重の椿と共に、鉄路は北側上方、鉄格子に囲まれた感じの半トンネル?
3枚目写真では「女官谷橋りょう」とのこと。
(個人的感想、うん?「恋志谷神社」に関係ありそうな名前か?)
この半トンネル風、正式名称はわかりませんが(洞門かな?)…調べれば、
二八災害(1953/)時の「大河原駅付近写真」(wikipedeaより)
があり、
ここら辺り、相当な被害だった様子。
確か上野の西山地区も「山津波」が起こった災害でした。
それ以降に出来た土砂災害対策用トンネルかと思われますが…

8時半丁度に「関西本線:大河原駅」到着。(リンク写真は過去撮影のモノ)
 
8時32分、加茂方面から列車も到着。
ホームの外で皆が集まるのを待ちます、
伊賀上野の語り部さん仲間、多し(笑)…

「関西本線木津亀山間活性化同盟会」主催なのですが、
笠置町・南山城村・伊賀市・亀山市・甲賀市が会員となり、
いろんなイベント企画をしてくれ、先ず「残そう!」と活動しています。
それに我々も楽しみつつ相乗りしている感じです。
さて、9時になり主催者や本日お世話になる「語り部」橋本さんのご挨拶。
資料も充実、案内していただけることはとても心強い
 

 当日資料から
関西本線『大河原駅』。

では「南山城の歴史とお茶を巡るメモ」を見ながら「いざ、行かん!」。

国道165号線を渡り、木津川にかかる「潜没橋(沈下橋)」へ。
  
正式には「大河原橋」または「恋路橋」とも呼ばれています。
まぁ「二人で渡ると恋が叶うかも」なんてスポット的な扱い方されていますが、
歴史的には、この橋が完成するまでは「渡し舟」で材木などを大阪まで運んでいたそう。
ここらで採掘される「亜炭(アタン)」「石材」(花崗岩)を大河原駅へ搬出のため、
この橋が昭和20年にできたとのこと。
大雨時には、岸にある目印のところまで大水がきたそうで、

水没したとしても「欄干」がないので引っかかるものがなく、
橋ごと流されることは滅多にないとのことでした。
 
※途中に見えたこの石は、二八災害時に崩壊したもの、
相当な水の威力だったことをうかがい知ることができます。

長さ95.3m、幅3.6mの「石橋」で、
村内の田山や大河原で切り出された延べ石や切り石が使われているそう。
では、丈夫な石橋を自分の脚で確認しつつ渡ります。
川面が近く、流れは光り、遠くに「やまなみホール」。
西に東に壮大な景色を見、木津川の流れを近くに感じながら渡ります。
   

今日はここまでで、
ではまた次回。
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本日第2弾「JR関西本線(木津⇔亀山)」に乗ってみようよ…

2023-02-13 14:28:09 | 関西本線木津亀山間活性化
伊賀市HPより
JR関西本線利用促進と電化を進める会の活動】のページです。
本日2/13にUPされたようなので、ぜひ

先にUPしたウォーキングイベント春の三題のひとつ、
「しまがはら歴史街道ウォーク」の申し込みは
 無事完了!!

関西本線(伊賀上野⇔亀山)利用の思い出として、
幼少時(60数年前か?)からハハに連れられ、ハハの実家である亀山の城下町内の古いお家に、
季節ごとに長期滞在してました。
親の思惑として、一人っ子だったので「きょうだい」という存在に”もまれる”ためだったかもしれない。
物心ついた頃から「国鉄亀山駅」から「亀山の城下町」まで歩いてました。
多分、今もその道は変わらず存在していると思いますが、
さすがに今は、🚙でスーッと上ってしまいますが、この坂道、
子ども心に「なんでこんなしんどい坂、上らなアカンねん 」って思いつつ歩いてた、気がします(笑)。
余談でしたが、名阪国道のおかげで列車に乗ることが激減してしまったこと、
便利ではあるけれど、ちょっと寂しく思っている今日この頃です。
なので「関西線利用促進」のためのイベントにはどんどん参加しようと思っているわけです。
何度も書きますが、老後のためにも…
ICOCAカードもそのために買ったようなものだし。

 
「JR関西本線利用促進と電化を進める会」のチラシです。

知人のdawnさんから提供いただいた写真ですが、

「高旗山」も写り、多羅尾の「伊賀盆地絶景展望台」も左端に…
最近やっと高旗山の所在がわかり(雪のお陰で)、
遠くに居てもこの信楽の山並みは肉眼で見えます。
この山があって、この気動車が走っているこの風景、大好きです。
撮影されたご本人はとっても難しい💦とおっしゃってますが、
いつかこの場所へ行って、撮影に挑戦してみたいと思っています。
dawnさん、

ではまた
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春の訪れ~イベント3題「南山城村」「しまがはら」「伊賀の里」

2023-02-13 00:50:52 | 関西本線木津亀山間活性化
春のイベント三題ご紹介しますが…
「南山城村ウォーキング」の分はすでに満員御礼!とのこと、あしからず_(._.)_
なのに載せるのは何事!と言わないでください。
そこはやっぱり「JR関西本線木津亀山間活性化同盟会」主催だし、
いずれ迎える「免許返納」時にはもっと利用させていただくので、
廃線なんてとんでもない!と祈る思いで見守っております
遅まきながら少しずつでも利用促進して活性化につながればと…

こんな秘境を走ってくれる公共交通機関は滅多にない!と思っています。
高虎のお殿さんだって「伊賀は『秘蔵の国』街道は険しいまま残しておきなさい」と言っていましたし…
 「大和街道」案内より
その街道沿いに走る鉄路が多いような気がしています(個人的な思いですが)
そして、同盟会では、お子様向けにも
近くの駅からはじめるキッズウォーク」のパンフレットも作ってくれて、
≪いろんな「すてき」がいっぱい≫と子どもたちにもPRしてくれてますしね…

いまは、平常時に乗ることはないのですが、イベントがあれば極力乗りたい、
乗って普段見られない景色(=車や徒歩ではない風景)を見たい。
それと、各駅間の距離が長いのでなかなか速いのです、すごいスピード感が体感できます。
最近では「加太駅」を訪れたり、「草津線」も乗りました。
(これら土・日曜日のイベントだからか、いつも立ち席になるくらいお客様は多い!)
車窓の流れゆく景色は、昔機関車に乗っていた時とさして変わらずとても楽しい
車では見えない広い田園地帯であったり、川と並走してみたり、
そこに迫り来る山や渓谷まで見えるんです、wakuwakuします

前置きが長くなってしまいましたが、
先ず第一題「南山城のウォークイベント

あっという間の定員締切に正直ビックリ しております💦
「広報いが」2月号に掲載されていた『となりまち い・こ・か関連イベント』(伊賀城和定住圏のページ)。
広報で見て、知人にも連絡を取り、翌日電話で申し込み、これがセーフだった

さてもひとつ、受付は今日の9時~~ですよ。
第2題「しまがはら歴史街道ウォーク

このチラシのQRコードをお読みいただくと、受付フォームになります。
「はさめず醤油蔵」の見学なんて滅多に行けないので楽しみです。
(申し込みできたら…の話ですが💦)

第3題「伊賀の里 歴史ウォーキング

JR伊賀上野駅から伊賀上野城下町まで「伊賀の歴史」をたどりつつ歩きます。

以上、春のウォーキングイベントのご紹介でした、
ではまた

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心配のたね、どうなる「JR関西本線」…

2022-05-20 15:33:54 | 関西本線木津亀山間活性化
「名古屋~奈良の最短ルート」であるにもかかわらず、
存続するか否かの危うい路線、とうのは薄々感じています。
半世紀前に高校生だった頃、この関の西本線で通ってくる生徒は少なからず知っています。
「関方面」(現・亀山市)からであったり、「大河原方面」(現・南山城村)から、
先輩や同級生は通っており、エライなぁと思っていたものです。
が、先般この記事を読んで、確かに「廃線になるかもしれないローカル線」なんだけど、
鉄道利用者だった人たちに会うと、渓谷沿いに走る風景は何物にも代えがたい、
自然と触れ合えるいい路線ですけどね、、、って。
ワタシだって、🚙に乗れない頃、大阪方面に用事のある時、たまに関西本線を利用してました。
ずっと窓の外を見ていた記憶が蘇ります。

JR関西本線「亀山~加茂」なぜ凋落したのか
 名古屋~奈良の最短ルート かつては特急も
』(乗りものニュースより)

最近、柘植駅の歴史などさっとおさらいしたばかり、
JR草津線のことは乗車経験がなかったのですが、意外と「便利路線」であることは理解、
知人も「某大学/草津キャンパスに」通っているとききます、
伊賀からでも通えるんだ??というビックリ話でした。
この路線は、まぁ大丈夫だろうとは思いますが、
さぁどうする!関西本線!!
この記事に描かれていた「トロッコ列車」、いいなぁ

(以下、再掲写真です)
  
「関西本線/飛鳥路辺り(笠置⇔大河原)の踏切」にて

   
「大河原駅、線路が近い!」


昔、東京?行きだったか「夜行寝台列車/大和」ってありましたよね?
話、古過ぎますか? ワタシ、母方のおばさんに連れられ「東京見物」に行きましたけど(笑)。
修学旅行専用列車もあったような、、、??

記憶は薄れて行きますが、電化をしてくれとは言いませんが、
何かいい知恵出して残せればいいなぁ…

ではまた
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