2021/6/7の朝刊の記事から
三重版でも伊賀版でもないところに掲載されていたので(何のページだったかは忘れた )、
江戸時代からちゃんと記録って残してあるもんだぁ~と感心して読んでいたのです。
しかも、今回は「国土地理院の自然災害伝承碑」に登録されたとか…
(中日新聞2021/6/12付)
身近で見ていたのですが、意外とスッと通り過ぎていた自分、反省。
過去の写真から思い出せるものを引っ張ってみました。
【法華経塔】(くれは水辺公園・春の広場付近)
矢谷川という小さな川の両岸が水辺公園になっており、
「春の広場」東屋があるその傍に供養塔はあります。
昔は「服部川河川敷にあった」と家人は記憶しているらしい…
それがここに移設されたそうな。
「法華経塔」表と裏、追悼記念碑など
またいずれ、他の記念碑も訪れることにします。
追記(you tube CBCTV)
【災とSeeing3 伊賀上野城(三重県伊賀市)】
『忍者の里として知られる三重県伊賀市。
中心部の高台に立つ伊賀上野城は、白く美しい三層の天守閣から「白鳳城」とも呼ばれる。
築城の名手として知られる藤堂高虎が本丸西に築いた「高石垣」が有名で、
大阪城と日本一、二を競う高さ約30mを誇る。
「実はこの城内や城下町は、1854年に起きた『伊賀上野地震』で大きな被害を受けたんです」。
今回案内役を務めてくれた名古屋大減災連携研究センター特任准教授の菅沼淳さん(54)が教えてくれた。』
今度から公園へお散歩に行ったら、石垣をよく見てみよう~~っと、
江戸時代初期なのか幕末なのか…わかるかも、です。
再追記(2021/6/18)
いろいろ探してたら
服部川河原(にあった)法華経塔の写真
出てきました、どこやろねぇ?
三重版でも伊賀版でもないところに掲載されていたので(何のページだったかは忘れた )、
江戸時代からちゃんと記録って残してあるもんだぁ~と感心して読んでいたのです。
しかも、今回は「国土地理院の自然災害伝承碑」に登録されたとか…
(中日新聞2021/6/12付)
身近で見ていたのですが、意外とスッと通り過ぎていた自分、反省。
過去の写真から思い出せるものを引っ張ってみました。
【法華経塔】(くれは水辺公園・春の広場付近)
矢谷川という小さな川の両岸が水辺公園になっており、
「春の広場」東屋があるその傍に供養塔はあります。
昔は「服部川河川敷にあった」と家人は記憶しているらしい…
それがここに移設されたそうな。
「法華経塔」表と裏、追悼記念碑など
またいずれ、他の記念碑も訪れることにします。
追記(you tube CBCTV)
【災とSeeing3 伊賀上野城(三重県伊賀市)】
『忍者の里として知られる三重県伊賀市。
中心部の高台に立つ伊賀上野城は、白く美しい三層の天守閣から「白鳳城」とも呼ばれる。
築城の名手として知られる藤堂高虎が本丸西に築いた「高石垣」が有名で、
大阪城と日本一、二を競う高さ約30mを誇る。
「実はこの城内や城下町は、1854年に起きた『伊賀上野地震』で大きな被害を受けたんです」。
今回案内役を務めてくれた名古屋大減災連携研究センター特任准教授の菅沼淳さん(54)が教えてくれた。』
今度から公園へお散歩に行ったら、石垣をよく見てみよう~~っと、
江戸時代初期なのか幕末なのか…わかるかも、です。
再追記(2021/6/18)
いろいろ探してたら
服部川河原(にあった)法華経塔の写真
出てきました、どこやろねぇ?
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