前回の続き
「彼が強いとは、どうしても思えないんです」
屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。
将棋にかぎらず、スポーツなど勝負の世界では「仲間の評価」というのが重視される。
同じ土俵で戦う仲間から、
「アイツは強い」
と思われれば、それだけで相手にプレッシャーをかけることができ、時には戦いのさなかに、
「やはりダメか……」
「もともと、自分が勝てる相手ではないのだ……」
心を折る効果もあり、運が良ければ同世代の旗頭として「時代の波に乗る」こともできるが、逆に
「アイツはたいしたことない」
あなどられてしまうと、のびのびとプレーされてしまうだけでなく、自らも「侮蔑の視線」に耐えながらの戦いを強いられ、その重圧と屈辱感で、ますます勝てなくなるという仕掛けだ。
そんな、様々な意味で勝負の結果に影響をあたえる「見えない格付け」だが、ここでの森下による屋敷評は、やや違和感を覚えたもの。
この発言を取り上げたのは若手時代の先崎学九段だが、屋敷も森下もまだ低段棋士のころ。
すでに森下は「将来のA級・タイトル候補」と謳われていたが、屋敷もまたデビューしていきなり棋聖戦の挑戦者になり、藤井聡太八冠の活躍で脚光を浴びた
「史上最年少タイトル挑戦」
この記録を打ち立てていたからだ。
こんな男が「強くない」わけがないのだから、この発言は感情的なものか、あるいは人生なり将棋なりの「哲学」が合わないかだろう。
かつて村山聖九段が、なぜか佐藤康光九段の将棋を認めていなかったように、ままあることで、それならまさに佐藤が村山に突きつけたよう、
「決着は盤上でつけたら、ええんちゃうんけ!」
となるのが、勝負事というもののスッキリしたところでもある。
1990年前期(当時の棋聖戦は前後期の年2回開催だった)の、第56期棋聖戦。
決勝トーナメント準々決勝、森下卓六段と屋敷伸之五段の一戦。
後手の屋敷が、このころ得意にしていた「横歩取り△33桂」戦法を選んで、むかえたこの局面。
この形によくあるような、相振り飛車風の戦いになっているが、この将棋を取り上げた先崎学四段によると、すでに森下が一発喰らっている。
△46歩、▲同歩、△36歩、▲同歩、△46金で後手優勢。
なんてことない仕掛けに見えるが、これですでに先手陣は収拾困難なのだ。
平凡な▲47歩は、すかさず△37歩とタタかれて取る形がない。
▲同桂には△36金で、桂頭を守ることができない。
▲同金には△57金で、やはり突破されてしまう。
△46金に森下は▲68金と守備駒を寄せるが、勇躍△45桂と跳ねて、▲47歩に、やはり△37歩が激痛。
飛車角金桂と、後手の攻め駒が全軍躍動で、▲39の銀が明らかに立ち遅れている先手陣に、すでに刺さっている。
▲同桂、△36金に▲45桂と取って一瞬駒得だが、そこで△47金と入られては、完全に網がやぶられてしまった。
▲49玉と逃げるしかないが、先手陣はそこから守備駒をボロボロはがされての大敗走。
森下も猛攻を耐えて、なんとか局面を好転させようとするが、屋敷の指し手は正確で、なかなかきっかけがつかめない。
ここまでいいところのない森下だが、それでも遅ればせながら▲46銀、▲35銀打と上部に厚みを作って抵抗。
「強いと思えない」と評した相手に、簡単に負けるわけにはいかないという執念だが、屋敷は最後まで乱れなかった。
△97竜と切り飛ばして、▲同香に△38角と打つのが見事な決め手。
ここであえて、遊んでいる角を取るのが、気づきにくい妙手で、普通の感覚なら▲35銀打に自然な手は△64飛であろう。
△67飛成(竜)の先手で飛車取りをかわして、もちろんそれでも悪くなさそうだが、スッパリ角を取って△38角とするのが、より鋭かった。
▲47に合駒しても、△64桂と打たれて、△76金と打たれる筋があるから逃げられない。
本譜の▲66玉にも、そこで△64飛と幸便に使って、▲77玉に、△87金、▲同玉、△67飛成。
まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとき、流れるような手順で後手勝ち。
よく強い人の終盤は、むずかしそうなところから簡単に(実際はそうではないけど、あざやかすぎてそう見えてしまう)寄せてしまうと言われるが、まさにそんな感じであった。
完敗した後、森下は、
「ヒドイ。▲97角では▲28銀と守っておくんだった。それでこれからの将棋でしょう」
なげいたそうだが、先崎に言わせると、それでものびのびした後手陣にくらべて先手陣は進展性がなく、すでに後手がいいのではとのこと。
つまりは、屋敷の卓越したセンスと大局観により、この将棋は序盤ですでに、先手が勝ち味の少ない将棋になっていたということだ。
森下にかぎらず、このころの屋敷はまだ評価が定まっていなかったというか、その強さの理由が理解されていなかったよう。
たとえば先崎は、このころ書いたあるエッセイの中で「天賦の才」を感じるのは、昔なら升田幸三で今は谷川浩司としたが、屋敷については(改行引用者)
屋敷は、よくわからない。いっこうに才能のかけらを窺うことができない。
ただし、同業者の僕の目からみても、強烈な、いかがわしいほどのフェロモンの匂いを感じる。
人と違ったことを考えられるのは、一種の天性だろう。
才能がみえないというのは、自分にそれを見抜く能力がないだけなのかもしれない。大きすぎるのかもしれない。
そう言った意味では、一番怖い棋士である。
この敗北を受け、森下は屋敷について、
「彼の将棋は、相手を油断させるところがありますね」
多少思うところは変わったようだが、ここで簡単に「強い」とは言わないぞというか、むしろ「負けたのは油断」と、やはり評価を保留しているようにも読める。
そんな思いを知ってか知らずか大強敵を破った屋敷は、その後は一気にかけあがって2期連続の挑戦者になり、史上最年少で棋聖のタイトルを獲得。
一方、一敗地にまみれた森下だが、ここで奮起して次のトーナメントを勝ち上がり挑戦者に。
「因縁の対決」は、ついに番勝負の大舞台で実現することになったのである。
(続く)