「伊賀国分寺跡」(西明寺字長者屋敷)、初訪問デス

2021-03-16 09:33:40 | 神社仏閣など
分類を「神社仏閣など」に入れていいものか迷いますが、
ココは「国史蹟(跡)」ですし、そして何より「伊賀国分寺」があったところですからね(笑)。

※「国分寺」とは、(Wikipediaより)
≪741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、
当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、
国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。≫

史蹟前の道路はよく通ってましたが、知らないまま年月ばかりが過ぎてました。
お手入れは行き届いている方だと思いますが、冬から初春なので雑草は少なかった…
空地全面クマザサが刈られていたのですが、
その伸び具合は運動靴を履いててもグサッと来る感じ
ホッタラカシではない! 時折草刈りのメンテナンスなどしているのは実際見ていたので(笑)、
ココはこれで良いのだと…

この場所に佇んで、説明書きを読んで、「想像力」を膨らませるのもいいではありませんか!
奈良東大寺伽藍と同じ配置」なんですって。(※ええもん探し隊見聞録Vol.40(2004/04/08)より)

前置きはこれくらいにして、入り口(芝生公園になっています)から
  
真ん中にこの巨木な古木、(ゴメン、葉っぱはまだ冬眠中!)
なんとこれは…「銀杏の木」。
上野銀座通りの拡幅工事で「恵美須神社」が移転した時(1996)、
境内から移植したもの
≫だそうです 。(※同上)

では、もう少し進みましょう
  

 「伊賀国分寺跡説明書き」です。

広い空地に、
   
左から「中門跡」「金堂跡」「講堂跡」「付属建物跡」
 「史蹟国分寺跡・内務省」大正12年(1923)指定。

 
当時の広大な伽藍の礎石跡、あえて分かりやすく掘ってあるとのこと。
全体を背面から


目を閉じて 伊賀のまほろば をみてみませんか?


余談ですが、住所表示の「西明寺(字)長者屋敷(チョウジャヤシキ)」って
この「国分寺跡」界隈の事を言うそうですが、
≪寺が衰退した後、沈む太陽を呼び戻したという程の大物で、
「日の丸長者」と呼ばれた人物が住んでいたから≫という言い伝えの場所だそうです…(※ええもん探し隊見聞録Vol.40(2004/04/08)より)
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