険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その4。安濃ダムから長徳寺、河内渓谷、石山観音公園へ。

2024-09-26 16:26:48 | つれづれ思うまま
 地図再掲。

「安濃ダム」から危険ではない「県道42号線」(起点は三重会館前交差点、終点は上阿波字箕谷)を東へ、
安濃川沿いに約5分。地図を見ながら走り、このお寺を見つけたわけです。

曹洞宗 長徳寺
※「長徳寺の四季
  
お寺の駐車場と山門
中に入って、これが有名な『龍王桜』と。
  
説明を読んでいて、「普賢桜」(フゲンザクラ)という名前は・・・確か聞いたことがある。
普賢、ふげん、フゲンと探していたらありました!

ちょっと逸れます💦
花垣予野の八重桜」の項?です。
なんとまさに今放映中の大河「光る君へ」の中の一条天皇、(道長の娘/ドラマの中では)中宮彰子さまが絡んでいました。
三重県伊賀市予野・花垣神社にあり、奈良県の八重桜に類似しています。≫
また、逸話として
≪奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。
これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。
彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。
この花守には原産地の予野の村人を当て、庄を賜った。
以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。≫とな。

ドラマの中ではこんなシーンは出てこないですが、
花垣の八重桜」の歴史はこんな古い時代の話だったのね、ということ。
今更ですが理解できたわけです。
(そんな話知ってるわ、という方々には笑われそうで恥ずかしいですが💦💦)
あまりこの時代のことって知るチャンスがなかったので、凄く興味を持って見ていました。
そしてなんと「桜」が絡んで「花垣の八重桜」、「普賢(象)桜」とつながったわけです。
まさかの芸濃町で、由緒書きを読んで、ドラマとつながり、花垣へ飛んでった…(笑)。

※ドラマでは、一条天皇(=塩野瑛久)、中宮彰子(=見上 愛)
※参考「伊賀の歴史/上下巻/郷土出版社」より
 

話題を戻しまして、長久寺の普賢桜はその季節にまた訪れたいものです。
その先をほんの少し進むと、今度は「河内渓谷」の看板!
 
確かに「青もみじ」が綺麗だし、秋になればきっと「紅葉は素晴らしい」と想像できます。
「忍田橋」(オシダ)と読みますが、古いアーチ橋があるはずなんですが、
木々が生い茂りその隙間から辛うじて見えるかな??
  

近くには「雲林院城跡」(ウジイと読む)。


※「令和元年の河内渓谷界隈紅葉の様子
ライトアップ時期は11月中旬から12月上旬を予定しています(令和6年情報)、だそうですよ。
行ってみたいですね

河内渓谷で16時15分になりましたので、ぼちぼち帰路に着かねばなりません。
帰り道はさすがにあの険道を再び通る気にはならず「名阪国道」経由を選択。
関ドライブインの手前に確か「石山観音公園」という大きな看板がある、
通るたび気になる場所で、今回は下見を兼ねて少しだけ寄り道します。

地図では「横山池」というのがあってその横を通ると意外と近道、
伊勢別街道に出ればもう慣れた道、「石山観音公園」までは行けそうな気がする…
はい、ほんの15分ほどで到着。
  

  

またのチャンスを狙います。

では、これで今回のドライブは「完」。

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2 コメント

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伊勢別街道沿い (moni5187)
2024-09-26 20:09:02
で行った事があるのは、平仮名で「ぜにかけ」という、記憶に残るドライブインを思い出しました。どうなったのだろう?。
と、全力で調査すべく、"ドライブインぜにかけ" で検索すると「一致する情報が見つかりませんでした」が出てきて(^^;)、
「銭懸」というバス停が津市高野尾町にあって、銭掛松石柱で有名で、「うなふじ」の近くだと分かりました。
※ 撮影された石山観音公園の芸濃町観光案内MAPでは、左上端の県道⑩ 至 津市街 辺りになります。
EXPO'70のころ、叔父の「初代サニー」で名阪からドライブに行った際に寄って、小学生には辛い大人のカレーを食べた
のも思い出しました。昭和の空中写真では、関向けに旧道から別れて直ぐのバイパスの左手に、青い屋根の建物と駐車場に
トラックが写っていて、恐らくそこで。「街道沿いのドライブイン」として大いに賑わったのではと思います。
返信する
伊勢別街道も (kuro&hana)
2024-09-27 00:47:22
>moni5187 さんへ
>伊勢別街道沿い... への返信
通るたびに風景が変わっていくなぁと感じていました。
免許取りたての20歳前半の頃、
父が津まで電車で通っていたのですが、車に乗りたくてしようがないワタシは父と母を載せてよく通いました。
関を下りて伊勢別を通り、途中から川沿いの道を教えてもらって広明町まで走った記憶。
その時に通っていたのは安濃川沿いの42号線だったのではと地図を見て思い出しました。
何せ高度成長期に道や橋造りに関わっていた人なので「この道は俺が造った」とよく言ってました。
いや造ったのは工事屋さんであなたではないでしょ、なんてことは言いませんでしたけど💦
あの道もこの橋も…今思えばもっとあっちこっち走っておけばよかったなと。

moni5187様、思い出の「錢掛(懸)」も幾度となく通り過ぎていたかもしれない…と。
親父様のことを思い出させてくれるコメントをいただき感謝します。
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