お知り合いの方、といっても知り合って丸ッと20年は経つという方ですが、
長田地区で「紅花」をお父さんと一緒に管理されていて、
ボチボチ見事に咲き出しましたよ~~と、連絡をもらいました。
長靴、軍手持参でどうぞ、とのことでしたが、
トゲトゲチクチクの痛い思いをするのは分かっていたので「長袖着用」もプラスです💦
JAの農産物市場「ひぞっこ」にも切り花として出荷されているのですが、
ワタシが伺うとどんどん採っちゃってください、へこたれませんから…って。
実際には、そんなに頂けるものではありませんが嬉しくて痛くて、複雑な思いをして
刈らせていただきました。
写真を撮っていたら「ミツバチ(はっち)」も一緒でした(笑)。
ミツバチは「蜜」に必死でワタシなんぞムシですから、安心です。
お持ち帰りして、なんとなくこのトゲトゲ感、
百鬼丸さんの切り絵の鬼と似合うなぁと、勝手に思う。
ついでの「鬼風船と紅花」、そんな取り合わせでいいのか??
さて、紅花と言えば「芭蕉さん」とすごくご縁があります。
最初に20年前と書いたのには訳があって…
今年は「芭蕉翁生誕380年記念の年」。
思えば20年前「芭蕉翁生誕360年事業」で「烏梅を使って本格的な紅花染め」を体験したことがあって、
その時に「紅花」をいっぱい育ててくれていたのが長田の古川さん。
広い畑に伺って例の黄色い花を摘んだ記憶が蘇ります。
当時の記録が残っていないので残念ですが、楽しい思い出のひとコマ。
「まゆはきを 俤(オモカゲ)にして紅粉(ベニ)の花」(芭蕉の風景より)
2004年当時の「栞」が出てきました。
そして当時「烏梅」(ウバイ)でお世話になった中西喜祥さんちのお孫さんが頑張ってるページ、
「烏梅づくり」のこと。
【「烏梅製造」中西喜久 普及用映像】(中西喜祥さん(大正7年生)の息子さん)
二代目、三代目にしっかり継承されているようでうれしい限り
紅花を育てる人、烏梅を作る人・・・芭蕉さんがご縁の思い出話、かな。
そして最後に上野公園内にある「芭蕉翁記念館」庭園で可愛く咲く「ネムノキの花」。
過去ログより/ねむの花と芭蕉さん
「≪奥の細道とネムの花・・・芭蕉が象潟を訪れたのは、1689年6月15日。
その日は、雨で鳥海山(チョウカイサン)の山が隠れるほどであった。翌日は雨上がりの晴れ。
「松島は笑うがごとく、象潟(キサカタ)はうらむがごとし。
寂しさは悲しみにくはえて、地勢(チセイ)魂をなやますに似たり※」
「象潟や 雨に西施(せいし)が ねむの花」≫
※「地勢魂・・・」
≪松島が明るい景勝地であるのにくらべ、象潟の風景には、寂しいだけじゃなく、
悲しみが混じっているように感じられ、その入江の地勢、地形の形や起伏が、
まるで魂を悩ませているように見える。≫ という意味だそうです。」
ではまた
長田地区で「紅花」をお父さんと一緒に管理されていて、
ボチボチ見事に咲き出しましたよ~~と、連絡をもらいました。
長靴、軍手持参でどうぞ、とのことでしたが、
トゲトゲチクチクの痛い思いをするのは分かっていたので「長袖着用」もプラスです💦
JAの農産物市場「ひぞっこ」にも切り花として出荷されているのですが、
ワタシが伺うとどんどん採っちゃってください、へこたれませんから…って。
実際には、そんなに頂けるものではありませんが嬉しくて痛くて、複雑な思いをして
刈らせていただきました。
写真を撮っていたら「ミツバチ(はっち)」も一緒でした(笑)。
ミツバチは「蜜」に必死でワタシなんぞムシですから、安心です。
お持ち帰りして、なんとなくこのトゲトゲ感、
百鬼丸さんの切り絵の鬼と似合うなぁと、勝手に思う。
ついでの「鬼風船と紅花」、そんな取り合わせでいいのか??
さて、紅花と言えば「芭蕉さん」とすごくご縁があります。
最初に20年前と書いたのには訳があって…
今年は「芭蕉翁生誕380年記念の年」。
思えば20年前「芭蕉翁生誕360年事業」で「烏梅を使って本格的な紅花染め」を体験したことがあって、
その時に「紅花」をいっぱい育ててくれていたのが長田の古川さん。
広い畑に伺って例の黄色い花を摘んだ記憶が蘇ります。
当時の記録が残っていないので残念ですが、楽しい思い出のひとコマ。
「まゆはきを 俤(オモカゲ)にして紅粉(ベニ)の花」(芭蕉の風景より)
2004年当時の「栞」が出てきました。
そして当時「烏梅」(ウバイ)でお世話になった中西喜祥さんちのお孫さんが頑張ってるページ、
「烏梅づくり」のこと。
【「烏梅製造」中西喜久 普及用映像】(中西喜祥さん(大正7年生)の息子さん)
二代目、三代目にしっかり継承されているようでうれしい限り
紅花を育てる人、烏梅を作る人・・・芭蕉さんがご縁の思い出話、かな。
そして最後に上野公園内にある「芭蕉翁記念館」庭園で可愛く咲く「ネムノキの花」。
過去ログより/ねむの花と芭蕉さん
「≪奥の細道とネムの花・・・芭蕉が象潟を訪れたのは、1689年6月15日。
その日は、雨で鳥海山(チョウカイサン)の山が隠れるほどであった。翌日は雨上がりの晴れ。
「松島は笑うがごとく、象潟(キサカタ)はうらむがごとし。
寂しさは悲しみにくはえて、地勢(チセイ)魂をなやますに似たり※」
「象潟や 雨に西施(せいし)が ねむの花」≫
※「地勢魂・・・」
≪松島が明るい景勝地であるのにくらべ、象潟の風景には、寂しいだけじゃなく、
悲しみが混じっているように感じられ、その入江の地勢、地形の形や起伏が、
まるで魂を悩ませているように見える。≫ という意味だそうです。」
ではまた
子ども会との縁は切れていたのでワタシは解りかねますが、就職し立ての家人にでも聞いてみようかな。
それで✖ならごめんなさい、です。
moni5187様、なかなかの難題をいただきありがとうございます💦
例年の如く、ポット蒔きの朝顔と向日葵を庭に(連作防止の為に毎年入れ替えて)定植したら、
紫外線が強すぎて危ないところでしたが、梅雨入りの曇空で何とか持ち直して無事育っています。
先週と今夜は、旧崇広堂でグローバルなコンサートが開催されているとのことで、気になるところです。
当方のブログも更新したのですが、昭和48年の夏休み入り直後に伊賀上野(まち)の子供会で、
SLに乗りに行くツアー。ってあったのでしょうか?。調査のほど宜しくお願いします。