大山田歴史探索そこかしこ、合間の田園風景、そして「(鳳凰寺の)薬師寺」

2020-09-02 10:49:23 | つれづれ思うまま
皆さん
「ここは、タイヘンですよ!」
あれも見たい、これも見たいと欲を出すと、一日では終わりません。
ポイントを決めて行かないとダメです。
ワタシは欲深いおばさんなので、結局失敗します(勉強が浅すぎて) 、、、

取り急ぎは、秋の収穫シーズンになってしまったので、田んぼを追いかけるつもりが………

(振り返ると)「気になるところ行ってみた!」報告です(笑)。

以前 8/2 (奥余野公園・壬申の乱古戦場跡訪問記)にこんなことを書いてました、再掲しますが、
『(大山田の)【鳴塚古墳】の説明にそんな文言が書いてあったような…
壬申の乱の後、伊賀采女宅子は郷里の大山田へ帰り、
わが子・大友皇子の冥福を祈って鳳凰寺を建立したといわれ、
大友皇子は「植木神社」の祭神でもあるとか…
   』

鳳凰寺】と書いて、「ぼうじ」 と読みます。
気になってました…(ある意味、政治の道具でもあった悲しい女性のハナシ)
地元の方の説明では、鳳凰寺そのものは今は存在していないけれど、その昔
≪約1200年前、白鳳時代に鳳凰寺と称する大刹(たいさつ=大きなお寺)があった≫と。
そして、「日本書紀」に記されているのが上記の「宅子(やかこ)」さんのお話。
そこで【薬師寺】(所在地区名:鳳凰寺、ここがややこしいところ…)へ行きます。
   龍さんが居てくれました、嬉しい

   
≪当寺の伽藍が相当の規模であったことが礎石の配置によって想像される。
鳳凰寺はその後、天正伊賀の乱の兵火に焼き尽くされたが、慶長3年(1598年)、
清存法師が再興し、轟山薬師寺と改号、鳳凰寺は郷土名として今に残っている≫とのことでした。

薬師寺(鳳凰寺廃寺跡)
薬師寺の中に鳳凰寺の遺構がある…そして鳳凰寺は地区名でもある…謎が解けた気がする
   回転式「般若心経」
これがあれば、ワタシ タドタドシクテモ 唱エラレルカモ…
 薬師寺前に「とどろき館」

  鳳凰寺の里の田園風景

大山田地区は服部川沿い=伊賀街道=ほぼ現国道163号線に各集落が成り立っているところで、
それぞれに歴史の証拠たるものが残っている…ということを再確認しました。
翌日、出直しドライブです、本当は歩いて回りたいところですが、それは別の機会にとっておきます(笑)。

次は、三つ目の偉大なる古墳「辻堂古墳」(中村地区)へ~~
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NHK「英雄たちの選択・天正伊... | トップ | 大山田中島~出後~中村界隈... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ思うまま」カテゴリの最新記事