堀の水、少し増えました。鯉もいますよ…

2024-07-07 00:36:25 | つれづれ思うまま
一昨日、調べものに慌てて伊賀上野城へ行きましたが、
その道中「堀の道」を通りました。

そこで、出会ったコ
 
アゲハ蝶、カラタチの上を飛ぶ。
(東側と西側のカラタチは辛うじて残っています)

「堀の水」は湧き水なので、なくなることはないのですが、
それでも雨が少ないとやっぱり「堀の水」まで少なくなります。

ちょっと比較のために今年の冬2月の堀の水位…
   
3枚目は上野高校の裏に藤堂藩時代の「武器庫」が見えますが…

そして~~今(2024/07/04)、なんだか久しぶりに並々としてる。
  

水際に下りてみたら(良い子はマネをしてはいけない)…なんと
  
「白い鯉」さん、見えるかな?

もう少し東側に行くと堀の水を調整するための排水口があるのですが、
そこにも何やら赤く見えるものが…
  
この堀には「紅白の鯉」という主がいたのですね、びっくり。

さて、その先今度は「空堀」ですが、そこに不規則な石段がある。
そこでふと「空堀」側に目をやると、なんと爽やかな色をした紫陽花が見えました。
  

北の不規則石段を上がるとココに出る、
 
少し前まで汚れていた解説版ですが、やっとちゃんと読めるように整えられ、
なるほどこういうことだったのね…と納得。

さぁ登城しましょうか、
この「白鳳城(正式名は伊賀文化産業城)」、昭和10年に建てられたお城で、
藤堂高虎が造った石垣の上に木造で建てられていますが、
 
もし高虎の時代に五層の天守閣が建っていたとして…(完成目前に暴風で倒壊したので)
昔はこの石段など設計図?にはなかったのですが、
お城が建っていたとして、さてどうやって登城するのか?
じっくり考えていただくとして…

これは入口の「扁額」
 
では三層目に上って、周りを見渡すことにします。

西北側を見ていたら、遠くでガッタンゴットンと
 
見えるでしょうか?「伊賀鉄」」です、
お城から電車を撮れるとは思っていなかったので、一人悦に入っておりました(笑)。

 北側

 西南方面

 南側の城下町

 東方面

どこをどう見ても山・山・山、
どこをどう越えようとしても険しい山越えであることに違いはないなぁと、
越えて 溢れて 外に出ん」って歌っていたなぁと、
改めて思うわけです。
最近、伊賀國は元気があるのかないのかわからなくなってきました、
お~い、戻って来いよ~~と心で叫ぶ。

久しぶりに四方(よも)を見渡してみました。
ではまた

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2 コメント

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お堀の水面標高 (moni5187)
2024-07-08 19:29:39
北側から見ていると、あの高い所の堀が湧水で、と🤔、気になり水面標高を調査してみますと。
伊賀市都市計画図では、🏯天守西の休憩所あたりの標高点が174.5mと記されていて、幾つかのブログ様では、高石垣の水面からの高さは23.5~26.0mと紹介されていました。計算上は堀の水面標高は151.0~148.5mではと推定されます。赤門前丁字路は151.1m、丸之内交差は151.7m、農人町交差は152.3mの標高点が記されていて、丸之内通りより少し低い海抜に堀の水面があるようです。上野公園界隈は丸之内通りより高い所にありますから、湧水が溜まって然りだと納得しました。

P.S. 前々回紹介いただいた城内の渋沢栄一のパネルを見直すと、下部に1917年(大正7)と記されていて西暦が誤記ではと気付きました。すでに訂正済みかも知れませんが、💴新札が話題の内にご指摘されてみては如何でしょうか(^^;)。
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詳細調査 (kuro&hana)
2024-07-08 20:16:50
ありがとうございます。

噂では、服部川にかかる寺田橋の河床と丸之内旧市役所前界隈の地下水も同レベルであるとも。
なので「蛇池」の水も枯れたことはない、とのこと。

上野の台地があってその下を流れる地下水は涸れることがない、
ということを高虎殿はわかっていてそこに城下町を造り、「醸造業」「鍛冶屋」など多かったのも地下水のおかげかと…

moni5187様、高虎さまの町づくりの証明をしていただき感謝いたします。
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