マラトの才能ときたら、たいしたものだった。
マラト・サフィンといえば、近年まさかの政界進出を果たし、今ではすっかりロシアの未来をになう若手政治家だが、元々は1997年にデビューしたテニス選手。
そのポテンシャルは早くから買われており、ロシアからはエフゲニー・カフェルニコフに続くナンバーワン候補として期待を集めていた。
そんなサフィンは、1998年のローラン・ギャロスで、いきなり頭角を現す。
1回戦でアンドレ・アガシ、2回戦で過去3回優勝のグスタボ・クエルテン。
という鬼みたいなドローの中、ベスト16まで進出して、前評判に偽りがなかったことを、見事に証明して見せた。
そんなサフィンが、まずやった大きな仕事は、2000年のUSオープン。
20歳で、グランドスラム大会初の決勝に進出したのだ。
相手はUSオープンそれまで4回の優勝を誇る、アメリカのピート・サンプラス。
この試合、私は友人ミノオ君と一緒に、テレビで見ていた。
決勝戦の次の日がたまたま二人とも休みだったので、朝まで飲んで、そのまま試合を見ようという算段だったのである(時差の関係で日本時間の早朝に放送される)。
試合前、テニスファンのミノオ君と、決勝戦の展望など語っていたが、結論としては
「マラトにはまだ早いやろ」
なんといっても、相手は王者サンプラス。
さすがに一時期の圧倒的な強さはかげりを見せつつあるとはいえ、それでもその年のウィンブルドンではパトリック・ラフターをおさえて優勝している。
いくら勢いがあるとはいえ、これを打ち破るのは並大抵のことではあるまい。
下馬評は、どう考えてもサンプラス有利。
「ま、1セット取れれば合格やな」
ということで、空も白みはじめた早朝。いよいよ試合開始。
ところがである。試合は開始早々、思いも寄らぬ方向へと、転がっていくことになる。
サンプラスのゲームの、ポイントとなるのはサービスだ。
「ピストル・ピート」
と呼ばれたサンプラスのサービスは、そのスピード、コントロールもさることながら、ここ一番での決定力がすさまじい。
特に、ブレークポイントや、タイブレークの大事なショットなどでは、神懸かり的なコースに決まり、相手を絶望の淵へとたたき落とす。
彼のサービスを、ただ当てるだけでも至難の業である。
なのに、血を吐く思いでブレークポイントまでたどりついたら、そこで目視できないエースが飛んでくるのだ。
これは、ただの1ポイントであるだけでなく、相手の心すら打ち砕くだけの威力がある。
だが、その世界最高峰のサービスが、どうにもおかしなことになっている。
いや、この決勝戦、サンプラスがコート上で、特別ヘマをやらかしたわけではない。
いつもの通り、時速200キロのサービスをコーナーにたたきこんで、アグレッシブにネットへと出て行った。
ところが、サフィンには、これが通じない。
ロシアの若武者は、チャンピオンの放つスーパーサーブを、いとも簡単にリターンしてしまうのだ。
それも、ただ当てるだけのものではない。しっかりと狙いを定めて、打ち返している。
その証拠に、それらはすべて、ネットに出てくるサンプラスの足元に深く深く沈み、それ以上の攻撃を完璧に封じてしまうのだ。
サンプラスがどれほど強打しようが、あたかもシューズのひもの結び目でも狙うようなスーパーリターンが、次々と返ってくる。
これでは、いいファーストボレーが打てない。
たまさかラケットに当てて返球できても、あまりの球の威力に、コントロールなんて出来るわけがない。
甘く返ってきたボールを、まるで王者を鼻で笑うようなふてぶてしさでもって、次々とパスでエースにしていく。
こうして、好きなように打ちまくって、あっという間にファーストセットは、サフィンのものになる。
このあたりで、テレビの前の我々にも、試合の異常な空気が徐々に察せられてきた。
おいおい、サフィン、こいつどうなってんだ?
試合は完全に、サフィンのペースだった。
スピードにのったスイングから発せられるショットは、研ぎすまされた錐のごとく、次々とコート上で鋭角に決まる。
ネットプレーを封じられたサンプラスは、後ろに下がってねばるしかなかった。
これは、めったに見られない、サンプラスの負けパターンである。
守勢に立たされては王者ももろいが、それを打開する策は、まったくといっていいほどなかった。
まるで、大人が子供をいたぶるようなテニスで、サフィンは相手から次々とエースを奪っていった。
6-4・6-3・6-4。
終わってみれば、あっけなかった。
1セット取れればどころか、ほとんどパーフェクトゲームのような内容で、サフィンがグランドスラム大会初優勝を果たした。
あまりの強さに、ニューヨークの観客もテレビで見ている我々も、ただただ口を開けてあきれるしかなかった。
サンプラスは2002年に、このUSオープンで現役最後のグランドスラム優勝を果たす。
それを花道に引退することになるのだが、それまでの2年間はスランプに陥ったかのように、まるで勝てなくなってしまった。
それには、この決勝でサフィンに、完膚無きまでたたきのめされた、ダメージがあったからではなかろうか。
それくらいに、ショッキングな結果だった。
この試合を見て感激したミノオ君は、それ以降サフィンの大ファンになってしまったほどである。
たしかに、この決勝戦はすごかった。
20歳でこんなテニスが出来るなら、チャンピオンになるなど、簡単なことであるようにも思われた。
事実、彼はその後すぐに世界ランキングで、ナンバーワンに輝くこととなる。
こうしてあっさりと世界の頂点に立ってしまったサフィンにとって、テニス界に君臨するのは容易なことだと思われた。
だが、彼はその才能にもかかわらず、その後のキャリアで、なかなか大きな仕事が出来ず、ファンをやきもきさせることとなるのである。
彼のその苦闘ぶりについては次回に。