『田丸城跡パンフレット』から拝借した宝暦年間の「田丸城縄張図」、
多分、こんなところを歩いたかもという記憶之図、です。
「本丸跡」から「二の丸跡」へ。
「二の丸跡」石垣の縁へ進むと、ちょっと先に「景色の説明板」が見えます、
どんな風景が見えるのかワクワクする一瞬。
東方面!ということは、もしかして、もしかする…
パンフレットを見ると「富士見台跡」。
「玉城中」の校舎やグラウンドの遥か向こうに
知多半島、渥美半島。
空気が澄んでいると「富士山が見える!」…とのこと
さて、同じ「二の丸跡」でも、少し場所を変えると…
「朝熊山」が見える!
ということは、「伊勢志摩スカイライン」。
盆地育ちの伊賀人としては、個人的に「海の風景」に憧れを抱いている…
「二の丸跡/富士見台跡」から「二の丸虎口跡」へ下りていきます。
修復後の石垣は、色が違うのでよくわかります
「二の丸跡の石垣」に沿って歩ける細い道が続いているので、
しばらく石垣を真横に見ながら進みます、
突然視界が広がり、そこを下から撮ったのが3枚目、
そのまま道なりに下りていくと…
織田信雄時代の「搦手道(カラメテ)」に出ます。
「搦手道」を行ったり来たりして撮ったのですが、
最後に見上げた景色がコレ!
信雄が城主であった当時から変わらず、この空を見ていたのかなぁ…と。
※「搦め手(搦手)」とは、≪もともとは城の裏門、また、敵の背後のことで、
そこを攻める軍勢のこともいった。裏門や敵の背後は守りが手薄になりがちで、
攻めやすいことからたとえていうもの。
ちなみに、「搦め手」の反対は「大手」という。≫
そういえば、ワタシは「大手門跡」はまだじっくりと見ていない気がします。
地図を見直すと「外堀沿い」に歩けば、元に戻りそう(=城跡正面=玉城中入口)なので、
今度は「城跡」を外から眺めるつもりで歩きます…
「田丸城跡」のすぐそばを「JR参宮線」が通っています。
ここで列車が来れば最高!なんですが、思うように列車は来ません(笑)。
ちょっと気になって、通ってみた「城山架道橋(シロヤマカドウキョウ)」。
なかなかこういうチャンスはないので、好奇心丸出しでした…
ではいよいよ「田丸城外堀」です。
「外堀」と「城跡」が借景になっている「玉城保育所」。
この日、子どもたちの姿は見えなかったけど、(昼食時間だったかな)
寒さに負けずきっと賑やかに遊んでるんだろうなぁ、と想像力をかき立てられます。
「(左)保育所」と茶色い建物の「(右)玉城町役場」の間に見えるのは「桜橋」。
「大手門橋」が見えてきました…
「大手門橋」と「白鷺」
「大手門」界隈と「水鳥」。
ここから登城すると「村山龍平記念館 兼 玉城町教育委員会」へ。
ここで城跡回りを一周してきた感じですね。
最後に城内に合った「奥書院」が移築されているとのことで、
裏へ回ると
なぜか「SL」、そして「北畠氏築城から685年」の幟。
楽しかったです、三重に残る「城郭・城跡」、制覇したぞ!
ご城印!
見慣れた伊賀上野城周りの「算木積み高石垣」や「筒井城跡の野面積み石垣」、
それよりもっと古いであろう「田丸城跡の野面積み石垣」を見ることができ、
念願叶ったという満足感でいっぱいです。
詳しいことはわからないなりに、
時の流れと共に「石垣の造り」も進化しているのだなぁ、ということだけは確信。
まだまだ知らないことの多いことに気づきましたけど、いいお城探検ができました。
長々としかも中断しながら「田丸城跡」見聞のお付き合いありがとうございました。
ではまた、
多分、こんなところを歩いたかもという記憶之図、です。
「本丸跡」から「二の丸跡」へ。
「二の丸跡」石垣の縁へ進むと、ちょっと先に「景色の説明板」が見えます、
どんな風景が見えるのかワクワクする一瞬。
東方面!ということは、もしかして、もしかする…
パンフレットを見ると「富士見台跡」。
「玉城中」の校舎やグラウンドの遥か向こうに
知多半島、渥美半島。
空気が澄んでいると「富士山が見える!」…とのこと
さて、同じ「二の丸跡」でも、少し場所を変えると…
「朝熊山」が見える!
ということは、「伊勢志摩スカイライン」。
盆地育ちの伊賀人としては、個人的に「海の風景」に憧れを抱いている…
「二の丸跡/富士見台跡」から「二の丸虎口跡」へ下りていきます。
修復後の石垣は、色が違うのでよくわかります
「二の丸跡の石垣」に沿って歩ける細い道が続いているので、
しばらく石垣を真横に見ながら進みます、
突然視界が広がり、そこを下から撮ったのが3枚目、
そのまま道なりに下りていくと…
織田信雄時代の「搦手道(カラメテ)」に出ます。
「搦手道」を行ったり来たりして撮ったのですが、
最後に見上げた景色がコレ!
信雄が城主であった当時から変わらず、この空を見ていたのかなぁ…と。
※「搦め手(搦手)」とは、≪もともとは城の裏門、また、敵の背後のことで、
そこを攻める軍勢のこともいった。裏門や敵の背後は守りが手薄になりがちで、
攻めやすいことからたとえていうもの。
ちなみに、「搦め手」の反対は「大手」という。≫
そういえば、ワタシは「大手門跡」はまだじっくりと見ていない気がします。
地図を見直すと「外堀沿い」に歩けば、元に戻りそう(=城跡正面=玉城中入口)なので、
今度は「城跡」を外から眺めるつもりで歩きます…
「田丸城跡」のすぐそばを「JR参宮線」が通っています。
ここで列車が来れば最高!なんですが、思うように列車は来ません(笑)。
ちょっと気になって、通ってみた「城山架道橋(シロヤマカドウキョウ)」。
なかなかこういうチャンスはないので、好奇心丸出しでした…
ではいよいよ「田丸城外堀」です。
「外堀」と「城跡」が借景になっている「玉城保育所」。
この日、子どもたちの姿は見えなかったけど、(昼食時間だったかな)
寒さに負けずきっと賑やかに遊んでるんだろうなぁ、と想像力をかき立てられます。
「(左)保育所」と茶色い建物の「(右)玉城町役場」の間に見えるのは「桜橋」。
「大手門橋」が見えてきました…
「大手門橋」と「白鷺」
「大手門」界隈と「水鳥」。
ここから登城すると「村山龍平記念館 兼 玉城町教育委員会」へ。
ここで城跡回りを一周してきた感じですね。
最後に城内に合った「奥書院」が移築されているとのことで、
裏へ回ると
なぜか「SL」、そして「北畠氏築城から685年」の幟。
楽しかったです、三重に残る「城郭・城跡」、制覇したぞ!
ご城印!
見慣れた伊賀上野城周りの「算木積み高石垣」や「筒井城跡の野面積み石垣」、
それよりもっと古いであろう「田丸城跡の野面積み石垣」を見ることができ、
念願叶ったという満足感でいっぱいです。
詳しいことはわからないなりに、
時の流れと共に「石垣の造り」も進化しているのだなぁ、ということだけは確信。
まだまだ知らないことの多いことに気づきましたけど、いいお城探検ができました。
長々としかも中断しながら「田丸城跡」見聞のお付き合いありがとうございました。
ではまた、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます